ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

身心脱落

2008年02月12日 | 千伝。
父の月命日・・座禅をして参りました。

すべての無駄なものを削り取ったダビデ像のようでした。

無駄が迷いをつくり欲望が人生を阿弥陀籤のように迷路にします。

目のまえの一つのことに集中して体全身全霊が一つにまとまります。
掃除をする時は、全身が箒になったり雑巾になったりすると無駄がありません。

座禅の間は、宇宙と一体になったり意識が体と遊離した御仁もあるとか言います。

雑念を一掃した姿がすなわち「禅」という教えでしょう。

座って息を感じれば、その息と一つになる・・。
観念は目の前の事象と合体して一つになる・・。

「日常 往生」日々の生活そのものが、すなわち修行である意味がよく理解出来ました。
 
すべての仕事は、究極的に肉体労働の気がします。
タフでなければマラソンだって完走できないように、すべては元気から生じるようです。
肉体労働を念頭に置き、仕事と一つになるべく、明日も修行です。

身も心もすべて、仏の世界に投げ込み、仏に下駄をあずけて、自分の肩の荷を下ろすことを、「身心脱落・しんじんだつらく」と言うそうです。