■恋よ、さようなら / Bobbie Gentry (Capitol / 東芝)
ジャケ写のちょいと濃いめのおばちゃんは、ボビー・ジェントリーという、今ではすっかり忘れられた感もありますが、実は根強い人気のアメリカ人ボーカリストです。
しかも彼女は自作自演もやってしまう、所謂シンガーソングライターでもあり、ギター、バンジョー、ベース、キーボード、ドラムス等々を巧みに操るマルチプレイヤーでもありながら、それゆえに敷居が高いという事なのでしょうか、特に我国ではからっきし人気が無いのですから、聴かず嫌いは勿体無いという典型かもしれません。
ただし、これは全くの個人的な思いなんですが、ボビー・ジェントリーは美人歌手という評判が確立していながら、何故か公開されるポートレートには写り悪く、実際のキュートでセクシーな大人の女性という印象が伝わってこないのも、洋楽情報そのものが不足していたリアルタイムの我国では痛いところだったのでしょうか……。
告白すればサイケおやじがボビー・ジェントリーを好きになったのは、昭和45(1970)年頃にテレビに登場した彼女の海外でのパフォーマンスに接した時からで、もちろん当時の事ですから、厚化粧にド派手つけまつげ!? というメイクに負けない強さの美貌は、完全に好みの世界だったんですねぇ~♪
しかも歌の節回しが絶妙にスワンプロックというか、南部ソウルの味わいが滲みまくりでしたし、ほどよいハスキーボイスもたまりません。
実はこのあたりを冷静に分析すると、サイケおやじが大好きな「お色気ムード」は非常に希薄なんですよねぇ。ところが、それが逆に濃厚な彼女のルックスや佇まいにはジャストミートであって、それは「中和」なんていう言葉では表現するに足りない世界でしょう。
ちなみに後追いで知った彼女の芸歴の中では、なんと言ってもアメリカのチャートでトップに輝いた自作のデビュー曲「ビリー・ジョーの唄 / Ode To Billie Joe」が強い印象を残しているとおり、ニューソウル前夜祭的なディープな歌とエキセントリックなアレンジの奇跡的融合の完成度の高さは、彼女の才能を証明するものと思います。
これが1967年の事で、もちろんグラミー賞を筆頭に数々の受賞歴も続くのですが、同時にそのイメージを超えられなかったというか、本来の資質の半分も世間には評価されない現実は、以降に発表したレコードの売れ行きの低調さに表れているのでしょうか……。
本日の1枚として掲載の「恋よ、さようなら / I'll Never Fall In Love Again 」にしても、ご存じバート・バカラックの名曲を歌った傑作バージョンでありながら、アメリカでは完全に無視され、しかしイギリスではチャートトップの大ヒットになったという不条理(?)があるのです。
まあ、このあたりは例えばビーチ・ボーイズとか、自国で受け入れられずともイギリスや欧州各地で人気を継続し、新しい展開に臨むというキャリアの一環とする事も芸能界では珍しくもなく、我国でもちょっぴりはヒットしていた証拠として、サイケおやじが中古ではありますがゲットした事実だって否定はされないでしょう。
しかしボビー・ジェントリーは同時期、ラスベガスでカジノやホテルを経営する老齢の大富豪と結婚するという、なにかと詮索されがちな私生活から、離婚後も高級ホテルのフロアショウ中心のライプに活動の場を移し、本格的なレコーディングを含む第一線からは少しずつフェードアウトしてしまったようです。
それゆえ1980年代からは過言ではなく、消息不明……。
また、1970年代前半までに残されたシングル&アルバムの音源復刻も決して芳しくない状況は、実に哀しいところです。
少なくともサイケおやじは、彼女にさようならはしていませんから!
最後になりましたが、掲載した私有のシングル盤は初めて買ったボビー・ジェントリーの1枚ながら、その意味で邦題タイトルが既に意味深だったというわけです。