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サイケおやじの生活と音楽

船木誠勝が語る「3.11」のリアルな実相

2021-03-11 19:50:13 | 追悼

3.11から10年…宮城県内で被災した体験談と今思うこと(船木誠勝)

冒頭に共有掲載させていただいたのは昨日の続篇として、件の「CHONO Network」に登場した現役レスラーの船木誠勝が語る「3.11」のリアルな体験談であります。

説明不要かもしれませんが、船木誠勝は初代タイガーマスクに憧れ、中学卒業直後の昭和59(1984)年春に新日本プロレスに入門! ちなみに同期の新弟子には天才・武藤敬司、黒のカリスマ・蝶野正洋、破壊王・橋本真也という闘魂三銃士の他に個性派・野上彰、また1年先輩には後に獣神サンダーライガーに変身して大ブレイクする山田恵一という俊英が揃っていた中にあって、船木誠勝は常にピュアな気持ちでプロレスに取り組み、過酷なトレーニングに耐え、新弟子としての修業を重ねた結果、翌年に若干15歳でプロレスラーとしてデビューしたほどの逸材でしたから、会社側も将来を嘱望し、プロレスマスコミからのウケも相当に高かったのですが、それに本人は決して満足していたわけでは無さそうで、常に「自分自身のプロレス」について考えていたと後に語っています。

そして、そのひとつの答えが、その頃ブームになりつつあった関節技と打撃をメインした戦いを見せる「UWF」スタイルで、新日本プロレス育ちながら、古巣から独立する形で設立されたプロレス団体「UWF」に所属の前田日明、高田延彦、山崎一夫、そして前述した初代タイガーマスクの佐山聡! 等々がやっていたシュートスタイルのプロレスだったもんですから、船木誠勝も自ら率先して「骨法」と称される打撃系日本武術の習得修業に夜の出稽古で勤しんでいた事は有名な逸話でしょう。

実際、新日本プロレスの若手前座時代から、トリッキーなプロレスのムーブと実践的な「骨法」をミックスさせたファイトスタイルは今も新鮮! それはネットでも接する事が出来ますので、ぜひともご覧くださいませ。

こ~して船木誠勝は若手プロレスラーの育成定番コースでもある海外武者修行を終えた平成元(1989)年春、帰国するとUWFへ移籍加入したのですが、本人は前述したとおり、「シュートスタイルのプロレス」をやるつもりが、既に団体の方向性は「格闘技」だと、リーダー格の前田日明から説明され、それならばと「格闘技」スタイルで本気の「骨法」を使った打撃も交えたファイトを見せれば、それも前田日明から疎まれるという……。

結局、「UWF」も「プロレス」も、所謂ショウスポーツ的な要素が高いプロのエンタメという、新日本プロレス入門当時から船木誠勝が気に病んでいた「八百長」という世間の目から逃れられないものならばっ!?

そんなこんなの紆余曲折を経て、ついに立ち上げたのが自らの団体「パンクラス」であり、基本姿勢は「相手の技を受けないプロレス」でしたから、「完全実力主義」を標榜する緊張感の高い試合は「秒殺」という流行語まで世に広めたほどのインパクトがありましたですねぇ~~。

ちなみに船木誠勝はUWF入団後のリングネームであり、新日本プロレス時代は本名の船木優治(ふなきまさはる)と名乗っていましたですねぇ。

閑話休題。

こ~してリアルな格闘技を実践した船木誠勝は、あのヒクソン・グレイシーと一騎打ち!

敗れはしたものの、常勝の強者をギリギリまで追い込んだ試合は正に名勝負であり、結果として負けた船木誠勝は格闘技者として引退するほど、つまりはリアルファイトの極みを実践披露したのですから、流石です。

以降、リングから降りた船木誠勝は俳優業に転身したのですが、後にプロレスに復帰し、10年前の大震災当時は全日本プロレスに所属し、東北地方へ巡業に旅立った日が「3.11」だったのですから、語られる内容には迫真以上!

