百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ふぅふ

2008年02月03日 | 千伝。
父が生きていた頃は、斜め読み・・亡くなって父が書いた自分史を真剣に読んでいるこの頃・・。

父が子供の頃に、父の両親は、すでに共に亡くなっている。
ほぼ同時に、それから22歳まで、そのほとんどを父は、南方の異国で過ごしている。
父には、兄がいるのだが家を出たままのような極道者の道楽者で、その後神戸で一生を終えている・・そんな兄を恨むこともなく、健気にも実家に残した祖父母と弟妹のために毎月仕送りをしている。
16歳の時に、ダイヤの売買で、すでに貯金が4000円あったという・・将校でも持っていない大金だったとか・・?!

終戦後、クアランプールで武装解除、捕虜生活・・シンガポールから日本に帰国している。
その間の出来事が、自分史の半分を書き占めている。

福井県出身の作家 水上勉氏もそうであるが、尋常小学校しか出ておらず、二等兵以下の初年兵としての軍隊生活は、悲惨としか言いようがない。

終戦時、国際法に明らかに違法となるガス弾の海洋投棄の際に、証拠隠滅のため全く罪のない現地の漁船の船員達を、上官の命令で命を奪った酷さを書き残している。

また、いい加減な軍人がいたもので燃料となるガソリンのドラム缶を現地人に闇で売り渡して遊び金を作って、夜になるとチャイナ服に着替えて遊びにゆく大学出の若くて頭のよい将校。

ただ父の場合は、ハーレのオートバイやフォードの車、工兵隊での高速艇の修理、操縦・・手旗信号員、調理の炊事係、事務員、船員・・そして、伝染病の腸チフスだった上官の付き添い看護役等々・・父は、あの時期にありとあらゆるものを身につけたと語っている。

さらに、自分が辿った地名と出会った人物名と背景を異様なぐらい憶えており、全部実名で書き記している。
中国の安慶での淡い初恋の話・・上海語やマレー語を少々話す能力があったように思える。

父は器用で、休むことなく、いつも動き回っていた。
実家の井戸水と上水道の切り替える方法も考えて、その装置も作っていた。
庭木も植え、噴水付きの池も作り、自分流の庭を造っていた。
犬小屋も鳩小屋も自分で作っていた。
さらに、初孫が出来たときには、孫のために小さなプールまでも自分で作った。
全部、自分の人生を手作りで終えた。

父の人生には、到底真似できない真面目さが凝縮されている。

その後、父は、母と結婚して家庭を築いた。
よく手をつないで歩いていたが、キスをしたことがない・・そんな世代だとか・・。

昨日、二月二日は、夫婦の日だとか・・。
十一月二十二日は、いい夫婦の日だとか・・。

父と母の物語を何かの形で記録に残しておきたいと思った。

今日は、節分・・鬼は外、福は内。

我が家の・・我ら夫婦は、これから一体どこへ吹かれて行くのやら・・。(ふぅ)

Have a nice day !