『ネトゲ廃人』 芦崎治著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4903722163&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
スペースインベーダーやファミコンがブームになった1980年代、ぐりは小学生だった。先日Ⅸが発売された『ドラゴンクエスト』シリーズが最初に登場したころは中学生だった。
世代的には初期のゲーム世代にあたるはずだけど、ぐり自身はゲームとゆーものをいっさいやらない。親がやらせなかったというのもあるかもしれないけど、大暴れしてねだり倒してゲームウォッチを買わせた次妹もどういうわけかゲームはそれっきりだったし、友だちの家にゲームをやりに行っていた末妹もいつのまにかやらなくなっていた。社会人になって仕事でゲームに触れるようになっても、まったくそのおもしろさはわからない。関心もわかないし、全然入りこめない。体質的に向いてないのかもしれない。
だから以前の職場であるオンラインゲームが大流行して、スタッフの多くがハマりきって徹夜までしてプレイして、昼間は揃って会社でぐうぐう寝てるなんて現象にはまったくついていけなかった。同僚同士がゲーム上で待合せして、オンラインでいっしょに遊んで、会話して・・・って意味わからんわ!みたいな。だって会社で会えるじゃん。喋れるじゃん。なぜに!?
この本の著者も実はゲーマーではない。たまたま学生時代の友人に著名なゲームクリエイターがいた縁でゲームライターになっただけで、個人的にはとくにゲーム好きというわけではない。
だからゲームの知識はそれなりにあっても、そこにハマる「ネトゲ廃人」に対してはかなり突き放して冷静に見ている。1年かけて取材したという廃人たちは数もすごいし地域的・生活背景的な広がりにしても相当な広範囲に及ぶ。果てはネトゲ中毒が社会問題化したインターネット先進国・韓国の取組みにもアクセスしている。
とはいえそれほど専門的な本でもないし、誰が読んでもわかりやすい読み物にもまとまっていて、それでいて鋭い示唆にも満ちている。おもしろかったです。
ぐりは普段、人身売買や未成年の売春・薬物濫用問題についての資料はときどき読むけど、この本を読んでいてなぜか既視感みたいなものをやたら感じた。
世間の大人は、ホスト遊びや援助交際に走る子やドラッグに手を出す子を「不良」「非行少年」などといってただ責めるけど、子どもがそこまで行ってしまうのには必ずそれ相応のわけがある。何の理由もないのにいきなりそこまで行く子はいない。どの子も、家庭や学校で何らかの問題を抱え、精神的に傷つき、追いつめられて、逃げるようにして転落していく。本人にその自覚があるかないかは場合による。
ゲームも似たようなものだ。ゲームはただそれだけでは害はない。たかがゲームだ。だがそこに救いがたいまでにハマりきってしまうには、ゲームの外の現実世界から逃げたいという潜在的な欲求があるからだと思う。とくに不安定な子どもはいつでもどこでも逃げ場を探している。バーチャルな世界はうってつけの避難所になる。繁華街や不良グループに逃げ場を見い出す子もいれば、バーチャルに逃げる子もいるというわけだ。
でも避難所はせいぜい避難所でしかない。インターネットもそうだけど、ぐりは個人的には子どもにはバーチャルワールドは必要ないし、害もあると思っている。現実世界すらわからない子どもには、バーチャルとリアルの区別がつかないからだ。
この本に登場するハードゲーマーの多くが、「自分が親なら子どもにはやらせない」という一方で、夫婦でハマって毎晩子どもをほったらかしでプレイしまくり挙句に「うちの子はゲームに理解がある」というゲーマーもいる。
どちらがまともな感覚なのか、ぐりはあえて判断はしないでいようと思う。ただ、この一例をとりだすだけでも、「ネトゲ廃人」の世界の広がりの一面が窺えるような気はした。
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スペースインベーダーやファミコンがブームになった1980年代、ぐりは小学生だった。先日Ⅸが発売された『ドラゴンクエスト』シリーズが最初に登場したころは中学生だった。
世代的には初期のゲーム世代にあたるはずだけど、ぐり自身はゲームとゆーものをいっさいやらない。親がやらせなかったというのもあるかもしれないけど、大暴れしてねだり倒してゲームウォッチを買わせた次妹もどういうわけかゲームはそれっきりだったし、友だちの家にゲームをやりに行っていた末妹もいつのまにかやらなくなっていた。社会人になって仕事でゲームに触れるようになっても、まったくそのおもしろさはわからない。関心もわかないし、全然入りこめない。体質的に向いてないのかもしれない。
だから以前の職場であるオンラインゲームが大流行して、スタッフの多くがハマりきって徹夜までしてプレイして、昼間は揃って会社でぐうぐう寝てるなんて現象にはまったくついていけなかった。同僚同士がゲーム上で待合せして、オンラインでいっしょに遊んで、会話して・・・って意味わからんわ!みたいな。だって会社で会えるじゃん。喋れるじゃん。なぜに!?
この本の著者も実はゲーマーではない。たまたま学生時代の友人に著名なゲームクリエイターがいた縁でゲームライターになっただけで、個人的にはとくにゲーム好きというわけではない。
だからゲームの知識はそれなりにあっても、そこにハマる「ネトゲ廃人」に対してはかなり突き放して冷静に見ている。1年かけて取材したという廃人たちは数もすごいし地域的・生活背景的な広がりにしても相当な広範囲に及ぶ。果てはネトゲ中毒が社会問題化したインターネット先進国・韓国の取組みにもアクセスしている。
とはいえそれほど専門的な本でもないし、誰が読んでもわかりやすい読み物にもまとまっていて、それでいて鋭い示唆にも満ちている。おもしろかったです。
ぐりは普段、人身売買や未成年の売春・薬物濫用問題についての資料はときどき読むけど、この本を読んでいてなぜか既視感みたいなものをやたら感じた。
世間の大人は、ホスト遊びや援助交際に走る子やドラッグに手を出す子を「不良」「非行少年」などといってただ責めるけど、子どもがそこまで行ってしまうのには必ずそれ相応のわけがある。何の理由もないのにいきなりそこまで行く子はいない。どの子も、家庭や学校で何らかの問題を抱え、精神的に傷つき、追いつめられて、逃げるようにして転落していく。本人にその自覚があるかないかは場合による。
ゲームも似たようなものだ。ゲームはただそれだけでは害はない。たかがゲームだ。だがそこに救いがたいまでにハマりきってしまうには、ゲームの外の現実世界から逃げたいという潜在的な欲求があるからだと思う。とくに不安定な子どもはいつでもどこでも逃げ場を探している。バーチャルな世界はうってつけの避難所になる。繁華街や不良グループに逃げ場を見い出す子もいれば、バーチャルに逃げる子もいるというわけだ。
でも避難所はせいぜい避難所でしかない。インターネットもそうだけど、ぐりは個人的には子どもにはバーチャルワールドは必要ないし、害もあると思っている。現実世界すらわからない子どもには、バーチャルとリアルの区別がつかないからだ。
この本に登場するハードゲーマーの多くが、「自分が親なら子どもにはやらせない」という一方で、夫婦でハマって毎晩子どもをほったらかしでプレイしまくり挙句に「うちの子はゲームに理解がある」というゲーマーもいる。
どちらがまともな感覚なのか、ぐりはあえて判断はしないでいようと思う。ただ、この一例をとりだすだけでも、「ネトゲ廃人」の世界の広がりの一面が窺えるような気はした。