七越峠は、泉州と紀州の国境である
富田林から国道170号線で南へ ~和泉市で国道480号線に入り ~狭いクネクネ道を登って行く ~頂上の鍋谷峠は大阪府と和歌山県の境界である ~この峠から林道に入り北東へ約1Kmで七越峠茶屋跡だ
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桜の頃は大変美しいと思われます
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気温は2℃
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右まきの・・・ 左やまと・・・ と刻まれている
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石碑には次のように刻まれている
七越峠は、紀州と泉州の国境にあって、西国観音霊場や高野山への参詣道、また紀泉両国を結ぶ生活道の要衝であった。
この峠に茶所がいつごろ置かれたかは明らかでないが、嘉永2年(1849)の記録に 「竜宿山七越峠、泉紀国境に常接待」 「七越茶わかし」 とみえることから、江戸時代には置かれていたことがわかる。 茶所は、昭和初期まで、地域住民や茶所世話人衆によって維持され、旅人の憩いの場として親しまれてきた。
しかし、その後、交通手段の急速な発達に伴い、利用者が減少し、ついに廃止され、今日に至った。
ここに、往時の茶所をしのんで、碑を建立する。
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立ちのぼる 月のあたりに 雲消えて
ひかり重ぬる 七越乃峯
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この林道を進めば槇尾山らしいが車は通行できないようなので引き返す
車で訪ねた七越峠、昔の幹線道路と茶屋を偲ぶ杉林の中のひと時でした
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