OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

しのづかまゆみの猛烈

2013-11-10 15:09:24 | 歌謡曲

パパはもうれつ c/w 真夜中の買い物 / しのづかまゆみ (日本ビクター)

しのづかまゆみは有名作詞家の篠塚満由美であり、ものまねタレントとしても活躍していますが、芸能界に入った頃は堂々のアイドル歌手でありました。

それが昭和49(1974)年春の事で、しかもやっていたのが歌謡ロックと演歌の二本立てみたいな、いやはやなんともの存在感が強烈でしたねぇ~~~♪

本日掲載したのは、そんな彼女のデビューシングル盤で、まずA面の「パパはもうれつ」が作詞:阿久悠&作曲:中村泰士が書いた、これぞっ! 当時流行のグラム&ハードな歌謡ロックの決定版!

極言すれば、元ネタはスージー・クアトロが同時期に大ヒットさせていた「悪魔とドライヴ / Devil Gate Drive」である事は隠し様もありませんが、あかのたちおの編曲がスピード感満点のリズムアレンジとシャープなオーケストラセクションをちょっぴり薄口に使っているので、しのづかまゆみのエグ味の強いボーカルが冴えまくりなんですよっ!

あぁ~、この節回しのツッコミフィーリングは、立派なロックじゃ~ないですかねぇ~~~♪

実はサイケおやじは、多分このデビュー曲のキャンペーンだったと思うんですが、リアルタイムで彼女の実演に接し、一発でこの「パパはもうれつ」にシビれまくった前科があるんですよ。

しかもその時の彼女が、件のスージー・クアトロを意識していたとしか思えない、所謂ジャンプスーツ系の衣装だった事も強烈な印象でした。

ところがその時は歌ってくれなかったんですが、このレコードを買って、B面に針を落せば吃驚仰天!?

なんとっ! その「真夜中の買い物」が、ちょっぴり歌謡フォークが入った歌謡演歌だったんですねぇ~~~~~▼×◎▲?☆

いゃ~、その時の衝撃は文字どおり、筆舌に尽くし難いってやつですよっ!

おまけにそれが、なかなか良い曲で、しのづかまゆみのボーカルが湿っぽい曲調にジャストミートの仄かなハスキー節なんですから、たまりません。

もう、完全に昭和歌謡曲の良い部分だけを抽出したのは、A面と同じ作家トリオによるプロの仕事に他らないわけです♪♪~♪

ところが既に歴史になっているとおり、このシングル盤は期待されたほどのヒットにはならなかったようで、そう書かねばならないのは、当時のサイケおやじはある幸運から直後に3ヵ月ほどアメリカに行けた事から、日本の諸事情あれこれをリアルタイムでは体験していないんですよ……。

まあ、それはしのづかまゆみに限ったことではないのですが、そうして秋に帰国してみると案の定、彼女は正統派歌謡曲にどっぷりの「曇り空」という結果的に売れなかった名曲を歌っていました。

ということで、しかしブレイクしなかったとはいえ、しのづかまゆみが残した音源は決して侮れません。特に3作目と思われるシングル曲「嫁入り前」に至っては、モータウン風味の歌謡ロッキンソウルが全開していますからねぇ~~~♪

そのあたりについては後々、ご紹介する所存ですが、とにかく彼女も実力派のひとりであった事はまちがいなく、そういう芸能魂が作詞家としての才能を開花させ、夥しい傑作を残した源になったはずですし、歌の上手さが「ものまね」の世界でブレイクした現実は決して皮肉な運命のいたずらではないでしょう。

ですから、しのづかまゆみ!

今こそ真っ当に聴こうではありませんかっ!

と書いてはみたものの、果たして彼女の音源がCD化されているのか、ちょっぴり不安な気分になっちまいますが、ぜひっ!

そして最後になりましたが、ここで取り上げた「パパはもうれつ」とスージー・クアトロの「悪魔とドライブ / Devil Gate Drive」をミッスクさせたとしか思えないのが、アメリカンロックの人気バンドだったプロンディが1980年に大ヒットさせた「Call Me」ですよねぇ~~!?!

