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うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

薬照寺の大桂

2018年08月24日 20時40分28秒 | 樹木医の日々片々
先日、仕事の合い間が出来て、2005年に新潟中部地震で被害を受けたあの山古志村に行く。上ったり下りたりの山村、冬場の雪は4mくらいか。闘牛場・沈んだ・手堀の隧道911m。それから魚沼、小出に出て南魚沼市の薬照寺の大かつらを見に行く。この画像をアップする。感想は追って書き込み予定である。その後、マイナーではあるが遠くから聞いていた、八海山の山裾にある同市内の南魚沼市トミオカホワイト美術館に寄った。荒れたという今後を考えるとかすさみつつある心情の日常にほっとする日であった。













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「足利フラワーパーク」プロジェクトの検討資料

2018年06月14日 18時46分51秒 | 樹木医の日々片々
この間資料を探っていたら、古めかしい「足利フラワーパーク」の検討資料が出てきた。今年の4月に同名の駅が開業したそうである。
 時系列的には25年前に遡るのかな、わたしは40代前半のやる気満々の時。バブル景気前の時代。当時はテーマパークつくりが盛んな頃、わたしは都内の造園会社に勤めていたが、人を介してシェル石油の関係で栃木県足利市内の足利フラワーパークの前身の早川農園を母体にしたこのプロジェクトに関わった。(早川農園は地元の有力者でGSも経営していた。)これについては、昔のことだから触れるがそれはわたしにとって勤務外の高額のアルバイトであった。
 数回、現地踏査を行い、大型ふじの移植検討や事業予定地の渡良瀬川の遊水地である迫間湿地で計画の実現性について意見を述べた。それから暫くして、沙汰止みになった。
 あそこには小山からJR両毛線が通っていて富田駅からあるく。まあ、自然条件はのどかで今風に言えば里山の地形、地域のロケーションになるだろうか。特筆すべきは、近くに肥前佐賀の伊万里焼・鍋島焼の陶磁器専門の栗田美術館があり美術好きのわたしはよく行ったもの。
 その後、先日の日本樹木医会全国大会で樹木医である塚本こなみ女史がこれをテーマに講演を行った。また、あちこちで何度も喋っているらしい。古来からの大物の移植工事事例を考えると樹木医だから出来るという訳でもないのだが・・・。
 わたしとしては、まあ、なんというか詳細部は思い起こせないが、往時茫々の感でいっぱいである。問題のふじの移植計画については数年がかりの “根廻し移植” だろうが、只々、技術上の先入観(フジ掘取り作業時特有の探り掘りの範囲や可否)を持たずにいたから出来たことと思う。(可視出来ない分だけ佐賀の 小川内の大杉 の移植工事の方が数段難しくて比べるべくもない、実はこのケースでは現時点で成功したかどうかも分からないのだ。) 
            

            

            
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閉校した小学校のソメイヨシノ

2018年04月04日 05時20分17秒 | 樹木医の日々片々
4月1日、閉校した小学校の校庭にある ソメイヨシノ は当日満開である。研修会で樹木診断を行う。5年ほど前からこの時期に、毎年、樹木医有志が現地に集まり治療経過について意見を言うことになっている。経年的に定期的な調査点検は重要である。わたしは一昨年から毎回参加する。
 3月の上旬にエアスコップによるエアレーション・薬液潅注の土壌改良をおこなった直後から、今年はみるみるうちに気温が上がり例年より一週間は早い開花になった。
 今まで、ナラタケ菌・ナラタケモドキ菌が確認されており、その防除方法や対策について検討した。樹勢的には現状維持をキープしているか。
 また当日に測定して、形状寸法は樹高13.0m 、根元から0.3mの位置で目通り周4.54m、枝張りは南方向13.5m 東11.1m 北11.1m 西11.8mであり、樹齢は85年と推定された。後方には後継樹が植栽されている。

 この日は、近年にない花見日和、わたしにとっても春の陽気はどこまでもうららかな軽やかでたのしいひと時であった。冒頭に、花吹雪舞う光景を付け加える。

 <赤字下線部分を左クリックすると、別画面を開くことができます。>
 樹木診断治療その他・植物や造園全般に関するご質問やお問い合わせは H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします







