ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

岡崎市百々町。

2020年09月28日 | 日本の百々巡り。

岡崎市のICを降りると、「徳川家康の生誕地」と書いてある大きな看板が目に入ります。

そこから北西の方向に7キロほど向かうと百々町に辿り着きます。

事前学習したにも関わらず、岡崎市の百々町は、想像していた以上に住宅新興地でした。

百々西町は、人口が増えているとの事。

そのせいか、立派な保育園もありました。

その校章?、園章が、ユニークでした。





室町時代、この地に百々城があったとのこと。

豊臣秀吉の時代、徳川家康が関東に移封された時、廃城になったとのこと。

百々城の城主は、松平家の家臣だった青山家だったとのこと。

その青山家は、江戸時代に入ると、美濃の郡上八幡の藩主となります。

「岡崎は江戸の故郷」とも言われています。

東京の青山通りの地名の謂われは、青山家の屋敷跡。

新宿御苑の内藤町の謂われも、三河武士内藤家も岡崎から、徳川家康とともに江戸へと引っ越しした屋敷跡。

さらに、半蔵門は、伊賀一族の服部半蔵の名が由来だとの事。

二代目服部半蔵(正成)も、岡崎生まれ。

そういえば、百々町に入る手前に、伊賀新町という町名がありました。

それでは、岡崎の百々町は、百々一族と関わりが有るのか無いのか?

・・・疑問です。

強いて、無理矢理に共通項を考えてみました。

青山家のルーツが、岡崎の百々であるならば、その後、藩主となる郡上八幡の盆踊り「春駒」、百島の盆踊りの最後の演目が「春駒」と重なっている事ぐらいかなぁ?

百々公園の近くに暮らす自治会副会長さんに尋ねると、百々という地名の謂われに関しては、昔、百々城があったという認識しかないとのこと。

お隣りの豊田市にも百々町があるのを御存じですか?の問いには、ほとんどの方々が知らないとのことでした。

今一つ、今百つ、モヤモヤ感が残る達成感無しの取材体験でした。

しばらく、百々公園で自省反省。



さて、この岡崎市百々町から直線にして約15キロ程度の位置にある豊田市百々町を目指すことにしました。

矢作川の葵橋を渡リ、豊田市に入りました。

岡崎市百々町の方々に感謝❗

また、訪ねたい岡崎市百々町です。



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