Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

最高の人生の見つけ方

2008-05-12 | 外国映画(さ行)
2008年/アメリカ 監督/ロブ・ライナー
<MOVIX京都にて観賞>
「味わいが足りない」



評判が良くて観にいったんですが、正直私は物足りなかったです。

二大俳優に頼りすぎで脚本に粗が目立ちます。そもそも死ぬ前にしたいことが、お金持ちでないとできないことばかりってのはいかがなもんでしょう。もちろん、エドワードとカーター、双方の願いを叶えていくわけですが、どうせ死ぬならゴージャスにやりたいことをやってしまおうぜ。そんなことばかりが目立っています。反発しあっていたふたりの関係性が、もう二転三転してさらに友情を深め合う展開にして欲しかった。エドワードの娘との再会も含め、後半あまりにもさらっと行ってしまいます。こんな展開、私でも書けそうって言ったら言いすぎでしょうか。

神を信じないエドワードと信心深いカーターという設定なのも、そこで反目しあったり、亀裂が生じたりするのかと思いきや、何もなし。じゃあ、なぜそんな設定にしているのかと突っ込まずにはいられません。あちこちに「思わせぶりな伏線」を敷いていながら、結局それらは単なる味付けとして存在しているだけで、物語そのものを突き動かすものではない。「死」を前にした人間同士だからこそ、もっと絞り出すような感情表現やエピソードがあってもいいのではないでしょうか。葬儀での泣かせるスピーチの後「知らない人のために役に立つ」という項目にチェックを入れる。ここだけは、面白いひねりだと思いましたが、あとは全てが予測どおり。下手に泣かせようとしていないのはいいですが、深みが足りなかった。

そして、この邦題はどうでしょう。「最高の人生」そこまで断言しちゃう?そりゃ、ありあまるお金があればね、と皮肉りたくなります。原題は「THE BUCKET LIST」で、劇中では「棺桶リスト」と訳されているのですが、BUCKETっていわゆるバケツのこと。アメリカでは、この単語が棺桶と言う意味を持つのでしょうか。その辺り、英語に詳しくないので何とも言えませんが、バケツなんてものが比喩として使われていることには、何か自嘲的な意味合いが込められているような気がしてなりません。「死ぬまでにしたい10のこと」(こちらは秀作)という邦題を意識して、敢えてかぶらないようにしたのでしょうか。原題が持っている(のかも知れない)悲哀をこの邦題が遠ざけてしまったように感じます。