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ケブカトラカミキリによる被害木調査

2018年03月27日 08時36分44秒 | 樹木医の日々片々
先日、千葉県支部の研修会でケブカトラカミキリによるイヌマキ・(ナギ)被害調査を行った。参加者17名が5班に分かれて車で移動し調査する。所要時間は半日程度か。方法は鳥獣調査に用いるルートセンサス法に似ているかなあ。
 成虫は生木の樹皮下に入り4~5月に樹幹から飛翔する(防除はその時しかないとされる)。その脱出孔跡発見を目安としている。
 ケブカトラカミキリは数年来、千葉県東部の内陸や海岸近くで大量に発生し樹木を枯死に至らしめる。イヌマキは千葉県の造園材料として特産樹木になり、特に地元では庭木や生け垣に使われる。
 調査は今回で3回目だが確実に生育範囲がジワジワと広がっているのだ。

 <赤字下線部分を左クリックすると、別画面を開くことができます。>
 樹木診断治療その他・植物や造園全般に関するご質問やお問い合わせは H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。

        

        

        

        

                    
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「樹木医事務所」の看板を掲げる

2017年05月18日 15時40分36秒 | 樹木医の日々片々

やっと、自宅の玄関先に「樹木医事務所」の看板を設置した。派手は好きではないが近所に分かればいい程度の思惑でいる。太いフェイジョアの幹にぶら下げる。山桑の材は一昨年に宮城県気仙沼に単身赴任の際に親しい山野草屋さんから只でいただいたのものです。ロープは千葉港の内湾で先月拾った流木の中にあったもので、青色の醒めた具合がいい。揮毫は地元の看板店に頼み込む。カンナ掛けしニスを塗り杢目を出し黒いペンキで名を書き込む。こういうものは素材感と情趣が一番大事である。まるでわたしのキャラらしくてお手製、寄せ集めそのものです。
 今でも月に2,3回程度の研修などの樹木医活動があり、現場での実績を重ねることにしている。
             

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郷里での樹木調査報告会

2016年11月21日 05時38分17秒 | 樹木医の日々片々

ここではわたしが出席した郷里での10月9日の巨木等の樹木調査報告会について記す。会は同級生の要請で開かれた。かかる費用を安く上げるために、兄の家に泊まり軽自動車を使い二泊三日で千葉から岩手へ帰郷した。その後振り返ってまとめようと思うが、どういうことであったのか。あれ以来一か月以上は経過、なんだかあれこれ思案に暮れているがどうしたことだろう。

 当日の参加者は、市吏員、女性一人含めて、リタイヤした学校の校長、町議会議長、区長、郵便局局員、現役の農家であるわたしの同級生を入れて合計17名参加、どうやら地元では郷土史研究をもとにした学識経験者や名士であるらしい。今回のこの会への参加の呼びかけも限定しているようだ。わたしは、数人によるこの地方特有の会始めの意を込めた挨拶の長さには、あれあれっと微苦笑である。そのメンバーは 「黄海を語る会」 や 「ワクワクセミナー剪定コースの会」 の会員であり、今回を期しそれに新たに 「ふじさわの巨木・名木を守る会」 を立ち上げるということであった。また、以前から市内に多く自生するサイカチの樹木をメーンにした 「一関市サイカチ利用の会」 というのもあるらしい。
今回の動きは規模120,000人の一関市内の人口8,300人が居住する藤沢町でおこなわれた。日本樹木医会等の団体は無関係であり、一関市を巻き込むようにわたしをはじめとして前述の有志が集まって自主的におこなわれたものである。これらは市民活動の端緒であると言えるもので、わたしとしては、むしろ本来あるべき理想的な姿であったと思う。

