Bike&SlowLife

バイクとカメラを愛し、自然を愛し・美しい風景を愛して、ゆっくり生きてる奈良県に住む気分は若者の雑記帳です。

宝山寺から生駒山頂へ歩く

2017-12-29 | 信貴生駒山系 奈良県/大阪府
もうすぐ新年、平成30年=2018年がやってくる、忙しい人にも・暇な人にも平等にやってくる。

国道168号線を北へ ~ 近鉄生駒駅横の狭い曲がりくねった道を上って行く ~ 宝山寺境内の駐車場は進入禁止で、もう少し上の駐車場に停める
宝山寺境内の駐車場では、忙しい人達が新年に向けて露店の準備をしていました。



石段の上には門松が、すっかり迎春の準備は完了


石段の両側や、いたるところに寄進額を刻んだ石碑が所狭しと並んでる

 


私の頭は煩悩だらけ、どうしてもこんなのに目が行ってしまう





境内は石段だらけ、奥の院へ向かう両側には石仏様がお出迎え??


暖かそうな方や


寒そうな方等々


大師堂前から左へ向かえば生駒山への登山道

登山道はケーブルカーの梅屋敷駅の横を通っている


なかなか可愛いケーブルカーです


こんな登山道が続く




この石段を登り切ったら広い駐車場、 駐車場は閑散としている


まだ階段は続く、この階段を登り切ったら山上遊園地だ



山上遊園地
ケーブルカーの生駒山上駅前から撮影、駅前に二人居てただけ
山上遊園地は 12月1日から翌年3月16日まで冬季休園です、寒々とした光景に冷たい風が流れる

山上からの眺めは、大阪側も奈良県側もボヤッ~としてかなり霞んでいる

山上の休憩所で、30歳台後半とおぼしき女性が二人、カップラーメンを食べながら缶ビールを飲んでいました


山上をうろうろしてから往路を引き返す



駐車場のそばから見る生駒の街並み


年末の寒い中、3時間余の宝山寺と生駒山の徘徊 ・・・ 歩数計は 9,044歩 になっていました


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大神神社から山の辺の道を歩く

2017-12-27 | 奈良県北部
年末恒例の " 末詣 "   
 奈良県桜井市三輪の大神神社へ行って~山の辺の道を桧原神社まで


師走というか、歳末の候というか、何かと慌ただしい雰囲気の寒空の下、日本最古の官道と言われる “ 山の辺の道 ” を歩いてきました。

大神神社から桧原神社まで、約1.5Kmです、大神神社はそこそこの参拝者がいたが、山の辺の道を歩く人はホンの少し、冬の寒い風景に寂しさを感じさせる雰囲気でした。



道路沿いの巨大鳥居





 この程度の参拝者、途切れることはない


これも巨大、ちょっと怖そうな顔をしてますね


巳の神杉、樹齢は400年余らしい
この神杉の洞から白いヘビが出入りするそうです、巳さんの好物 神酒・卵が供えられています

大神神社参拝のあとは、山の辺の道を 桧原神社へ向かう






大和国原を一望にする 大美和の杜展望台より
 左端に大和三山の耳成山、その右に大鳥居、右端遠くに二上山が見える





狭井神社
 三輪山への登山口は、この神社前
 この山は大神神社のご神体で神聖な山、山での飲食・写真などは禁止である


狭井神社の鎮女池 ( しずめいけ ) に映り込む赤い鳥居・社が美しい



万葉歌碑です
 “ 狭井河よ雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ風吹かむとす ”

今の狭井川は万葉の時代の面影もなく変わり果てたお姿になっていました (泣)!



寒い冬景色の山の辺の道


玄賓庵


路傍の石仏等は新しい花が供えられ、こ綺麗いにされている



桧原神社へ着いた、先客は一名のみ



桧原神社より、向こうの山は二上山

 “ うつそみの 人にある我や 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む ”
 悲劇の大津皇子の姉・大伯皇女が詠んだ二上山が注連縄の向こうに見えます