ということで、共有掲載させていただいた動画の元ネタは船木誠勝が運営する公式チャンネルからものですから、他にも興味津々のネタが満載されているのはいわずもがな、皆様にはチャンネル登録を強くオススメする次第です。

あぁ……、あれから……、10年の時が流れ、当時を体験していない子供達も大勢生活している現在、何を伝えるべきは様々ありますが、ネットの活用が最も有効なのかもしれません。

被災された皆様には、あらためてお見舞い申し上げます。

そして亡くなられた方々……、衷心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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忘れられない! 忘れてはならない! あの日の誓い

2021-03-10 16:34:42 | 追悼

 

あの悲惨な大震災から十年目の今、我が国ばかりではなく、世界中が伝染病の災厄に潰されそうになっているからこそ、あらためて防災・減災について真剣に取り組む必要があると考えます。

そこで冒頭に共有掲載させていただいたのは、偉大なるプロレスラーの蝶野正洋が提供されている公式チャンネル「CHONO Network」からのメッセージ動画でして、登場しているのは説明不要のレジェンドレスラーや有名人達ですが、皆が蝶野正洋が実践している防災・減災の啓蒙活動に賛同されての呼びかけであります。

ちなみに、蝶野正洋と云えば、現在では年末恒例となっているダウンタウンの「ガキ使」に登場するビンタのおじさんとして有名過ぎますが、実は十年前の大震災に関わる支援活動で、師匠のアントニオ猪木と共に現地を訪問した事が契機となり、率先して防災・減災の啓蒙活動にも取り組んでいる事は知る人ぞ知る!

思えば現役時代のプロレススタイルは決して逃げない、相手の技を正面から受けまくり、激しい喧嘩キックや厳しい固め技のSTF、そしてストロングスタイルのヒールレスラーとして「黒のカリマス」のイメージが強過ぎるわけですが、根底にあるのは「任侠」であり、サイケおやじは、そこに男としての憧れを感じたりするのです。

平たく言えば、カッコイイ~~人なんですけど、優しくなければ生きている云々という、極めてハードボイルドな姿勢に強く共感を覚えるんですねぇ~~!

ということで、個人の自覚、そして皆が一致協力しての行動こそが大切だとは分かっていても、それがなかなか出来ないのが人間という生き物の宿業だとしたら、せめて目の前にある防災・減災の意識だけでも、持ち続けていきたいものです。

サイケおやじは、あの日を忘れません!

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朝風まりの消失と転生

2021-03-09 18:07:52 | 歌謡曲

ザ・マジック / 朝風まり (CBSソニー)

掲載したのは説明不要!

か、ど~かは完全なるサイケおやじの独断と偏見ではありますが、これは二代目引田天功=プリンセス・テンコーが、「朝風まり」と名乗っていた駆け出し時代の昭和53(1978)年に出したシングル盤で、結論から述べさせていただければ、マジックショウを演じながら歌うアイドル!

という、ほとんど同時代のライバル達には真似出来ない芸風をウリにするべく制作された企画盤の1枚でありながら、作詞:伊藤アキラ&作曲:都倉俊一から提供されたA面曲「ザ・マジック」は決してキワモノではなく、堂々の傑作アイドル歌謡に仕上がっているんですねぇ~~♪

それはデジタルシンセを大胆に導入した田辺信一のアレンジによるアップテンポの曲構成やタイトルどおりに「魔法~ファンタジー」を恋愛に絡ませた歌詞の世界の見事な融合は言わずもがな、朝風まりのアルトボイスによる安定した歌唱力が存分に発揮されていますから、実演ステージやテレビ出演時には、如何にものバニーガール系(?)衣装や極小単パン姿等々で美脚を披露しつつ、スカーフやステッキや鳩を出現させるマジックを演じながら、歌っては舞い踊る彼女の魅力は既に絶大でありました。

ただし、当時から推察は可能だったと思うんですが、そのライブギグにおける彼女のボーカルは、マイクスタンドが設置されていた場合であっても、所謂「口パク」だった様な気がします。

しかし、それでもレコードで聴ける彼女の歌声の確かさはニクイばかりで、楽曲的には同時期に都倉俊一が手掛けていたピンク・レディーの諸作と共通する味わいがありますから、それだけヒット性感度も高かったはずなんですが、現実的には朝風まりが師匠・引田天功の代役としてテレビの特番で大掛かりな脱出イリュージョンを見せ始めていた事から、こ~したアイドル路線は沙汰闇(?)となり、師匠の没後に二代目を襲名、以降現在までプリンセス・テンコーとしての活躍が世界中で人気を集めている事は皆様ご存知のとおりです。

そして、だからこそ、「朝風まり」名義のレコードが殊更海外の彼女のファンの間ではコレクターズアイテム化しているそうですよ (^^♪

ネットを検索すれば、「朝風まり」がマジックを演じつつ、この「ザ・マジック」を歌う動画にも接する事が可能ですから、気になる皆様は、ぜひっ!

