大阪府南河内郡千早赤阪村の楠木城跡( 上赤坂城跡とも呼ばれる ) へ行って来た。
千早赤阪村は、大阪府下で唯一の村で、金剛山や楠木正成の出身地として知られる
国史跡 楠木城跡(上赤坂城跡)
標高349.7m。 比高150m。
自然の険しい地形を利用した中世山城です。 小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。 鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成 (1294?~1336 ) によって築城されたといわれています。 元弘3年(1333)、平野将監と楠木正季は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ陥落しました。 ・・・・ 現地説明文より
千早赤阪村水分で、国道309号から広域農道へ入り 1Kmほど走ったら 「 上赤坂城跡 」 の看板がある、ここを左手に入ればすぐに登山口、6~7台停められる駐車場がある
登山口を入ればすぐにV字型谷のような登山道
途中には説明版、
三の木戸 ~ そろばん橋 ~ 茶碗原 の看板を過ぎて
ちょっといい感じの木の根道
この先が 「 本丸下 」
ここから ぶ厚い落ち葉の坂を上ったら本丸
本丸 ここも全面落ち葉の絨毯
背丈以上の大きな石碑 史蹟 楠木城阯 ( 上赤坂城阯 ) と刻まれている
そして西側に大阪平野の眺望が広がる
残念ながらかなり霞んでいてあべのハルカスもはっきりわからない、大阪市街のビル群もはっきりしない
PLの塔はハッキリわかる
遠くは生駒山でしょうか?
すこし休憩して本丸から下る
本丸への登り口に分岐があり、この案内板がある
「 国見山城跡・猫路城跡・金剛山 」
猫路城って変わった名前だ、行ってみよう! と山の中を歩く
人が歩けるだけの狭い道、ちょっと下ったら いきなり倒木
雑木林や植林の中を ~緩い坂や、踏み跡らしき道を ~ 30分余歩く
やっと猫路山城跡へ着いた
城跡らしきものは何もない、植林と雑木林が混じった山の中である、眺めもない、石垣もない
城跡とわかるものはこの案内板のみ
往時、この地は上赤坂から金剛山方面への街道だったのだろうか? 猫路山城の説明板も何もない、
国見山城跡まではまだかなり遠いのか? 金剛山まではかなり遠そうだ、今日はこのあたりで終わりにしよう 、、、 帰り道で遭難しないよう、踏み跡や景色に注意しながら引き返す
3時間弱 ちょっと寒さも緩んだひと時、山ン中の徘徊でした
千早赤阪村は、大阪府下で唯一の村で、金剛山や楠木正成の出身地として知られる
国史跡 楠木城跡(上赤坂城跡)
標高349.7m。 比高150m。
自然の険しい地形を利用した中世山城です。 小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。 鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成 (1294?~1336 ) によって築城されたといわれています。 元弘3年(1333)、平野将監と楠木正季は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ陥落しました。 ・・・・ 現地説明文より
千早赤阪村水分で、国道309号から広域農道へ入り 1Kmほど走ったら 「 上赤坂城跡 」 の看板がある、ここを左手に入ればすぐに登山口、6~7台停められる駐車場がある
登山口を入ればすぐにV字型谷のような登山道
途中には説明版、
三の木戸 ~ そろばん橋 ~ 茶碗原 の看板を過ぎて
ちょっといい感じの木の根道
この先が 「 本丸下 」
ここから ぶ厚い落ち葉の坂を上ったら本丸
本丸 ここも全面落ち葉の絨毯
背丈以上の大きな石碑 史蹟 楠木城阯 ( 上赤坂城阯 ) と刻まれている
そして西側に大阪平野の眺望が広がる
残念ながらかなり霞んでいてあべのハルカスもはっきりわからない、大阪市街のビル群もはっきりしない
PLの塔はハッキリわかる
遠くは生駒山でしょうか?
すこし休憩して本丸から下る
本丸への登り口に分岐があり、この案内板がある
「 国見山城跡・猫路城跡・金剛山 」
猫路城って変わった名前だ、行ってみよう! と山の中を歩く
人が歩けるだけの狭い道、ちょっと下ったら いきなり倒木
雑木林や植林の中を ~緩い坂や、踏み跡らしき道を ~ 30分余歩く
やっと猫路山城跡へ着いた
城跡らしきものは何もない、植林と雑木林が混じった山の中である、眺めもない、石垣もない
城跡とわかるものはこの案内板のみ
往時、この地は上赤坂から金剛山方面への街道だったのだろうか? 猫路山城の説明板も何もない、
国見山城跡まではまだかなり遠いのか? 金剛山まではかなり遠そうだ、今日はこのあたりで終わりにしよう 、、、 帰り道で遭難しないよう、踏み跡や景色に注意しながら引き返す
3時間弱 ちょっと寒さも緩んだひと時、山ン中の徘徊でした