毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

人生なにが起こるかわからない ~ 小川洋子 「博士の愛した数式」 を読んで

2018年08月06日 10時20分33秒 | 大好きな本・映画・ほか


内的変化にリアルタイムで氣づくのは難しいが、反応や行動が変わることで後からそれと感じ取れる、と以前のブログに書きましたが、最近感じ取れたひとつが 読む本のジャンルの変化。

図書館でこれまで熱心に足を止めたのは 精神世界系と児童書、料理本や手芸本、欧米の小説ぐらい、同じ小説でも理系の棚と共に完全素通りだったのが、日本人作家の小説。

それが この6月からなぜか風向きが変わって 邦人作家の棚を長時間巡り歩くようになり、そこで借りた 「博士の愛した数式」 に思いがけないインパクトを受けることに。




「博士の愛した数式」 は、交通事故で記憶が80分しかもたなくなった初老の元数学教授と シングルマザーの若い家政婦、そして彼女の小学生の息子の三人の心の触れ合いを描いた物語。

一度出会った人とも80分を過ぎて再び顔を合わせると初対面になってしまう博士が、他人と交流するために絶えず持ち出すのが、数字にまつわる質問。

心おきなく話せるのは数学の話題だけ、毎朝 靴のサイズはいくつか、電話番号は、出生時の体重は、といった問いかけから始まる博士との交流が続くうち、主人公は博士の繰り広げる数の世界に次第に魅了されてゆきます。

そんな博士が直線について語るくだりで、不意に思い出したことがありました。

紙に引かれた直線は 実は二つの点を最短距離で結んだ 「線分」 であって、本来の直線の定義には端がなく 無限に伸びてゆかねばならない、さらに鉛筆の芯にはわずかなりとも太さがあるから 紙に描かれた直線は実は線ではなく面である、つまり 現実の紙に本物の直線を描くことは不可能なのだ、という話。

博士は言います、“物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないのだ” と。

ここで、高校の倫理社会の授業で “イデア” について習ったときの場面が鮮やかによみがえったのです。

あのとき例に出たのはたしか正三角形でしたが、やはり鉛筆の芯の太さもあり 完全な正三角形を描くことは 人間にはできない、そんなこの世にはあり得ない完璧な存在を “イデア” と呼ぶ、と。

倫社の授業で他に覚えてることはなにひとつなく、なぜかこの “イデア” のワンシーンだけがくっきり刻まれているのですが、かれこれ40年近く経ってふと手にした小説に そんな埋もれていた記憶を引っ張り出す一節があったとは。




さらに読み進むうちに 今度は博士がゼロという数字の素晴らしさを力説する場面に出くわしました。

無であるものを数える必要などなく ましてや書き表すことなど不可能と考えていた古代ギリシャの数学者たちに代わり、名もないインドの数学者が無を数字で表現し、非存在を存在させたのだ、というのが、ゼロについての博士の説明。

博士は続けます、38と308が区別できるのは 0が十の位が空いていることを示してくれているためであり、物差しで長さが正しく測れるのは目盛りの左端が0から始まっているおかげ、さらに0が驚異的なのは、そういった記号や基準としてだけでなく 正真正銘の数である、という点だ、と。


        “最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。

         0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。

         それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる”




五感の世界の視点に加え 五感を超えた世界の視点を思い出し広げてゆく過程で起こるのが、自分はおかしいのではないかという疑念に苛まれること。

マインドと真我意識を行き来していると、五感を超えた世界に全力で入れ込む自分が マインドから見て異様に思えることがままあります。

社会人としてのまっとうな生き方を放り出し ほんとうにあるかどうかもわからないものに没頭して、おまえはいったいなにをやっているのだ、氣は確かか、と。

マインド優位のときにこんなふうに責め立てられ、言い返しようもないまま自信がぐらつくほどつらいことはありません。

が、博士は言うのです、インドの数学者により 非存在が存在することは とうの昔に発見されているのだ、と。

十の位が空いていることを0が示さねば 38と308を区別することはできないし、目盛が0からスタートしなければ 正しい長さは測れない、“ないものがある” からこそ世の秩序は守られるということを、私たちは日ごろ当然のように0を使うことで 知らず知らずのうちに認めていたのですね。




それにしても、高校生のころはまだバリバリ三次元世界オンリーだった貴秋が、“イデア”という五感を超えた領域、言い換えれば0の世界に すでにぴんとくるものを感じていたとは驚きです。

そして人生とはわからないものですね。

身震いするほどの数学嫌いだった貴秋が、いまや数の世界に関心を寄せ始めているのですから。