うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

年輪のこと

2013年03月04日 05時20分18秒 | 樹木医の日々片々
3月1日、やっと春一番が吹いた。ところで、この間の讀賣新聞朝刊に岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の記事が載っていた。ここはわたしにとっていまだ未踏の地、かつては風光明媚で「高田の松原」と呼ばれていたところ。
 わたしはわが郷里のこともあり、東日本大震災関係はつとめて、雑誌や新聞の情報をスクラップしている。人災や物損のこと、津波を被った土壌、植生の復元、セシウムなどの放射能濃度の経年的な変化と除染問題などの被害の規模であるが、「奇跡の一本松」については悲しい災害からの復興のシンボルとして人工樹木を現地に復元すべく進められている。
 ところで、やっとこの松の樹齢が判明したらしい。江戸の天保10年(1839年)に芽吹き、震災後一年2カ月まで生きて昨年平成24年(2012年)5月に枯死と確認されたらしい。“173”歳ということになった。これは速報値で、木材組織学の学者の協力を得て、根元近くの輪切りされたものの年輪を目視で確認したとのことである。今後は詳細な計測が電磁的なことかX線をもちいて科学的な調査で明らかにされるのだろうか。歴史的に分かっているのは土木的に防風林(防潮・飛砂対策)として、昔、集団的に植林されたことによること。多分、当時のことだから実生苗木2,3年生を造林目的に植え込んだものだろう。現代で、「松原」 と言われる日本各地の海岸林の成立はこの時代のものだろうと推測する。ここは明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)にも耐えて育ってきた。
 わたしにとって、面白いのは、地元で言われてきたらしい、樹齢が“260”年以上とは異なっている。結果的に生育年数が3割ほど水増しされていることだ。あの長命樹木で知られる屋久島の縄文杉もかつては6,000年と言われたものだが、最近になって3,000年弱とされたがなかなか実年齢を把握するのは以前までは難しいことだった。
 このブログでとりあげた、宗像神社の御神木も樹木医の診断(2001年11月4日)では450年から600年とされていたが、年輪計測では実際は210年であった。年数には2倍以上の開きがある。まあ一般に樹木医と言っても、庭木や都市緑化木のみを相手にする造園業界出身者の判断には無理がある。経歴的には、実務にたずさわる林業関係者や植物学者の判定に信頼を持てると言えそうだ。
 そして、愛着を持つがゆえの素朴な疑問や一般的に文化財や観光価値に注目する反面、直接的に業務に関係している者には樹齢をそれほど顧慮する必要性もないのだ。
 これからは、科学的な樹齢計測が確立され、樹木の生育特性も含めてデータ化されるのだろうが。

 最後に、この一本松は樹種的に クロマツ か アイグロマツ か知りたく思う。どなたか実見した方の情報を待っている。この辺には三陸海岸なのに アカマツ がまばらに自生しているとも聞いているが。
        
コメント
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