ということで、良く知られているとおり、プリンセス・テンコーは女優やアイドルを目指しての芸能界入りを希望し、親戚の伝手を頼って引田天功の事務所に入り、アイドルとしてデビューしながら、結局はマジック~イリュージョンの世界で大ブレイクしたのですから、そ~ゆ~才能や素養は持ち合わせていたのでしょう。

確かに「朝風まり」にしても、「二代目引田天功」にしても、当時の映像からは華やかな雰囲気が溢れ出ている事がわかりますし、それをリアルタイムで見る事が出来たのは、ひとつの幸せでありました。

現在のプリンセス・テンコーは還暦も過ぎたはずで、それゆえに自らが完全に演じられる舞台からは遠ざかりつつあるのかもしれません。

もう一度、「プリンセス・テンコー」の魔術で「朝風まり」を復活させて欲しいものです (^^♪

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この人だぁ~れ part-25:若林加奈

2021-03-08 19:12:45 | 歌謡曲

PIRA★星物語 / 若林加奈 (日本コロムビア)

本日も「発掘」&「この人」シリーズということで、またまたサイケおやじにとっては「未知との遭遇」になる若林加奈はジャケ写ポートレートだけの印象としては、所謂「なごみ系」のアイドルだったんでしょうか?

このシングル盤が世に出たのは昭和60(1985)年らしく、正に芸能界は「アイドル」全盛期の真っ只中でしたから、歌手として売り出される彼女達にとって、とにかくもレコードが製作販売されたという現実は、当たり前の様でもあり、しかし、それゆえのプレッシャーだって、相当に大きかったはずです。

だからこそ、様々な個性が求められている中にあって、それでも従来の「アイドル」イメージから逸脱していては、やっぱりダメ……?

今となっては、そんなこんながゴッタ煮となっていたのが短かった昭和60年代だった様に思います。

さて、そこで本日の主役たる若林加奈が出した掲載のシングル盤A面収録「PIRA★星物語」は作詞:夏目純&作曲:尾崎亜美が綿密に企図したであろう、これがファンタジームードが溢れかえったアイドル歌謡ポップスの決定版!?

とにかく歌詞の世界のSF的な抽象性にナチュラルなテンポチェンジを巧みに用いたメロディ展開、それを増幅させる萩田光雄のアレンジにはストリングやキーボード類がゴージャスに使われながら、決して厭味になっていないという周到さがあるもんですから、極言すれば、松田聖子あたりがアルバムの中の収録曲にしても全く問題の無いレベルかと思います。

そして実際(?)、と書けば失礼千万でしょうが、若林加奈のちょっぴり幼い声質による節回しが初期の「松田聖子」っぽいあたりが計算ずくだとしたら、これぞっ! 女の子アイドルの歌謡ポップスとは、これがひとつの良質なサンプルなのかもしれません。

う~ん、そんなふうに思ってしまうと、この「PIRA★星物語」のヒット状況が大いに気になるところですが、少なくともサイケおやじは既に述べたとおり、若林加奈についての記憶も知識も皆無という状況は???

もちろん動いている彼女についても接していないとはいえ、もしかしたら、ルックスに好き嫌いがあったのかもしれませんねぇ~~、当時の青少年達には……。

ということで、繰り返しますが、彼女の活動状況は全く知らずとも、昭和芸能界の女の子アイドルについて研究考察する場合、案外と若林加奈は絶好の対象に成り得る気がしています。

うむ、このアイドル歌謡保守本流の歌唱力とルックスのアンバランス感こそが、その決め手になるのでしょうか……?

だからこそ、知らないレコードを聴いてみたい衝動は抑えきれないというわけです (^^♪

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この人だぁ~れ part-24:青葉久美

2021-03-07 19:21:17 | 歌謡曲

恋はティニィ・ウィニィ / 青葉久美 (ポリドール)

ご報告させていただいたとおり、昨日は深夜1時まで、借りているトランクルーム内で整理整頓の名目で、あれやこれやを取り出して楽しめたという、実に至福な時間を過ごせました (^^♪

で、その中から皆様に本日ご紹介したいのが、青葉久美と名乗るアイドル(?)が昭和57(1982)年に出したとされる掲載のシングル盤でして、特に作詞:売野雅勇&作曲:小杉保夫から提供された収録A面曲「恋はティニィ・ウィニィ」が楽しさ満点のアイドル歌謡ポップスだったもんですから、思わずジャケ写を見直してみれば!?