まさか曲を作ったデボラ・ハリーとジョルジォ・モロダーが「パパはもうれつ」を聴いていたとは思えませんが、しかしジョルジォ・モロダーと言えば、イタリアというよりは欧米ロック&ポップス界の筒美京平的な存在ですからねぇ~~~、どっかで昭和歌謡ポップスを密かに研究していたとしたら、これほど楽しい空想もありません。

あぁ、完全にサイケおやじの妄想虚言が出てしまい、反省……。

ただし、それも音楽を聴く楽しみのひとつとして、ご容赦お願い致します。

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河合奈保子への夢想

2013-11-09 14:42:37 | 歌謡曲

UNバランス / 河合奈保子 (日本コロムビア)


昭和歌謡曲アイドル全盛期のトップスタアのひとりであった河合奈保子は、あくまでも個人的な記憶なんですが、とても素直なイメージが強く残っています。

それは多分、デビュー時からだったと思うんですが、テレビ等々で接する彼女が矢鱈に「ハイッ」「ハイッ」という返事というか、発言そのものがそんな感じばっかりでしたからねぇ~~~~。

もしかしたら、こちらのどんな欲望も素直に受け入れてくれるんじゃ~なかろうか!?

という妄想を強く抱ける存在であり、実は告白すれば、変態のサイケおやじはリアルタイムで河合奈保子の縄姿を夢想し、本格的なSM映画に出演すればなぁ~~~、というイケナイ希望を強くしていました。

なにしろ愛くるしい面立ちに反比例するグラマラスな肢体、特に巨乳は隠し様も無く、当時の女性アイドルならば必須であった水着姿は同時期のライバル、例えば松田聖子なんかよりも、ずう~~っと実用的なオカズ性感度が高かったはずです.

しかも河合奈保子は同性からもそれほど嫌われるという雰囲気が無かったようですし、サイケおやじの周辺に限っても、「彼女が嫌い!」という人には会ったことがありません。

そして肝心の歌の仕事においても、そういう素直さは充分に制作側の企図に適うものだったのでしょう。

例えば本日掲載のシングル盤A面曲「UNバランス」は、昭和58(1983)年秋の大ヒットなんですが、既に良く知られているとおり、これは同年初夏にミュンヘンディスコの女王として人気絶大であったドナ・サマーが世界的にヒットさせた「情熱物語 / She Works Hard for the Money」の確信犯的なモロパクリ!!

だって、イントロのキメから全篇のペースラインが過言ではなく一緒でしょう、これはっ!?!

ですから極めて似た、というか似せたコードで別なメロディを捻り出したのは「作曲:筒美京平」いうクレジットが眩しく輝く、絶対的な職人技と思うばかりですし、実際に元ネタよりも歌謡曲的にフックの効いた素敵なメロディを附したのは、流石ですよっ!

というか、もうひとつの決定的な作業として、アレンジを担当した大村雅朗の共同謀議も看過出来ません。

つまり河合奈保子の新曲「UNバランス」の企画が、どうやって提示されたのかも含めて、「ひとつ、ドナ・サマーの情熱物語でもやってみようか?」なぁ~んていう思惑を体現せんとすれば、発注された筒美京平も薬籠中の仕事であったにちがいありません。

ちなみに件の「情熱物語 / She Works Hard for the Money」を書いたのは、アメリカ西海岸のハリウッドポップスを当時リードしていたマイケル・オマーティアンであり、一部はドナ・サマー本人との共作になっていますが、当然ながらプロデュースもマイケル・オマーティアンであることから、その方面に関心を寄せるミュージシャンの研究対象として、価値は絶大であったと思われます。

それは当然、大村雅朗ばかりではないんですが、やはりここまでギリギリにやれてしまうのは、河合奈保子という素直に歌えるアイドルボーカリストの存在があればこそ、売野雅勇の作詞も潔いかと思います。

ということで、河合奈保子は何時、如何なる時でも整合性のとれるアイドルであり、天性の資質と周囲の状況思惑が、これほど上手く働いていたプロジェクトは流石の昭和歌謡界においても稀だったんじゃ~ないでしょうか。