 都合、時間は2時間を要したが、わたしにとってプロジェクターへの接続不良でPower Pointでの説明は不十分なものであったので、即興的にホワイトボードへの書き込みを増やしたり話題を変えながら進める。雑談風に始めて日常用語を用いて実務的な話にしたつもり。また、実物の見本としてヒノキの切株と枝葉を事前に準備していただいた。質問は7件ほどであった。
 いろいろなことがあった。費用については何とか交渉して交通費だけは頂戴する。今春、同級生に呼びかけて候補樹木リストをもとにした樹木調査報告書Excel(25ページ)作成代は別だが、この日のためにこれまでに準備してきた作業はPower Point(20コマ)、Excel(3ページ)でのレジュメ資料の作成や参考図書の準備に費やした時間数は 4H×7日=28H にのぼるだろうか。
 樹木医事務所登記していれば費用の内訳は外観診断料(報告書作成含む)と宿泊費と交通費になるが、そうでなければせめて実費分は負担していただかないと後がつづかない。このことは正当な対価であり樹木医としての公私ともども社会規範のなかでオーソライズされた行為を貶めないための必要経費、とも思う。今回は縁故と恩義ある自分の生まれた土地ながら、費用はかかるものはかかるしと思うが、こういう場合の難しさを痛感する。すべからく無償ボランティアでいいはずがない。

 今回は樹木医として緊急的な治療は必要ないが、明確な年間管理計画の策定、希少な突然変異種の ガンボクエゴノキ などは樹木を管理する後継者がいないという問題、樹木医相当者不足、市当局の対応待ちとかの要因で課題がありまだまだの感がある。
 会場で新たに21本追加の巨木・名木樹木リストを入手した、ぜひとも現地ですぐ同行し調査したいところだが、わたしにしてみればかかる時間は構わないが遠方であってみれば動きにくく歯がゆい感じだ。そこではわたし自身の持ち出しも嵩むことになろう。出来るだけ謙虚に寄り添って行動したいところだが、地域の全般的な対応の難しさ、まあ、地元の人たちの動きが遅い、管理手法の無知や知識不足という現実もある。顔なじみが集まったサロン風な雰囲気ながらわが町の巨木・名木を大事に守っていこうという意識は感じられたが、これから今後、どういう展開になるかは不明なままである。いづれにしても、樹木の活力に応じて数年ごとの現調は必要になる。今のところ郷里の冠婚葬祭時に帰った際には動く予定でいる。

 ただ、わたしとしては樹木医活動はあらかじめお膳立てされたものではなくて、本来は巨木・名木は地域一体の財産であり自ら探して企画することが根本であり、単に野放図に資格や技術を誇るものではないと感じている。樹木医はいきなり計測器械による診断結果をもとめて完了とするのではなく、腐朽菌や病虫害の特定のみではなくて、生育環境に注目した直近の年間気象データ、地域特有の微気象やその地域の住民の生活上の愛護育成の経歴、由縁由来などをまず第一に考えて総合的な診断をするべきと思う。そして、やみくもに名の知られた巨木や名木を訪ねるばかりではなく、まずは身近な環境を自分の足と耳目を頼りに巨木・名木を探索するわずらわしさをも引き受けることかなと思う。



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樹木診断報告書の説明会開催について

2016年09月24日 04時56分54秒 | 樹木医の日々片々
秋雨前線が居座り天候不順の毎日、新職場着任、昨日の30年ぶりの大阪の旧友との再会、引き続きの県支部会内の研修会参加も現在は3回と慌ただしくわたしの日常は進む。10月1、2日にもある。
 そして、この3月に作成した5本の樹木診断報告書の説明会開催について田舎の中学同級生I君と打ち合わせが続く。有線の告知放送で呼びかけるとのこと。市当局も巻き込めるか、何人の参加者がいるか。Power Pointでの作成も久しぶりにやってみるか。
 このことは自分が仕掛けたことだけれど、当日の説明や資料準備を考えると妙に緊張がしている。10月9日に、場所はわたしの故郷、岩手県一関市内の公民館だが、前日に松枯れ病についての宮城県支部の松島町の宿泊研修会に参加予定。  
 経費やなんやからは自分の財布から持ち出しだ。わたしは高速道路を自分の軽自動車を運転し、二泊三日の予定で移動する。残っているテーダマツ、大スギの樹木調査、それに隣県の気仙沼の復興状況が見て回れるかどうか。
 当地で、身の回りには親しい樹木医はいない。新しい経験、遠出、出費がかさむ、さあっ、どうなることやら。
                    
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イチョウの樹勢回復ー大田区内マンション(再掲載)

