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保安院の大罪(76) 国会事故調報告の「読み方」 文科系

2012年07月07日 00時03分57秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この報告書をめぐってのマスコミなどの論議だが、恣意的で、実にいー加減なものばかりが目立つ。そのいろいろを上げてみたい。

①先ず、菅直人がこの事故について「最も悪い」という類のマスコミによる大宣伝
 こんなことは報告書のどこにも書いてない。『官邸は東電の本店及び現場に直接的な指示を出し、そのことによって現場の指揮命令系統が混乱した』。書いてあるのはこれだけだが、こんなことは二の次、三の次のこととされていて、「事故の根源的原因」にも「直接的原因」にすら含まれていないのである。

②また、天木直人のこんな批判もあった。
『しかしこんな報告書ならいつそれが出されても関係なかった。それほど私にとっては無意味な報告書である。菅直人や東電の責任を、これまでの政府調査委員会報告書や民間報告書にくらべて明確に指摘し、人災とまで決め付けている。それが評価されて、わかりやすいなどとメディアは褒めている。とんでもない。
 いまだ収束していない福島原子炉の対策や、被曝を放置し続ける政府の責任の追及は皆無だ。事故が起きればかくも深刻な被害を及ぼす原発を目の当たりにして、脱原発の是非についての言及は皆無だ』
 この批判は、言わば無い物ねだりと僕は読んだ。国会からこの事故調査を依頼された委員会に、50年からの歴史がある原発の是非を問う結論を出せとは!? それは、国会自身が決めることなのだから、今の政党の力関係から言っても事故調査委員会の力に余る要求という他はない。当委員会への無い物ねだりの要求とは極左冒険主義と同じで、この報告の将来的価値を見誤るものだろう。

長谷川幸洋氏は正しくも、最も重要な部分としてここを上げている
『報告は本来、規制する側の政府が規制される側の東京電力に「骨抜き」にされ「規制のとりこ(Regulatory Capture)」になっていたと指摘した。そのうえで、はっきりと「事故は人災だった」と断言している。この結論だけでも報告書の意義を十分に物語っているが、とくに重要と思われるポイントを指摘しておきたい』
 『この結論だけでも報告書の意義を十分に物語っている』との表現からすると、この「規制の虜」、「人災」部分が最も大切だと読んだということだろう。確かにここは『根源的原因』の中でも最も重要な部分なのだが、これにまつわって報告の「はじめに」のなかに、こんなに大切な説明が存在すると、僕は付け加えたい。

『想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ 50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)があった。経済成長に伴い、「自信」 は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた』

 ここには、この50年の日本国家の全般的欠陥が描かれているとは言えないだろうか。福島事故は、一事が万事。『政界、官界、財界が一体となり』『 50 年にわたる一党支配』とか『前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった』とかのことを、胸に手を当てて考えてみよということだろう。しかも、今後に引き続く以下のような作業の中で、上記反省をば常に繰り返せと、『認識の共有化』という報告冒頭部分で述べているのである。以下に描かれた諸問題がこれから新たに話題に上るたびに、ここに描かれた「この50年の日本国家の全般的欠陥」の反省を繰り返せということなのである。

『この報告が提出される平成 24 (2012)年 6 月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。 破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。  当委員会は、事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所「 (以下「福島 第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである (提言7に対応)。 当委員会はこのような認識を共有化して以下のような調査に当たった』

 報告について僕は、今後の原発行政において50年にも及んだこういう「規制の虜」を正すということは、結局は脱原発を目指すということなのだとすら読んだ。世界有数の地震激発国であれば、そして地震学そのものを根本的に見なおす必要が生じたのだからなおさらのこと、そういうことなのだと考えている。
 こうして、国会事故調という機関が出したこのような文章は今後に向けて極めて貴重な武器になると、僕は強調したい。福島事故に関わって今後何かが起こるたびに、そこに立ち帰るべき価値、内容があるものと考えている。

 明日のブログでは、報告の結論部分のうち2大柱の後者「事故の直接的原因」をまとめたい。こういうブログに文章を遺しておけば、今後福島に関わって何かがあった時にいつでもそこに立ち返ることが出来るのである。それも、国会という「国権の最高機関」に委託されたその調査結果の文章なのだ。
コメント (5)
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