どうやら最近は彼女の愛娘が歌手デビューという話題もあり、幸せな結婚で引退された河合奈保子が再び注目されんとする時が来たのかもしれません。

そうです、筒美京平は今日でもご健在、堂々の活躍をされているのですから、もう一発、この路線で出して欲しいと願っているのでした。

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ショーケンの不貞腐れアイドルロック

2013-11-08 10:42:30 | 日本のロック

出来るかい? 出来るかい? / ザ・テンプターズ (フィリップス)

昭和元禄のGSブームはまちがいなく日本のロックの最盛期だったと思いますが、夥しく登場したそれらのグループが演じていたのは、「ロック」じゃ~なくて、「歌謡曲」だったという説も確かに成立するでしょう。

もちろんライプステージでは米英でヒットしていた洋楽のカバーをメインに、それこそガツンガツンの「ロック」をやっていたはずですが、しかし現実として発売されるヒット狙いのシングル盤は「歌謡曲」としか思えないブツが圧倒的でした。

ただし、そう断じられのは、殊更後年の評価という場合が少なくありません。

つまり今では「歌謡曲」かもしれませんが、リアルタイムでは立派な「ロック」であった現実こそ、大切な青春の思い出となっている皆様が大勢いらっしゃるはずです。

例えば不肖サイケおやじにとっては、テンプターズが演じる本日掲載のシングル盤A面曲「出来るかい? 出来るかい?」が、全くそのとおりの第一候補で、発売された昭和45(1970)年初夏にはファンや評論家の先生方から酷評され、無視されていたと思います。

しかし作詞:なかにし礼&作編曲:川口真が狙ったであろう当時の流行、つまりソフトロックとアイドルポップスの融合は見事なほどで、最初のAメロでちょっぴり滲むクリームっぽさ、一瞬の「Sunshine Of Your Love」から歌謡曲のベクトルに転身するあたりはプロの手際を堪能させられるはずですし、全体としては翌年に我国で大ヒットになったヘドバとダビデの「ナオミの夢」とか、諸々の洋楽楽しさ優先主義が光っているんですよねぇ~♪

そして一座のスタアであったショーケン=萩原健一が十八番の「不貞腐れた」歌いっぷりが結果オーライでしょう。

と言うか、本当は当時のバンドサイドは、こんなのやりたくないんだょぉ~~、みたいな感じは絶対あったはずですし、ショーケン本人がデビュー当時から持ち味にしていた不良ではない反体制的存在感は、結局のところ反主流ということで開花したように思います。

それがサイケおやじには大好きなテンプターズであり、実際問題として全く売れなかった「出来るかい? 出来るかい?」を今でも聴いている本音であります。

ちなみに歌の中身は、好きな女の子の愛の真実を確かめるために、自分の前で裸になれっ! という、些かの幼児性が当時も今も面映ゆいわけですが、如何にも青少年のロックであれば、大肯定するに吝かではありません。

ということで、ロックの魅力が「反抗」であるならば、不貞腐れフィーリングが常に全開のショーケンとテンプターズは、最高のロックバンドでありました。

正直に言えば、この「出来るかい? 出来るかい?」にはホーンセクションも導入され、全体的に薄っぺらのミックスが施されているので、なんともロックっぽさからは縁遠い感じですが、まあ、いいか……。

問題はリスナーの思い入れであり、サイケおやじがこれを好きという告白に嘘は無いのですから。

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流転

2013-11-07 16:12:05 | Weblog

全く自分が情けない……。

ついに、こんな所へ来ています。

明日は平常の生活に戻りますね。

訪れてくださった皆様には、心から御礼申し上げます。

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今日は言わせてくださいね

2013-11-06 15:19:03 | Weblog

現在、仕事関連の問題で、お役人衆にお願いの真っ只中なんですが……。

それにしても奴らは態度が太いし、意地が悪過ぎますよ!

