■Funk Factory c/w One Step Away / Wilson Pickett (Atlantic / ワーナー)
一昨日、そして昨日は例のTPP問題の集会にあちらこちら引っ張り出されて正直、辟易しています。
賛成も反対も、それぞれの業界や団体で既に結論は決めているのに、それを国民や支持者にどうやって説明していくのか、それがわからないというテイタラク……。
んなぁこたぁ~、おめぇら、お偉方の考えるこってしょうがっ!
と、思わず激怒寸前のサイケおやじではありますが、時代と世の中の流れに素直に身をまかせる潔さも時には必要だと思いますねぇ。
そこで思い出されるのがディープソウルの塊のようなウィルソン・ピケットが1972年に出した本日のシングル盤で、ご存じのとおり、この偉大な黒人歌手が真の魅力を発揮した最後のヒット! そう言いきって後悔しない魅力がたっぷりなんですが、それは所謂ニューソウル志向への新しき挑戦と従来のディープな泥臭さが見事に融合した成果でもありました。
と決めつけたのは、既に時代はサイケデリックロックが黒人R&Bにも強い影響を及ぼしていた頃とあって、ジェームス・ブラウンにしろ、スライ・ストーンにしろ、とにかく最先端白人ロックのファンをも惹きつけなければ大きなヒットは飛ばせない状況でしたから、それがファンクとかニューソウル等と呼ばれる以前に、まずはミュージシャン側の柔軟な姿勢こそが求められていたのです。
まあ、このあたりは、あくまでもサイケおやじの個人的な後付け的考察ではありますが、しかし現実的に当時の黒人音楽が明らかに「時代」を作っていた事は確かだと思います。
そこでウィルソン・ピケットも、ついに1972年には「Don't Knock My Love Part-1」という、とてつもないニューソウルヒットを出す事に成功するのですが、その妙にアフロっぽいサウンドにはジージージリジリのファズギターやチャカポコのパーカッション&ドラムス、さらには矢鱈に意識過剰なコーラスやキーボード、大仰なストリングスの中で苦悶するが如き本人のボーカルが意想外のソウルを発散するという、些かの結果オーライ……。
もちろん、サイケおやじとしては「Don't Knock My Love Part-1」を一概に否定する気持なんてありませんし、実際に素晴らしく良く出来たソウルミュージックだと思います。また、このサウンドが昭和40年代末頃からの我国歌謡ポップスに応用されまくった現実は言わずもがなでしょう。
しかしウィルソン・ピケットの資質に、本当に合っていたのか?
という疑問は打ち消せません。
ところが、このシングル盤A面「Funk Factory」は見事にそれを解消してくれたと言うか、イントロからどっしりと重いサザンロック風のグルーヴとファンキーソウルのビートが全開したリズム隊の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、ですからウィルソン・ピケットのボーカルも素直に「熱唱」というスタイルがジャストミートしているんですねぇ~~♪
さらに間奏では、思わずウキウキさせられるホーンセクションのカッコ良すぎるリフ攻撃から、大団円に向けて突っ走るソウルグルーヴが楽しいボーカル&コーラスは、所謂ゴスペルのコール&レスポンスをお気楽にやってしまったような趣向でしょうか。とにかく気分が高揚させられますよ♪♪~♪
ちなみに後に知った事ではありますが、この蠢き系グルーヴを演出したカラオケパートのメンバーはバリー・ベケット(key)、デヴィッド・フッド(b)、ロジャー・ホーキンス(ds) 等々の所謂マッスルショールズ組の白人ミュージャンでありますから、そのスマートな黒っぽさこそが時代の流行になるのもムペなるか!?
しかし、それにしてもアメリカ南部の田舎で形作られたサウンドが1970年代ロックやAORを含むポップスの基盤を成していたなんて、なかなか今になっても感慨深いものがあるんですが、その中で歌っているウィルソン・ピケットは如何にも頑固に1960年代のサザンソウル保守本流を貫き通しているあたりに、この「Funk Factory」の素晴らしさがあるように思います。
つまり新旧のフィーリングが実に上手くお互いを理解し合っているんじゃないでしょうか。
一方、これまた素敵なB面「One Step Away」は、ウィルソン・ピケットにしては些か「らしくない」歌謡パラードという趣が逆に安心印♪♪~♪ ゴスペルルーツの粘っこいボーカルスタイルとサザンロックがミョウチキリンにミスマッチしたような、場面によっては曲メロが外れているところさえ感じるほど熱が入っているのですから、思わず端坐して聴きたくもなりますよねぇ。
極言すれば、何か迷いをふっ切ろうとして、かえって曖昧な本人の態度さえも、魅力に思えるんですねぇ~♪
ところが皆様もご存じのとおり、ウィルソン・ピケットは直後に古巣のアトランティックを去り、残念ながら以降はそれほどパッとした活躍からは遠ざかっていきます。
結局のところ、ウィルソン・ピケットは愚直なまでに自らを貫き、それが時代の要求と相容れないところまでも納得していたに違いありません。
個人的にも、妙にバランス感覚に秀でようと焦る態度よりは、そんな頑固さを好ましく思います。
さて、そこで冒頭に述べたTPP問題ですが、結論として貧富の差が大きくなっても全体として少しは向上させるか、このまま全体で緩やかに下降していくか、そのふたつにひとつじゃないか?
と、考えています。
中途半端な選択が一番難しい結果を招くんじゃないでしょうか?
ですから、決断を下す立場の者は、ある意味での潔さが求められますが、それをなんとか論点をすり替える事で自分だけ良い者になろうする態度が、いけませんねぇ……。
まあ、何処の誰とは申しませんが、そんな奴らにはウィルソン・ピケットの魅力なんて、本当に分かりゃしないっ!
そんな事を思っています。