毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

忖度する力

2018年08月20日 11時19分49秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


忖度。

辞書には 「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」 とあります。

昨年の流行語大賞にもなったこの言葉、流行のきっかけがきっかけで いまはあまりいいイメージで使われないことが多いようですが、考えれば 「人の心をおしはかる」 ってすごいことですよね。

相手が言葉で表明していない奥や裏までを感じ取る力があって初めてできることですから。




感覚フォーカス&ホ ・ オポノポノ効果で、最近五感を越えた領域がどんどん存在感を増してきている氣がします。

物質を構成する分子 ・ 原子 ・ 素粒子それぞれのあいだには たっぷりの空間があって、たとえば人体のすき間部分を除いて 固体部分だけを圧縮すると 塩一粒分にしかならないと聞いたことがあります。

五感の世界と五感を超えた世界も 実はそんなふうなんじゃないかと 最近よく思います。

形あるもの ・ 触れられるものは 広大な “ゼロ” の領域のほんの一角を占めるに過ぎないのだと。

響き渡るセミの声のまわりには 豊かな静寂があり、セミの声がそれをいっそう際立たせるから 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 なんだと思ったと 先日書きましたが、人の言葉や態度など目に見える部分のまわりにも 見えないなにかがたゆとうていて、その 「なにか」 に根ざしたものをそれとなく感じ取るのが 本来の意味での「忖度」 なんじゃないでしょうか。

このところ話題の忖度は、それとはちょっと違うところで働いているような氣もしますが。




「行間を読む」 などという表現もありますが、私たちは意識するしないに関らず、この五感ではつかめない要素と共に生きていると つくづく感じます。

言葉にならない思いが伝わる、見聞きできるものを超えて心を打たれる、そんな世界で 私たちは日々当たり前に暮らしている。

豊かさに度合いがあるものなら、その五感を超えた領域をどれほど感じ取れるかで決まるのではないか、そんな氣がするきょうこのごろです。