物分かりの悪さは、仕方が無いにしても、日本最高の頭脳集団が、そんな発想力じゃ~ねぇ~~。

ちったぁ~、こっちの努力というか、前向きな気持ちを察して欲しいもんです。

思わずちゃぶ台返しをやりそうになる自分を抑える事の恥ずかしさ、惨めさ…。

お互い、逆の立場になってみれば、相手を理解する事は容易と分かってはいますが、それにしても……。

ということで、本日は嘆き節、失礼致しました。

あとちょいの辛抱、キレるわけにはいかないので、こんな頭でよかったら、何度でも下げますよ。

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ソフト&クールな佐良直美は上手いなぁ~♪

2013-11-05 15:20:40 | 歌謡曲

どこへ行こうかこれから二人 c/w 気になるあなた / 佐良直美 (日本ビクター)

プロの歌手は上手くて当たり前という常識の中にあっても、やはり佐良直美は特別の存在でしょう。

なにしろソフトな節回しでありながら、きっちり「熱」を感じさせる説得力は技巧云々だけでは語れない、本物の歌心の発露と思うばかりです。

そして彼女のルックスから、ボーイッシュで中性的なイメージを先入観念として歌を聴いていたとしても、時折にハッとするほどセクシーな表現にクラクラさせられたりするんですから!?

例えば本日掲載のシングル盤A面曲「どこへ行こうかこれから二人」は、昭和45(1970)年に発売された極めてソフトロック歌謡な名曲なんですが、中村泰士の書いたアンニュイな曲メロもさることながら、西川ひとみの綴った歌詞の中身の男女関係があれやこれや、おそらくは許されない愛に刹那の愉悦を求めてやまない心情風景をジンワリと歌う佐良直美のナチュラルフィーングが、いやぁ~、なんともセクシーなんですよねぇ~~♪

極言すれば「秘すれば花」ですよ。

ちなみに佐良直美については説明不要とは思いますが、とにかく昭和42(1967)年のデビュー大ヒット曲「世界は二人のために」から翌年の更なるウルトラメガヒット「いいじゃないの幸せならば」の連発によって、日本の芸能史に燦然たる業績を残しているんですが、同時に彼女が決して忘れられないのは、歌の上手さばかりでなく、ドラマ出演や歌番組の司会等々における、自然体の温かさだったのでしょうか。

ですから時にはクール過ぎる仕上がりのレコードも散見されるんですが、その意味で、このシングル盤B面に収録された「気になる二人」が最高級のボサノバ歌謡になっているのは、個人的に死ぬほど嬉しいですねぇ~~♪

とにかくイントロからソフトなストリングやスマートなギター&ピアノと共に始まるパヤパヤなスキャット、そしてボサノバ特有の涼しいメロディ展開の妙が佐良直美ならではのアルトボイスで歌われる時、愛と憧れの世界がゆるやかに広がっていく、その心地良さ♪♪~♪

ちなみに作詞作曲を担当した山口納堡子とは、佐良直美の本名なんですねぇ~~♪

そして渋谷毅のアレンジも素晴らしく良い感じ♪♪~♪

とにかくこれは歌謡曲ファンのみならず、ボサノバ愛好者の皆々様にも、ぜひともお楽しみいただきたい名曲名唱と思っています。

最後になりましたが、佐良直美と言えば、例のスキャンダルがあったので、なにか普通の恋愛の歌は……、みたいな偏見が今日でも続いているようですが、そんなの関係ねぇ~~!

歌手本人の私生活云々なんてことを詮索していたら、ティーンアイドルは必ず童貞や処女の証明書をぶら下げて歌わなければなりませんからねぇ~。

素敵な歌を素直に楽しむ心は、決して節操の無い行為では無い!

それがサイケおやじの立場でありますが、時には自己矛盾を露呈している事が度々というあたりは、ご容赦下さいませ。

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カッコ悪いがカッコ良いぜっ、渡哲也

2013-11-04 14:54:00 | 歌謡曲

純愛のブルース c/w 真赤なドラム / 渡哲也 (クラウン)

祝・渡哲也旭日小綬章!

