ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

希望の尊敬

2012年11月12日 | 千伝。
昨日、11月11日は、介護の日でした。

現場からの報告では、昭和ヒトケタ生まれの男性の要介護者が急激に増加しているとのことです。

日本のお年寄りの体も、どんどん大きくなります。

現場で、介護をするのには大きな負担になります。

あと10年後には、日本の団塊世代の方々の多くが、続々と要介護者の仲間入りをする時代になります。

その時になって、介護難民という問題が、社会としての深刻な国家としての存続問題となるかもしれません。

受け入れる施設がどんどん作られても、全く足りないというのが現実なのです。

しかも、介護のお世話をする人間も全く足りないという近未来の日本社会の状況が見え隠れするのです。

とりわけ、大都市圏では、深刻な問題です。

ならば、家庭での身内介護となれば・・地獄図絵のような状況が想像できます。

一日24時間・・3度の食事介助、5回のオムツ交換を、誰がするのか?・・という現実問題です。

国家の根幹となるのが、社会福祉です。

この社会福祉が欠陥システムとなると、市場経済も国家行政も巧く働きません。

自分でトイレにも行けない、自分で食事も出来ない・・その方々が入る施設も無い。

ピンコロリと逝くのも難しいのです。

我々世代も、近いうちに、いづれは要介護の仲間入りになります。

長生きという寝たきり人生の終末期を、幸福とは言えません。

見送る側が、つらいのですが、人に惜しまれる頃に逝くのが、いちばん素敵な死に方だと感じるようになりました。

その見送る人間が、極端に少なくなっていくのが、日本の超高齢少子化社会なのです。

老いるということに、都会も、地方も、都市も、田舎も・・関係ありません。

どれぐらい人を喜ばせたのか? 笑わせたのか? 影響を与えたのか?・・人生の尺度です。

かつての老人は、尊敬されていたのです。

日本人ひとりひとりが、向き合う人生の終焉で「ありがとう」と言える人が、ひとりでも多く言える尊敬社会・・。

・・そんな福祉国家になることを希望します。