 万葉人は、二上山の向うに西方浄土を見たのでしょうか?
 ここから見る、二上山に沈む夕日・夕焼けは形容のしようもない美しさです




大神神社から1.5Km も来てしまった、これ以上歩くとヒザが笑う   引き返そう


 一首 詠んでみました

   “ 万葉の昔を偲ぶ 山の辺の 一人寂しく 古道を彷徨う ” ・・・・ 駄



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃尾の滝から大国見山へ歩く

2017-12-25 | 奈良県北部
今日も天理市石上町の大国見山を目指して歩いてきた

先日は、名阪国道沿いの天理市岩屋町からのルートを歩いたが、今日は天理市の桃尾の滝から登るルートを歩いてきました。



桃尾の滝は、天理市内から天理ダムへ向かう旧国道25号線から入って行く


25号線沿い、天理ダムへ向かって左にこの案内板と大きな石に桃尾の滝と刻まれている




狭い道を入って行くと駐車場があり、すぐに滝がある、なかなか美しい滝です

ここ桃尾の滝は、布留の滝とも呼ばれ、古くから行場として知られ、古今和歌集にも詠まれており、紅葉の頃が美しい。 このあたりは和銅年間(奈良時代初期)義渕僧正によって開かれた龍福寺の境内地で、 その後、百年ほど経て弘法大師空海が精舎を興し、眞言秘密の大道場にしたと伝えられている。 明治になって廃絶したが、かつての阿弥陀堂跡には、 現在報親経大親寺の堂が建ち、点々と残る堂塔跡の苔むした石垣に、往古の面影をしのぶことが出来る。   ・・・・・ 現地の説明文です



滝前の案内板


すぐにコンクリ舗装の急坂! 写真の撮り方が悪くて急坂に見えませんが・・・
濡れた道で滑って転びそうなので、端の階段を歩く


こんな景色を見ながら


急坂でロープが張ってある


こんな石碑や


山の自然石に彫った仏像等を見ながら上る

急坂を上り切って少し歩くと大親寺




龍福寺跡の石碑、3mほどありそうです
 苔生した岩に落ち葉がいかにも寂しそう、往古の面影が偲ばれる






丸太の橋を渡ると案内板が渓流の中へ進めと言っている! 指示どおり進むとすぐに登山道へ出たが


ロープ付の道らしくない道だ


頂上までまだまだ
先ほどから雨がポツリポツリと 、、、、 そんなに降らない感じなので頂上目指して歩く





こんな狭い坂道を通って


湿った落ち葉が美しい


もう少し歩いたら、先日通った 岩屋町ルートとの合流地点が見えた


合流地点の案内板

山頂まであと500m と言っても簡単には着かない、それにポツリポツリの雨がやや強くなってきた

撥水のジャケットを着てるが、ズボンはだめだ、 引き返そう



苔生した切株に乗ってる濡れた落ち葉が美しい




桃尾の滝から少し下の石上神社
鬱蒼と茂る木々の中で、苔に覆われて静かに佇む神社


雨に邪魔されて頂上まで行けなかったが、滝・登山道脇の渓流・石仏・奈良時代を偲ぶ神社跡などなかなか興味深いコースで、季節が変わればまたまた歩いてみたいです。

   
 6,000歩弱の健康山歩きのひと時でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氏神様へお詣りしてきました

2017-12-24 | 奈良県北部
4か月に1回程度我が地域の氏神 (うじがみ) さまへお詣りしています、燈明を灯して、参拝します。  
氏子 (うじこ) が順番に毎日お詣り、今日は我が家の当番。

宗教心はありませんが、なんとなく氏子になって、なんとなく参拝しているだけです。



       



▽ 神社本庁HPより

 全国の神社については、皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。
 氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。

 元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。


 ちょっと調べてみたら、上記のようです。
   今日も ひとつ賢くなりました、これも神様のおかげでしょうかねぇ~


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橿原神宮は新年~畝傍山へ登る

2017-12-20 | 奈良県北部
今日もいい天気

少々寒いが、家に籠っていては体に良くない、 健康にいいことをしなければッ  橿原神宮へ来年の絵馬を見に行こう、そして後ろの畝傍山へ登ろう ・・・ と出かける



拝殿の前、広い庭に人はほとんどいない、3人いただけ
後の山が大和三山のひとつ “ 畝傍山 ”


神宮は紀元2677年、平成30年、2018年だ


例年通りの巨大な絵馬


お犬さまを拝んで畝傍山へ向かう


登山口から緩い坂が続く


15分程歩いたら視界が少し開けて二上山が見える
 手前の斜めに走ってる道路は 高田バイパス( 南阪奈道路の奈良県側 )


登山道は狭くなって、坂はややきつくなる所もあるが、そんなに険しい道じゃない


木々の向こうに陽射しを受けた紅葉が輝いている


登山口から35分で頂上へ着いた
頂上に建物は無い、「 畝火山口神社社殿跡 」 と刻まれた石碑のみ


▽ 以降 頂上からの眺めです


右が葛城山、左が金剛山 だと思う


右端に二上山が見える
 中央に白く斜めに走るのは高田バイパス


中央に黒っぽく伸びているのは京奈和道だろう
 左端に遠く霞んでる山は生駒山だろう


ちょっと場所を変えて撮る、 大和三山の一つ “ 耳成山 ”
周りはすっかり都会になってしまって、万葉時代の大和三山の面影はなくなってしまったように思いますネ




下山途中に登山道を少し離れて撮影  二上山と高田バイパス


下山は上りと違うコースを通ったらだいぶ遠回りになってしまった。
神宮と畝傍山をうろうろ歩いて 2時間半、8,971歩の 健康的なひと時でした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神武天皇が登った国見山