う~ん、もちろんサイケおやじは「青葉久美」という芸能人は全く知らなかったとはいえ、そこに登場している彼女の面立ちは、ちょっぴり正統派アイドルからは遊離した不思議系というよりも、オチャメなファニー系のタレントだったんでしょうか?

実際、レコードに刻まれている彼女の声質にしてもアニメ声とロリ系ボーカルの中間と申しましょうか、
それでいてリズム感や音程は合格点だと思いますし、だからこそ大谷和夫がアレンジしたアップテンポで弾みまくった楽曲の流れにジャストミートのノリで歌う彼女のボーカルが楽しいんですね~~♪

あぁ~~、このメロディラインは往年のアメリカンポップスから黄金律の断片を再構成させたが如き美味しさで、思わずニンマリさせられるのはサイケおやじだけではないと思います (^^♪

しかし、現実問題として、この青葉久美が歌った「恋はティニィ・ウィニィ」がヒットしていたという記憶がサイケおやじにはありませんし、彼女の存在そのものを全く知らなかったという事は、やはり女の子アイドルが夥しくデビューしていた当時の芸能界の厳しさ……。

それは発掘したレコード盤そのものが「見本盤・非売品」であったという事実にも顕著であり、もちろん、例によって中古纏め売りの中の1枚としてサイケおやじの手元にやって来ていたという経緯共々、失礼ながら泡沫組のひとりだったとすれば、これが埋もれてしまうのは勿体ないと思うばかりです。

ということで、人生の楽しみなんてものは、それこそ十人十色でありましょう。

ですから、それを積極的に作り出す、つまりは「楽しい事を作っていくのが人生」だとサイケおやじは思っているのです。

例え、それがレコードやエロ映画やSM小説等々の類であったとしても、大切にすべきは自分自身の趣味嗜好にちがいありませんからね (^^♪

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発掘作業中です

2021-03-06 18:15:18 | Weblog

移転したトランクルーム内の整理整頓に本日は集中する事が出来まして、現在も継続中です。

そして様々なブツを発見(?)、失くしたと思っていた諸々の品々が出て来る快感に浸れる、この幸せ (^^;

その成果は追々にご紹介させていただきますね (^^♪

さあ、これから晩飯喰って、作業再開するぞっ!

 

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この人だぁ~れ part-23:北泉舞子

2021-03-05 19:40:17 | 歌謡曲

イメージ・チェンジ / 北泉舞子 (RIV.STAR)

基本的にサイケおやじはデジタルビートが好きではありません。

ですから、1980年代に製作発売された夥しいレコードの中に気に入った楽曲があっても、そこにデジタル臭が強かったりしたら、それ以上の深入りは体質的に出来ませんので、かなり損な拘り・嗜好ではありますが、極言すれば、この楽曲にアナログ風味のリズムセクションやサウンド作りがあればなぁ~~!?

なぁ~んていう想いに捕らわれた歌やメロディは少なくないんですよ (^^;

例えば昭和60(1985)年に北泉舞子と名乗る女の子アイドルが出した本日掲載のシングル盤A面曲「イメージ・チェンジ」は、まさにそれっ!

如何にも当時のアイドル歌謡ポップスのステレオタイプと申しましょうか、アップテンポでフックの効いたメロディライン、間奏で飛び出すフュージョン系のギターリフ&ソロ、夏向きハイトーンのコーラス、そして前向きな節回しを披露する彼女の幾分曖昧な歌唱力共々に、これが「お約束」のデジタルビートで演じられてしまったのは、全く勿体無いと思うばかり……。

ただし、これをサイケおやじが最初に聴いたのは時代も平成に入ってからの事で、例によってネットオークションで纏め落札出来たブツの山からの掘出物(?)でしたから、そ~した気分が尚更に強いのでしょう。

ちなみに歌っている北泉舞子については、これまた何も知らないという自らの不明をお断りしておかなければなりませんが、所謂「80年代アイドル」の中においては作詞:瀬間好孝&作曲:秋友宏之、そして編曲:入江純という制作スタッフの狙いは的確だったはずです。