本当におめでとうございます。

もちろん長年の芸能生活、映画やテレビドラマでの活躍もさることながら、じっくり構えた温厚な人柄も大いに評価されるところでしょうが、サイケおやじはもうひとつ、渡哲也の朴訥な歌の世界も好きなんですねぇ~♪

それらは出演映画の中で流れるばかりか、きっちりレコード化され、ご存じ昭和41(1966)年の「東京ながれ者」や昭和48(1973)年のメガヒット「くちなしの花」あたりは説明不要、他にもシブイ作品がどっさりあるんですから、流石銀幕全盛期からのスタアは存在感が違います。

本日掲載したのは、おそらく渡哲也の公式歌手デビュー作と思われるシングル盤で、当然ながら本人主演の日活映画「真紅な海が呼んでる」の主題歌扱いとして、昭和40(1960)年に発売されたものです。

ちなみに件の映画タイトルは、このジャケ写では「~呼んでる」となっていますが、映画関連の資料では「~呼んでるぜ」にされていて、実はサイケおやじは全く問題の作品を観たことがないので、どちらが本当なのか、判断することは出来ません。

しかしこのレコードの関しては、如何にも当時の映画主題歌であり、同時に流行歌謡曲としての体面が濃厚に仕込まれた点において、後追いでも素直に楽しめるはずです。

なによりも、ジャケ写に登場している渡哲也のカッコ良さは別格!

そして肝心のA面曲「純愛のブルース」が作詞:星野哲郎、作曲:叶弦大によるベタベタのムード歌謡でありながら、サウンド面には絶妙のラテン風味やジャズブルース指向の雰囲気の良さ隠し様もなく、渡哲也が十八番の棒読みな節回しにはジャストミートでしょう。

否、と言うよりも、これが期待されながら、未だスタアになりきれていなかった渡哲也の資質の素晴らしさであり、皆様ご存じのとおり、昭和42(1967)年の大傑作「紅の流れ星」で素晴らしい名演を披露する礎は失礼ながら、こういう独得の野暮天フィーリングにあるんじゃ~ないかと思います。

極言すれば、渡哲也というスタアには、粋でスマートな印象よりも、ハードボイルドを地道に歩む姿勢が似合うはずで、そうしたクールで熱い佇まいは、テレビにおける大ヒット作「大都会」や「西部警察」等々の諸シリーズ作で見事に焼きつけられているのですからっ!

その意味でB面収録の「真赤なドラム」がジャズロック風のエレキ歌謡になっているのは最高のカップリングで、そこでの定番リックである「テケテケ」にノリきれていない渡哲也のボーカルスタイルは、掛け値なしで唯一無二ですよ♪♪~♪

だって、もしもこれを橋幸夫が歌っていたら、当たり前過ぎて、ちっとも面白くなかったという推察は容易でしょう。

うむ、A面と同じく星野哲郎&叶弦大の作風もさることながら、重松岩雄のアレンジが極めて秀逸と感じ入ります。

ということで、もちろんサイケおやじは渡哲也には一面識無く、あくまでも映画のスクリーンやテレビ画面だけでの印象しかありませんが、それでも映画館でリアルタイムに鑑賞した初めての本格ヤクザ映画は、渡哲也主演の「大幹部ケリをつけろ(昭和45年・小沢啓一監督)」でした。

そして以降、後追いやリアルタイムで観まくった渡哲也の出演作では、なんと言っても「無頼」シリーズ、さらには日活ニューアクションと今日呼ばれる一連のプログラムピクチャー群にシビれていたのは、言うまでもありません。

当然ながら、そういう任侠~ヤクザ映画には偉大なスタアが大勢登場し、良くも悪くも男の生き様を徹底して我々に教えてくれましたが、個人的には渡哲也の朴訥にして実直、時には本音で見せる存在感に強く共鳴します。

あぁ、渡哲也のような男になりたいっ!

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何時も熱演の荒木由美子

2013-11-03 15:24:43 | 歌謡曲

フラストレーション / 荒木由美子 (キャニオン)

荒木由美子はB級アイドルか、否か!?

そんな論争が一時期、サイケおやじの周辺であった事に鑑み、しかし個人的には好感を持っていたのが、彼女に対する本音です。

もちろん昭和52(1977)年のデビュー時から、常に榊原郁恵や高田みづえ、そして清水由貴子や大場久美子という、華やかな同期ライバルの中にあっては、失礼ながら幾分おばちゃんフェイスで、歌唱力も飛び抜けていなかった荒木由美子が、一歩下がった存在だった事は否定出来ません。

ところがテレビ等々で接する彼女は、何時も一生懸命というか、所謂熱演が印象的だったように思います。

しかし発売されたシングル曲からは、これという大ヒットが出せず、それでも諸作は決して悪い出来ではなかったのですから、芸能界は本当に厳しい世界……。

昭和53(1978)年新春に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「フラストレーション」にしても、作詞:岡田冨美子&作曲:平尾昌晃が職人技を如何無く発揮した傑作であり、しかも若草恵のアレンジがファンキーロックにディスコ歌謡を融合させた折衷スタイル!