2016年07月28日 04時29分44秒 | 樹木医の日々片々
 7/7付けの大田区内のマンションのイチョウの現地確認、樹木の経年変化の記事を、先回アップしたが、書庫の大清掃により新たに植栽・移植計画図、資料を見つけたので再度ここに載せる。
わたしがドラフターによる植栽竣工図及びイチョウの重量計算書や樹勢回復工事計画書もすべて手書きのアナログで表現したもの。イチョウの画像はデジカメ1葉、それにフイルムカメラ写真+作成資料はスキャンしたもので、編集的にはザックリしたものになり極めて見づらいがご紹介する。

【植栽平面図】

【平成28年7月】

【平成11年11月】

【昭和63年10月・樹勢回復工事着手前】

【樹勢回復工事№1】

【樹勢回復工事№1】

【樹勢回復工事№2】

  【移植計画重量計算書】 【樹勢回復計画書】


 付け加えると、ここでの資料はおおよそ28年ぶりに公開するものです。これで、当時のわたしの植栽設計、緑化計画の傾向や樹勢回復工事のレベル、全容がわかると思う。なお、私たちは開発業者からの推薦業者でもあったが、当時の造園受注工事金額7,800万円であった、今ではかなり高額と感じるが、これはバブル景気に向かうその頃の社会の経済情勢(物価高)によるものと推測している。
 わたしのこのブログをウオッチングしている方ならご存知と思いますが、樹木医的な活動と造園工事の実際的な行動をおこなっております。これらの実務経験を踏まえて植物について皆様の困りごとや問題にお答えしていきたいと思う。ご連絡をお待ちいたしております。
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イチョウの樹勢回復ー大田区内マンション

2016年07月16日 04時58分00秒 | 樹木医の日々片々

≪樹木調査治療事例≫
イチョウ H:15.0 C:2.30 W:10.0
昭和62年12月⇒平成元年10月
Sマンション: 東京都大田区内
事例名あるいは研究課題 :大田区保護樹木ーイチョウの樹勢回復
症状・診断所見等: 集合住宅の建て替え計画があり建築工事着手前に移植工事を行ったが、その後枝葉がしなだれ全体が衰弱し生育不良に陥った。原因はイチョウに近接する作業通路の通行者による踏圧と現場発生の盛土による土壌の圧密沈下にもとずく植栽地内の根系部の悪化とみられる。
具体的処置・方法等:イチョウ植栽地内の盛土の除去と、地表t= 500部分の現況土に有機質系土壌改良剤(バーク堆肥)を混入して耕耘し客土層の改善を行う。次に根鉢廻りをw600、d1400の形状に掘削しパーライトを入 れ敷きならし後に塩ビ管(150Φ)を5か所立上げて同材料を封入し、前記改良客土で立上り管を除き植穴全面を埋め戻した。
処置後の結果あるいは研究成果:萌芽、枝葉の伸長量が目立ち樹木の勢いが良くなった。
・・・・・・・・・・・・
 上記の記述は樹木医試験申込書内のイチョウの調査治療事例の一部ですが、先日思い立って7月7日、このマンション(14F建て)にかれこれ28年ぶりに現地へ行ってきた。これは当時の日本住宅公団(現在のUR都市再生機構)から民間開発業者が買い取り建て替えた物件。ゼネコンは竹中工務店で、わたしは造園会社で植栽を設計施工で請け負った時の担当者である。以下に植栽後の経年変化の画像をアップする。その頃はまだ、樹木医制度が発足する以前の話で、何とかしなければという思いで資料を参考に独力で樹勢回復工事を行った。











 そこで現在の全体の状況は、メイン通りの復元した桜(ソメイヨシノ)並木が鬱蒼と茂り、高木はケヤキ、ユリノキ、フウ類、カキノキ、マンション住棟裏側にはモウソウチクほか、またザイフリボク、ブルーベリー、ミツマタなどは初めてプランニングしたがそれらの中木は消滅し、低木の花色違いのツツジ類、アベリア、地被類はカロライナジャスミン、ビグノニア、ツタ、擁壁にかかるヘデラ・カナリエンシスなどが残っている。
 わたしは設計した者としては驚きと忸怩たる思いである。わたしの場合は、業務的に公共の植栽計画よりも民間主体に片寄っており植栽密度が過密傾向にあったのは否めない。都心から少々ずれたこの住宅地の緑化について、植栽の配植コンセプトは妙な言い方だが文部省唱歌 ≪里の秋≫ をイメージしたもの。
 管理状態について口を挟む立場ではないが、経年的な樹木の生長や自然淘汰とかの現象のほかに、わたしは普通の意味での今までの来し方を思う。当時のわたしは38歳、これからという時であったのか。その後の仕事環境や生活、家庭、世間の様々な変化を思う。
 外観的に、問題のイチョウの現況は萌芽状態は良くて、当時の C:2.30 がそのままで肥大生長せず高さは6,7mで芯止め(寸胴切り?)状態である。ただ、根元には踏圧の影響はないがルートカラーが見えず地下部が非常に気になる。剪定は過剰剪定気味で、なぜ衰弱に至っていないのかが不思議である。
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二本松霞ケ城公園の傘松