しかし、それでもサイケおやじは、この北泉舞子が歌う「イメージ・チェンジ」が、もしもフィル・スペクター流儀の分厚いオーケストラサウンドに包まれ、程好くエコーの効いた演奏パートの中で少しばかり「か細い」声質の彼女がメロディ優先主義で歌ってくれるなら、きっと虜になりそうな不遜な予感に満たされるのです。

ということで、本日の主役たる北泉舞子も拙ブログとしては「この人」シリーズのアイドルシンガーです。

もちろん、彼女が実際に歌っている姿には全く接する事が叶わなかった、所謂「幻」ではありますが、レコードという文明の利器のありがたさには感謝するのみでございます。

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この人だぁ~れ part-22:石田文子

2021-03-04 19:39:28 | 歌謡曲

わたしの恋はシャボン玉 c/w 恋のときめき / 石田文子 (ビクター)

所謂「美少女ジャケ」のシングル盤としては、本日掲載した石田文子のデビュー作とされる1枚も人気が高いと云われておりますが、告白すれば、サイケおやじは例によって、彼女については何も知るところがありません。

これが手元にある現実にしても、かなり以前に中古屋の捨値コーナーに纏め売りされていた中から員数合わせ的にゲットしたブツでして、当然ながら(?)、借りているトランクルームの中で十数年も放置されていたというバチアタリな顛末は、皆様ご推察のとおりです。

しかし、あらためて取り出し、眺めてみると、これが発売された昭和50(1975)年のムードをジンワリと伝えてくれる彼女のファッションと美形アイドルならではのヘアメイク、そしてスリーブデザイン共々に前述したとおり、人気盤諸々の必要十分条件が満たされている事を痛感させられた次第です。

そして実際に針を落としてみれば、まずは作詞:阿久悠&作曲:井上忠夫のクレジットが確認出来るA面曲「わたしの恋はシャボン玉」はソフトロック系アイドル歌謡ポップスの典型と申しましょうか、ちょっぴり滲み出る懐かしの歌謡フォークっぽさも、殊更サビからの曲展開は、アメリカの優良ポップスグループとして人気絶大であったブレッドの中心メンバーであるデヴィッド・ゲイツ風味がモロ出しという好ましさ♪♪~♪

それを萩田光雄の丁寧なアレンジが尚更に引き立てている仕上がりも素晴らしく、肝心の石田文子のボーカルに残る幼い声質と節回しを活かそうとすれば、大正解と思います。

ちなみに、ここで「幼い声質と節回し」と書いたのは、石田文子の歌いっぷりは決して「ロリ系」でも「アニメ声」でも無い、これがやっぱり「美少女系」という事をご理解願いたいための拙い筆の仕業でありまして、しかも基本的には彼女のボーカルの伸びの良さがイイ感じなんですよ♪♪~♪

それが同等に発揮されているのが同じ制作スタッフから提供されたB面収録の「恋のときめき」で、こちらは洋楽バブルガムポップスのアイドル歌謡的展開を狙ったのでしょうか、アップテンポで演じられる、この「どっかで聞いた」感満載の仕上がりも、サイケおやじが大いに好むところで、彼女の歌いっぷりの高揚感はA面以上かもしれません♪♪~♪

しかし、このシングル盤がヒットしていたという当時の記憶がサイケおやじには全く残っていませんし、石田文子にしてもテレビや雑誌のグラビア等々で接した事についても同様ですからねぇ……。

サイケおやじの不明と言われれば、全く……、そのとおりではありますが、何とも気になるアイドルシンガーであります。

ということで、もっともっと自分の時間が欲しいですねぇ~~~ (^^;

この願い、抱き続け、既に長い年月が流れてしまった現在、叶わぬ夢にはしたくありません。

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落ちるってことは!?

2021-03-03 19:57:30 | Weblog

夕方になって、仕事場の主要PCが軒並みダウンし、復旧すればフリーズの連続……???

ようやく業者が来てくれて、今夜中には何とかなりそうです。

しかし……、今んとこ原因が分からないというのは不安だなぁ……。

明日は明日の風とは言いながら…… (~_~;)

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現状維持の安心

2021-03-02 17:26:52 | 歌謡曲

病院での定期健診で眼底検査、目の前真っ白なんで、本日の1枚は休載させていただきます。

う~ん、それにしても低血圧や不整脈は改善しないし、それでも悪化はしていないらしいので、気分的には楽です。

明日からも、なんとかなるんじゃ~ないかと (^^;)

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