これは最もサイケおやじのツボを刺激する狙いがジャストミートしていましたから、たまりません♪♪~♪

その絶妙の「泣き」を含んだ楽曲展開を荒木由美子がちょっぴり危なっかしく歌えば、逆説的に強く滲んでくる切迫感が、なかなか良いんですねぇ~♪

う~ん、これが大きなヒットにならないあたりが、当時のアイドル&歌謡業界の充実を証明していると言えば、確信犯の論法かもしれませんが!?

 フラストレィ~ショ~~ン
 フラストレィショ~~ン

という最初のワンスレーズだけで、完全に歌謡曲者の心は鷲掴みされたはずなんですけどねぇ~~~~~。

ちなみに彼女の出しているシングル曲はデビュー以来のアイドルポップス、歌謡ロック、プレAORみたいな作品まで、極言すればレコードを出す度に変化している実情も、ブレイクしなかったがゆえの些かの「迷い」であったのかもしれません。

しかし芸能の神様は、決して彼女を見捨てはしませんでした。

それはご存じのとおり、ひととおりアイドル歌手の路線を歩んだ後の昭和54(1979)年、テレビのスポ根ドラマとしてバレーボールを題材にした「燃えろアタック(テレビ朝日)」の主演に抜擢され、定番のブルマー姿も眩しい躍動で、ついに大ブレイク!

というか、これは些か拙い記憶なんですが、このドラマはオカルト風味も混じったスリラーっぽい感じもあって、超人的な必殺技(?)や呪いによって登場人物が苦しめられるという破天荒さがあったんですよっ!

そういうところが何をやっても裏表を感じさせず、溌剌としていた荒木由美子には合っていたんじゃ~ないでしょうか。

ただし主題歌は例によって堀江美都子だったんですが、確か劇中では荒木由美子の歌も使われていたような!?

ということで、荒木由美子は決してB級とは決めつけられない、あえて格付けを許されるのであれば、「-A」ランクと思いますが、如何なものでしょう。

現在では「歳の差結婚」として話題を集めた湯原昌幸との「おしどり夫婦」でテレビ出演も多く、歳相応の和みとでも申しましょうか、なにか安心感のある活動に入っているのは、未だに好感が持てるところです。

最後になりましたが、前述した曲タイトルのリフは日々の仕事等々で堆積するストレスと披露をブッ飛ばす意味でも有効で、ついつい現場で口ずさんでしまうのでした。

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記憶の中の木の実まこ

2013-11-02 15:11:44 | 歌謡曲

あこがれ c/w 好奇心 / 木の実まこ (リプリーズ / ワーナーパイオニア)

所謂「幻のアイドル」は星の数ほど現れては消えている存在ゆえに、かえって強い印象を残す場合が少なくありません。

例えば本日ご紹介のシングル盤だけしか残していない木の実まこは昭和49(1974)年春、17歳のデビューとされていますが、肝心のレコードが世に出た時には、既に引退???

サイケおやじには、そんな感じが不思議でならないアイドルのひとりです。

実は彼女は、ご存じの皆様も大勢いらっしゃるとおり、ミュージカルスタアにして女優でもある木の実ナナの実妹で、姉に着いて現場に出入りしていた中学生の頃からスカウトされていたという、シンデレラ以上のスタア候補生!

そして掲載したジャケ写からも一目瞭然、はにかみの笑顔も眩しいキュートなアイドルとしてブレイクするはずが……。

サイケおやじの記憶だけでも、レコード発売前から、そのA面曲「あこがれ」をテレビで歌う姿の輝きは、資質の素晴らしさを証明していたと思いますし、当時のアイドルであれば当たり前だった水着姿にも、大いなる期待を抱いていたわけですが、初夏頃には全然見かけなくなったのですから、後に引退されたという事実に接した時には、思わず勿体無い!

