■新宿の与太者 / 菅原文太 (テイチク)
先日の高倉健に続き、昨夜は菅原文太の訃報に接し、言葉もありませんでした……。
もちろん二人は日本の映画界を代表したスタア俳優であったわけですが、同じ東映任侠&ヤクザ路線で夥しい作品に出演しながら、その演技の個性は絶対的に異なっていたわけで、高倉健がクールで熱い存在感ならば、菅原文太は直情径行、頭は良くないけれど情に流されつつスジは通すという役柄が十八番だったように思います。
ですからチンピラ役を演じても、健さんはトホホをやらかしながら、キメる時にはきっちりキメる男気が憧れの生き様であり、文太兄貴は最後までカッコ悪くても、それはそれで感情移入させられてしまう熱血と蕭然が魅力でした。
極言すれば高倉健は虚構と現実を美学として昇華し、菅原文太は実録と虚構を往復してみせた、共に稀有の役者でしょう。
さて、そこで本日掲載したのは菅原文太が昭和45(1970)年に主演した「新宿の与太者(東映・高桑信監督)」の主題歌をA面に収録した、所謂歌う銀幕スタア物のシングル盤なんですが、作詞:菅原文太&鈴木則文、 作編曲:島豊による楽曲と本人の味わい深い歌唱が、例え件の映画を未鑑賞であったとしても、なかなか心に染み入る、これも昭和歌謡曲の楽しみってやつです。
しかし、そうは言っても、やはり映画本篇が如何にも当時の東映という「全て分かっている楽しみ」の仕上がりで、物語は新宿を舞台に菅原文太が演じるケチな前科持ちのチンピラがセコイ稼ぎから少しずつ伸し上がっていく展開なんですが、当然ながらそこには大組織に利用され、騙された挙句に仲間を殺されてバカを見る主人公の悲哀と悔恨が描かれ、最後はお約束の「殴り込み」で上手い事やっているお偉方をブッスリという流れがハートボイルド!
あぁ、こうしたヤクザ映画にありがちな破滅的カタルシスには思わず感傷を誘われてしまうんですが、だからこそ哀愁のトランペットに咽び泣くテナーサックスが配された主題歌における菅原文太の冒頓とした節回しが、ジワジワと心に染み入るんですねぇ~~♪
あぁ~、ヨタモノォ~、ジュクのヨタモノォ~~~
ついつい一緒に歌ってしまうですよ、これが♪♪~♪
ちなみにクライマックスを「殴り込み」と書きましたが、この作品では新宿の歩行者天国で金子信夫、葉山良二、南廣を刺して捕まるという、かなりオープンな撮影が敢行され、思えば当時は新宿界隈でこうした映画のロケが頻繁にあり、そういえばサイケおやじも菅原文太や待田京介といったスタアの他に東映系の大部屋の役者を大勢見ているんですが、その頃のこうした現場での交通誘導とか見物人の仕切り等々は任侠団体の人達が仕事として請け負っていながら、そういう本職よりは役者の方が、よっぽど本物らしかったという記憶は、いやはやなんともでしょうか。
閑話休題。
で、こうした実直で哀しいチンピラヤクザ役が菅原文太の十八番になったのは、演じる人物の不器用な生き様が、失礼ながら未だ生硬な芝居が特徴的だった故人の特質に合っていたからかと思います。
それは同時期、既に作られていた主演作、例えば生真面目なテキヤを演じた「関東テキヤ一家」、あるいは脇役で出演した「不良番長」等々に限らず、後の「トラック野郎」や代表作「仁義なき戦い」の各シリーズをご覧になった皆様であれば前者に対し、ど~して菅原文太はこんなに頑なな演技を……?
と感じられるはずで、しかしそういうところが逆に一生懸命に暴れるしかない劇中人物に投影された時、リアルな虚構が結実されるんじゃ~ないでしょう。
相当に生意気な独り善がりではありますが、それは菅原文太だけの資質であり、「現代ヤクザ」シリーズを経て、いよいよ「仁義なき戦い」で大輪の花を咲かせたのは、失礼ながら他の役者では、そこまでいけなかったと思っています。
ということで、最後になりましたが、もうひとつサイケおやじが強く感じ入っていたのが、菅原文太のファッションセンスの良さでありまして、ヤクザファッションは言わずもがな、ステテコにダボシャツ姿や着流し、さらには意図的にダサい衣装を着せられる時でさえも、全てをジャストに着こなしてしまうあたりは、流石若い頃にモデル業もやっていたという故人の「粋」でありましょう。
ルックス的には決して正義を貫くような人相ではなかった菅原文太は、しかしハチャメチャな人物を演じさせては、これほど芯の強い役者は唯一無二!
高倉健が「憧れ」の存在ならば、菅原文太には「共感」を覚えてしまうサイケおやじです。
衷心より、ご冥福をお祈りいたします。
合掌。