2017-12-19 | 奈良県北部
奈良県御所市原谷の 国見山へ登ってきました。


場所は京奈和道・御所南ICの少し東である


JR和歌山線の掖上駅の横から狭い道を入って行ったら、この案内板があり、すぐ先に鳥居が見えた


国見神社は、国見山の麓 生い茂った杉林の中に静かに佇んでいた


参道は 石段に緑の苔で歴史を感じさせる






圀見( 国見 )神社の沿革 < 現地の説明文より >

 日本神話によると、天照大神の命により、天孫降臨の神話の主役をなす天孫瓊瓊杵尊 ( ニニギノミコト ) が高天原から高千穂の峰に到達し、九州日向国を定住の地とし宮殿を建て事業を推し進めた。

 事業継承三代の時 「 東方に、青山をめぐらした美しい国 ( 大和 ) があり、この国こそ天業をおしすすめるのに最適の地であり、必ずやまつりごと ( 政 ) の中心となるだろう 」 と決意して東方の国を治めるべく東征の途についたのが、神日本磐余彦尊 ( カンヤマトイワレヒコノミコト ) 初代 「 神武天皇 」 の一行である。
難波 ( ナニワ ) から大和に入ろうとしたが抵抗強く、海路苦難の末、熊野の地に上陸、抵抗する士賊を排し、ようやくこの地を安住の地と決められた。

 日本書紀によれば、神武天皇は、夏四月、腋の上( ワキノホトリ ) 嗛問丘 ( ホホマノオカ ) に登って国見され 「 なんとよい国を得たものだ、内木綿 ( ウチユウ ) の狭い国だが、蜻蛉 ( トンボ ) の臀呫 ( トナメ )( 交尾 ) のようだ 」 と言われ、以後この地を秋津州 ( アキツシマ ) と呼ぶと記載されている。 のちに この丘を 国見山 といわれるようになった。




神社の横が登山口


緑の中に 黄一点


急坂はないが ダラダラとした坂が続く


約20分で 標高230mの頂上へ到着
左後方は葛城山か? 手製のイスとテーブルと 石柱


頂上の石柱には 神武天皇聖蹟傳説地 と刻まれている
 左の面には 嗛間丘( ホホマノオカ )と刻まれている


▽ 神武天皇も見たてあろう景色?


後方は葛城山かな?




後方中央やや右に 南阪奈道路の高架らしきものも見える

南北の方向は木が繁ってあまり見えない



西暦2017年は 皇紀2677年、
神武天皇が見た景色は 2600年以上も昔だ、どんな景色だっのだろうか?

南阪奈道路もなく、京奈和道もなく、建物もほとんどなく、トンボが飛んで、もっと自然がいっぱいで素晴らしい景色だったのでしょうねえ




ちゃっと離れて見る 国見山 ( だと思う )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月19日の朝焼け

2017-12-19 | 夕景・朝景



午前7時頃、我が家から撮影  いつもの “ 電柱のある風景” です

いつも家の窓が赤くなったら外へ出て、空の様子を見て撮ってます。 
もう少し良い所へ行って撮ったらいいのですが、そんなことをしてたら朝焼けは終わってしまいます、いい場所へ行って待ってても焼けるかどうかわからないし ・・・

午前7時半、 室内温度は 6.7度   湿度は57%

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼下に広がる大和平野、大国見山 498mへ

2017-12-15 | 奈良県北部
今日も山です
奈良県天理市石上町の大国見山へ登ってきました。

高い所から眺める景色が好きです、でも、高い山は登れない
それと体力の劣化を少しでも防ごうとの山歩き、無駄な抵抗とわかってながら、低山を探してウロウロしてます。


天理市観光協会のHPに載っていた “ 大国見山展望コース 14Km ” の一部である、 14Kmも 私の足ではとても歩けない ・・・・ で、 展望の良い 大国見山へ登ってみよう。
大国見山へのルートは二つある、 桃尾の滝から と 名阪国道・天理東IC 近くの岩屋から 登るルートだ。 今日は 岩屋からのルートを登った


天理東ICで降りて、オメガカーブの方へ向かって細い道を上って行く ~ ちょうど天理市から奈良市の境界を超えた辺りで名阪国道の下を潜って ~ 狭い道をそれらしき方向へ行ったら 大国見山の案内板が目についた