2016年07月06日 08時34分59秒 | 樹木医の日々片々
 これはおととし訪れた福島県二本松市の傘松です。福島県内の城下町は白河、会津とこの二本松である。この霞ケ城は丹羽氏の居城で、戊辰の頃の決死覚悟の年若い者達による 少年隊 の斬り込みが有名、今は、霞ケ城公園の入口では鶴田浩二の哀切に充ちた情景の歌謡曲が自動演奏でながれる。
 その頃はわたしはアパートに入り単身赴任中の身、そこから歩いて20分。季節は9月下旬、あの全国的に有名な菊人形展のはじまる直前の頃である。
 松の傘状の仕立て方法は数多く東北地方で見掛ける。葉張りは東西方向で14.0mとある。管理状態は極めて良好である。
                
                

                

                

                
                
                

                

                

                

                
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岩手県一関市、薄衣の傘松です。

2016年06月10日 04時53分07秒 | 樹木医の日々片々
2月の雪景色のなかの話、これは、故郷の近所の傘松です。場所は岩手県一関市、県の天然記念物 『薄衣の傘松』 です。昔、東北随一の北上川を上ること丘の上に生えており、かつて仙台城下に移植するかどうかで紛糾したとかで、殿の決定を取りやめさせた伊達の下臣の頓智がある由来の赤松です。

 当日は、朝方の粉雪がお白粉のように乗っていて清浄な気分、余所者気分の齢(ヨワイ)66のおじさんは震えながら巨木探索の旅を続けるのでした。
                                 
                  

                               
                  

                  
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これは樹木医関連の道具です。

2016年06月05日 06時46分46秒 | 樹木医の日々片々
今まで、物置や納戸に散乱放置していた工具類を整理した。やたらと道具を買い込みすぎたり工具箱からはみ出したり、特に刃物類をさび付かせたりして手入れが悪い。鋸・刃先の目立て、やすりや油を引いたりの手入れが必要だ。店を広げてみた。この際だから植木剪定用の腰道具は別にして、樹木医関連の道具画像をアップする。検土杖とウオーキングメジャーも引き出す。
 樹木治療用は入手した年は記憶にないほど昔で、ほぼ未使用である。刃先が真っ赤に錆び付いている。この道具は3.5万円はしたドイツ製?だったか・・・。どうやら、日本古来の大工道具と似かよう。また、それには細かい細工ができるように必要だと併せて盆栽セットも購入した。いずれもそのころ、大盤振る舞いで買ったようである。
 さて、これらを前に樹木医の見習いであるわたしは、玄関の上り框に胡坐をかいて、しばし有りうべき作業のイメージトレーニングをする。 
               
 
               

               

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蔵書の整理ー植物、造園と樹木医関連書籍について

2016年06月02日 13時33分06秒 | 樹木医の日々片々
 この春の大清掃によって、わたしの書庫の蔵書の整理をして残した本について、まず第一弾として 一般書とは区別して造園と樹木医関連書籍をアップする。CDやDVDは除く。

 植物図鑑類はまず総合的には、「園芸植物大事典」 ・「樹木アートブック」 ・「日本原色雑草図鑑」 ・「原色日本樹木図鑑」 ・「小笠原植物図譜」 ・「日本帰化植物図鑑」 ・「巨樹/巨木」 ・「日本の樹木」 ・「日本の高山植物」 ・「観葉植物」 ・「レッドデータプランツ」 である。樹種ごとには、椿/山茶花 ・カエデ ・桜 ・バラ ・オリーブ ・「しだ/こけ」 ・「IVIES」 があり、テーマ別には、「サボテン/多肉植物」 ・「ツル性植物」・「グラウンドカバープランツ」 ・「コニファー」 ・「花グラウンドカバー」 ・「葉でわかる樹」・「冬芽でわかる落葉樹」 ・「カラーリーフプランツ がある。
 ほかに他分野では、「原色日本の石」 ・「造園大辞典」 ・「山草事典」 ・「庭木と緑化樹」 ・「校庭のコケ」 ・「建築用語図解辞典」 ・植物名のラテン語を調べるための 「羅和辞典」がある。
 また、今まで日本全国各地の植物を見て歩いたのでその地方独自の植物誌や植物図鑑も所持している。
               

 園芸植物大事典全6巻、茶庭、上2段は植生、ヒマラヤ・ブータンの植生など。
               
 
 上原敬二先生の書籍、日本の植生、維持管理の講義録ほか。
               

 下段は樹木医関連に、上段には美術書、日本の伝統文様など。
               

中の段ではその地方独自の植物誌や植物図鑑を収納している。                                  

 ところで、これらは今では入手不可能なものもありそうで、せっかくの蔵書なのに、現状では宝の持ち腐れ気味であり、わたしとしては他への貸し出しは構わないと思う。当方あてに、連絡されたい。

               
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故郷の5本の巨木計測診断書を作成した。

2016年06月01日 03時59分04秒 | 樹木医の日々片々
年度末業務の成果品納品や急に決まった担当現場の住民説明会、引っ越しの手配、この3月は忙しかった。故郷の町内ほかへの挨拶回りもある。わたしの単身赴任生活もこれでいったん終了。故郷を離れるにあたって、巨木探索中の作業内容を、5本の結果を日本緑化センターの様式であるエクセルの調査票(A4版×5P×5)にまとめた。これは町起こしの一環ということで、ひとりわたしなりの無償ボランティア活動である。
 巨木の生育環境は田園風景の中ですが、作成に際し生意気なことを言うようであるが、手馴れた筈が妙に緊張感を覚えた。心情はおっかなびっくり、何度も検討を重ねた。多分、この調査資料がひとり歩きをするだろう。結果的に、わたし自身は緊急的な治療は必要なしと診断する。
 この樹木計測診断書を地元の市当局、実兄や同級生の知人や、先輩樹木医に託すことになった。地元の文化サークルから、帰郷時に講師として説明指導を依頼される。今度は、早くて夏のお盆休みになるだろうか。なお、詳細なデータを要望される場合はご連絡いただきたい。

 内容を写真に沿って箇条書き風に記すと、垂乳根イチョウ:樹齢600年25.0mC5.0mW12.0m、カヤ:樹齢200年18.0mC3.8mW8.0m、一本杉:樹齢400~500年14.0mC4.7mW10.0m、カヤ:樹齢100~200年12.0mC4.7mW20.0m、ガンボクエゴノキ は以前記したので割愛する。
 なお、後で判明したのだが、地元の住民が訪米帰りに持参して植えた北米原産種の三葉松 ≪リキダマツ≫ の古木もあるらしい、ほかにも町内の巨木探索作業はまだまだと思う。


                ≪垂乳根イチョウ≫
                

                

                

                              
                

                ≪カヤ≫
                

                

                

                ≪一本杉≫
                              
                

                

                ≪カヤ≫
                

                

                 




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2月21日

2016年02月24日 07時39分37秒 | 樹木医の日々片々

2月21日、郷里の知人宅へ、食用ギボウシの栽培状況を見る、意見を言わせてもらう。その後巨木探しに同行、一本杉、垂乳根イチョウ、カヤを見る。いずれも健全木で推定400年から600年の樹齢か、鄙にもまれなと思うが、思い直してみると至極当然である。関東や西日本の都市部では名木扱いになるかと感じた。場所を変えて北上川を越えて隣村の傘松を探すが、場所不明、次いで岩手県の南部の一関市内ただ一人の樹木医S氏を飛び込みで訪問。なかなかの大先輩との印象である。この世界の樹木医の活動状況や知られていない巨木探索についておうかがいする。帰りに大谷金鉱山資料館に寄り帰アパ、走行150km、次週も行くが、追って巨木の計測診断データを公開予定。以上、日記風に綴る。


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