いじめや過労で亡くなった方の話を聞くたび、その辛さに思いを馳せると同時に、いのちを落とすぐらいなら 苛酷な環境からどうにかして離れられなかったものかと 我が事のように悔しくてなりません。
いのちに関わる事態になってなお 「ここ (職場、学校) をやめる ・ 離れることはできない」 と思わせるほど、脳が未完のころの刷り込みは強力です。
ちょっとやそっとでは解けない催眠術のようなもの。
無限のいのちより有限の物差しが力を持つなんて、お釈迦様の手の上の孫悟空がお釈迦様をあやつろうとするようなものだと思いますが、そこに氣づかれぬよう お金や時間や法に人間をしのぐ力があると思い込ませ、同時に五感ではつかめないいのちというものの存在を悟られないようにする、そんなからくりが この三次元世界にはたしかにあると感じます。
が、本来の自分でないものをとことん味わう 「行き」 の道から 本来の自分を思い出す 「かえり」 の道へと転じたいまは、そのからくりも次第に力を失い、嘘やつじつま合わせのほころびがあちこちで露呈しているのが見受けられます。
もし いまのままでいたくない、もっと自由に豊かに安らかに幸福になりたいと望むなら、かえりの道の追い風が吹くいまは この上ないタイミングといえます。
そして、一見忌まわしいとしか思えない否定的な出来事こそ、その望みを叶える絶好のチャンスなのです。
自分に社会的価値がないと切り捨てられようとしている、厳しい上司やいじめっ子たちに取り囲まれてなす術もない、などというときに感じる心の苦痛、そこに集中して目を向けてください。
権力者や上司やいじめっ子はいったん脇に置いて、耐え難い事態にうずく心を ひたすら感じてください。
言葉の判断解釈は抜きで、その痛みや圧迫感を感覚として感じ取れればしめたもの。
貴秋は最近、この感覚フォーカスにホ ・ オポノポノを併用することで、変化が加速するのを感じています。
このコンボは これまで用いたさまざまな手立ての中でも最強です。
また ひとりで立ち向かうのは不向きと思われる方にも、カウンセリングやセラピー、さまざまなヒーリングにワークショップなど 手を貸してもらえる場はいくらもあります。
アンテナを張っていれば、きっとぴったりのものが見つかるでしょう。
長いあいだ内的探究を続けてきて いく度となく体験したことですが、真摯にひたむきに取り組んでいれば、道は必ず開くようです。
思いがけないところから情報が舞い込んだり たまたま出くわしたり、偶然としか見えないようなことが 向こうからひょいと起きてくるのです。
貴秋は、生まれる前の自分と “おおきなひとつ” が設定した流れにうまく乗れている証拠と思っています。
最近知ったのは、これまた愛読する 「misaのブログ」 の 宮里俊樹さんとおっしゃる方の催眠ワークの話 。
なるほど 負の刷り込みが言葉を超えて意識の深部に働きかける催眠なら、それをまた催眠で解くことも可能なはず。
ぴんとこられた方は アクションを起こしてみるのもいいかもしれません。
とにかくお伝えしたいのは、心に突き刺さる苦痛や いのちに危険を及ぼすほどの状況をがまんしなければならない理由なんて、決してないということ。
6記事にわたってタイトルにしてきた 「いのちを超える物差しなんてあるのでしょうか」 という問いかけを、どうお感じになりますか?
いのちの上に立ち いのちに指図する物差しなどというものが ほんとうに存在するのか、存在を許されるのか。
否定的な状況に陥ったときは、どうぞご自身の心に問うてみてください。
イエスと答えることにほんの少しでもためらいを覚えるなら、「そのままがまんする」 以外の選択をしてください。
ただ、そこで相手に挑みかかるのは ひたすら耐え忍ぶよりはましですが、戦ってもほんとうの解決には至らないことは知っておいてくださいね。
自分を束縛し苦しめているのは、実は相手ではなく 自分自身の思い込みなのです。
他者は変えられないけれど 自分を変えることはできる、ここに事態を好転させるビッグチャンスが潜んでいます。
今回のお話、実は5記事で終るはずでした。
なぜか終わりのご挨拶を書き忘れ、そこにインスピレーションがきて これを書くことに。
前5記事もそうでしたが、今回のこれは 特になにかが書かせたと感じています。
文章のほうから 勝手に溢れ出してくるようでした。
このタイトルはこれでおしまいです。
6回にわたって長文をお読みくださり ありがとうございました。