後方に名阪国道の照明灯が写ってる

山道を1.6Kmも歩けるだろうか? ちょっと心配だったが、ダメなら引き返そうと、車を停めて歩く



ふかふか落ち葉の絨毯を踏みながら


うす暗い杉林の中を歩いて


林業は採算が合わないのでしょうね、間伐された木々はそのまま朽ちてゆくようだ


案内板はほとんどないが、わりとハッキリして間違うような登山道ではない






巨岩ゴロゴロの所を過ぎて


あと500mで山頂だ、ここで桃尾の滝からのコースと合流、 何とか登れそうだ

ここまではそんな急坂は無かったが、ここから急な上りが始まる


虎シマロープに捕まって滑ってコケないように進む


アチコチにこんな巨岩がある



もう少しで頂上だッ  この80mがなかなか遠い

やっと登頂成功! ハアハアふうふう~~


山頂からは、眼下に天理市街、 それと奈良盆地の展望が開けて、二上山・葛城山~生駒山・奈良奥山方面までの景色が広がる。
そして山頂の岩に、昔狼煙(のろし)を上げるために、油を注ぐ穴を彫った岩が数個あった。



手前中央の白いのはシャープの建物、その右が白川ダム、中央遠くに生駒山
西名阪自動車道もハッキリ解る


中央遠くに昨日登った二上山


眼下には天理教の本部 ( 本部と言っていいのかどうか?わかりません )


天理市~大和郡山市方面、 手前左に白川ダム


木々の隙間に名阪国道が見える、中央遠くに奈良の若草山らしきのも見える

山頂に40分程居てた、名残惜しいが下山、 上りは55分かかったが、下りは30分程度だった


名阪国道近くまで降りてきたら、こんなきれいな紅葉が残っていた

頂上へ着くまでは、ほとんど景色が見えなかったが、頂上からの景色は絶景でした!


  55分かけて登ったカイがあった、 ビバッ 国見山   健康山歩き、歩数計は 5,679歩 でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名残の紅葉~二上山

2017-12-14 | 二上山
  うつそみの人にあるわれや明日よりは
      二上山( ふたかみやま )を弟世とわが見む

     悲劇の皇子=大津皇子の姉である大伯皇女の詠んだ歌です、哀しい歌です



その大津皇子が眠る二上山へ登ってきました

山の上部はほとんど葉を落としていたが、山裾の木々はピークを過ぎたようだが色付いた葉を残して、冬の陽射しに輝いていた

コースは、急な坂の少ない “ ろくわたりの道 ” を通って雌岳中腹へ出るルート、
最短ルートより、ちょっと距離は伸びるが紅葉の残り具合と登りやすさを考えてこのルートを登った










遠くの山は葛城山、金剛山




なかなかいい雰囲気です
 こんな景色を見ながら、雌岳中腹へ





雌岳中腹にて
  トロイデ火山は 
     静マリテ
   女岳男岳ヲ
      拝ム里 
    尼上嶽ト誰カ言ウ
          ・・・・ 榊莫山氏の書です

  馬の背から雄岳へ

雄岳頂上へ登っても景色が全く見えない、頂上の西へ行けば大阪側が一望である


こんな階段を登って


雄岳中腹より
 前方は雌岳、紅葉の最盛期にきたら 素晴らしい景色だが、今は地味な山
 左後方は葛城・金剛山系


▽ 雄岳頂上の西側より


左上の端が明石海峡、今日もボヤーとして明石海峡大橋は見えない


中ほどの赤いのは南港大橋と思われる、左端には大阪府庁別館が見える


南阪奈道路も近畿自動車道も見えている



下りも、こんな景色を見て帰る



山麓線 ( 県道御所香芝線 ) より望む二上山


約3時間の山歩き、きれいな残り紅葉も見せてもらって、健康的な 6,836歩 の 二上山でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊蟄穴

2017-12-13 | その他
昨日の早朝か、今日の早朝かよくわからない、夢うつつ の世界である
いつもラジオを聴きながら眠る、夜中に目覚めたらラジオか何か話してる


ラジオを聞いてたら 『 今日は七十二候の くまあなにこもる 』 と言っていた。


ネットで調べたら
熊蟄穴 ⇒ くまあなにこもる というらしい

熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。
春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。


二十四節気とは、 1年を24等分して、その頃の季節を表す名称をつけたもの
  立春、夏至、立秋、冬至等で、気象情報などでよく聞く言葉です

七十二候とは、 二十四節気をさらに3分割して、その頃の気象や動植物の変化を表す言葉 --- であまり聞きなれない言葉ですね

今日も、平年よりかなり寒いようです、私も家にこもっていました



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする