Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

バブルへGO!タイムマシンはドラム式

2008-05-04 | 日本映画(は行)
★★ 2006年/日本 監督/馬場康夫
「何も描いていない」


映画なら何でもつい見てしまう映画好きの性で見てしまいました。が、映画館で見ていたら暴れていたかも知れません。

タイムスリップまでしてなぜ今バブルを描くのか、それこそが本作の主要本題ですね。しかし、何も描いていない。徹底的にバブルを笑い飛ばしたかったのか、それともあの時代を痛烈に皮肉りたいのか、またはあの頃をとことん懐かしむのか、そのどれでもない。懐かしむだけならまだ「ALWAYS」の方がましです。つまり、この映画の企画そのものがずさんなのです。企画書見せて欲しいくらいです。企画がなってない上に脚本もダメ。お座敷のケンカシーンのグダグダ感はこれがプロの手による撮影なのか、という気すらしました。

ホイチョイプロなら、おそらくバブルの恩恵を嫌と言うほど受けたはずです。なのに、なぜこのようなしょぼい描写の連続なのでしょう。あの時、ちょうど私は大学生で、週に3日はタダでディスコに通い、ボディコン着て朝まで踊り続けてました。高額なバイトが巷にあふれ労せずとも遊ぶお金が手に入りました。今思い起こせば心底恥ずかしくなるほどの浮かれポンチでした。当時の象徴と言えば、不動産、外車、ブランドスーツ、高級腕時計などのアイテムがいくらでも列挙できます。しかし、札束見せてタクシー止めたり、一等商品が現金200万円だったり、あまりにもワンパターンな描写が続き頭を抱えたくなりました。ホイチョイならあの頃のリアルを知らないはずはなかろうに。

バブルを描くということは、アリなネタだと思います。やりようによっては面白くなるモチーフでしょう。しかし、全く中身がないのだからどうしようもありません。何もあの頃を見つめ直せとか、日本経済の転換期としてしっかり描けと言っているわけではありません。映画としての中身が空っぽなんです。また、音楽が薄い。バブルを描くなら、もっと音楽に力を入れましょうよ。ディスコソウルに始まりブリティッシュ・ニューウェイヴからユーロビートへとバブル期のめくるめく音楽シーンは、当時を表現するには格好の材料のはず。それが、「Can't Take My Eyes Off You」の繰り返しですからね。あまりにもステレオタイプで悲しくなりました。制作者の方は「ブギーナイツ」でも見てお勉強してください。