そう、思う他はありませんでした。

もちろんその理由は知る由もありません。

しかし冷静になってみれば、偉大な姉の存在がプレッシャーになるほど、失礼ながら、彼女の歌唱力は決して秀でているとは言えません。

また、芸能を仕事に出来るほど、業界に対しての信頼も憧れもなかったんじゃ~ないでしょうか? 所謂「水が合わない」という推察も可能かと思います。

ただし、それでも唯一残されたレコードは、なかなか良く出来ていて、まずA面の「あこがれ」が作詞:有馬三恵子&作編曲:馬飼野康二という、アイドル歌謡ポップスの黄金コンビが書いたものであれば、キャッチーな仕上がりは「お約束」以上♪♪~♪

ちょっぴりアルトボイスでの節回しも丁寧な感じで、まあ、それが賛否両論、弾けたフィーリングが出ていないところが、物足りないところでしょうか。

しかしB面収録の「好奇心」は、やはり同じソングライターコンビの作品に馬飼野俊一のアレンジが冴えた、絶妙のオールディズ調が良い感じ♪♪~♪

個人的には、むしろこちらが好きなほどで、彼女の個性にも合っている気がするんですが、いかがなものでしょう。

う~ん、繰り返しますが、勿体無いですねぇ~~~~♪

ということで、当然ながら掲載の私有盤は中古ゲットだったんですが、発売から数年を経た後でも、その入手はそれほど困難ではなかった事を鑑みれば、それなりに短期集中で売れていたと思われます。

だって、楽曲そのものが、アイドル歌謡王道の仕上がりですからっ!

あぁ、もう一度、木の実まこの歌う姿に接したい!

音源と共に、映像の復刻も強く望んでいるのでした。

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大信田礼子が与えてくれた

2013-11-01 15:14:49 | プレイガール

女の学校 / 大信田礼子 (CBSソニー)

個人的な好みである「猫顔&セクシー」という観点においては、大信田礼子を外すわけにはまいりません。

もちろん彼女は女優であり、元祖グラビアいドルという括りも可能なほど、素晴らしい肢体をキワドイ衣装や極小水着で披露してくれましたが、歌手としても相当にブレイクしていたんですから、たまりませんでしたねぇ~~♪

なにしろアブナイ歌唱力にセクシーな佇まい、しかもサービス満点の衣装で魅せる存在感は過言ではなく、アイドル王道のひとつを堂々と歩んだ事実はサイケおやじと同世代の皆様ならば、きっと忘れられないはずです。

本日掲載のシングル盤は、その大信田礼子の歌手デビュー作で、とにかくA面収録の「女の学校」が、今となってはレアグルーヴ風味のバック演奏も印象的な傑作と思います。

それはイントロからシンプルなサックスのリフとオルガンの掛け合いがニクイほどですし、終始バカバカに鳴り響くパーカッションやどっかしらイナタイ感じのアレンジも、ギリギリの許容範囲を模索するかのような大信田礼子の歌いっぷりが強烈ですから、もしかしたら意想外の結果オーライだったと言えば、問題発言でしょうか?

しかし作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦のヒットメーカーコンビが、薬籠中の手腕を発揮したとしても、また森岡賢一郎のジャズロックな編曲がきっちり組み立てられた成果だとしても、おそらくはレコーディングに苦労したであろう大信田礼子のボーカルの前には 不思議な無力感があるような気がします。

実は今だから言えるんですが、これが世に出た昭和46(1971)年はテレビの歌番組は全盛期でしたから、彼女の歌の場面はどっさり見られた中にあって、常に存在するイメージ、平たく言えばそのセクシーな振る舞いに野郎どもはオカズ性感度の高さを与えられていたのです。

いゃ~、本当に良い時代でした。

もちろん、その点はレコード会社にも充分な意識があり、二つ折りのジャケ写で拝める全身ショットの素晴らしさが、レコード本体の魅力の半分であった事は否定出来ないと思います。

ということで、歌なんかターヘでも、ルックスから滲み出て与えられる印象が鮮やかならば、その芸能の所期の目的は達成されるわけです。

暴言とは自覚しておりますが、大信田礼子の歌とレコードに接する度に、サイケおやじは強くそれを認識している次第です。

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