九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「イジメは昔もあった」?  文科系

2006年11月21日 05時04分11秒 | Weblog
1 「寒々しいほどに悪質なのである」

毎日新聞夕刊に「テリー伊藤の現場チャンネル」というコラムがあり、18日は「続・いじめ」という内容。その長い紹介から始めたい。

「そんななか、私が出演している番組の記者が、中学生がイジメを苦に自殺したと見られる事件の取材で、イジメグループの中心と思われる中学生に接触を試みた。
 その中学1年の男子は、見るからにいまどきのヤンキー風。ジャージをだらしなく着こなし、受け答えも街の不良そのもの。イジメについて質問しても、まったく悪びれたところがない。(中略)
 この首謀者は『自分はやっていない』とシラを切るだけでなく『イジメていたのは、俺じゃなくて○○だよ』と言って、第三者を犯人に仕立て上げようとしていた。
 『会ってみて、不良というよりは、きわめて悪質で狡猾な悪人という印象を持ちました』
 記者はそう言っていた。
 昔から不良中学生というのはいたけれど、人の命を何とも思わない、最低限の善悪の基準さえ持ち合わせていないという意味で、寒々しいほどに悪質なのである。
 一方、九州では、小学5年生の8人グループが同級生をターゲットにして、1年間にわたってお金を巻き上げていたという事件があった。
 これはもう、イジメを超えて恐喝、完全に犯罪である。いったい、いつから小学5年生はこんなに悪くなったのか。(中略)こうなってくると、さすがにわれわれ大人がつくった社会に問題があると考えざるをえない」

同じく毎日新聞20日朝刊は「死なないで いじめメッセージ」特集、体験談に2ページの紙面を割いている。そこからもこの「寒々しさ」を紹介しよう。
「私は常にいじめられる人間でした。中学生の時は、毎日のように教室でチョークを投げつけられました。黒板の前から、いちばん後ろの席に座っている私にむかって、力任せに投げられた何発ものチョークは、後ろの壁に当たって粉々に砕け散るのでした。命中しないように、かすめるように、できるだけぎりぎりに投げるのが競われていました。
 またスキー合宿では、部屋にいるときに力ずくでズボンを下ろされ、下着をはぎ取られました。同じ班の連中は前々からそのことを予告していました。担任に相談したところ、出発前に彼らを集め、そんなことはしないと約束させたにもかかわらず、彼らは実行したのでした。私はもう誰にも何も言いませんでした」
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始まりました「蟻の兵隊」          シネ・ファン

2006年11月20日 23時43分51秒 | Weblog
今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、命令により中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。
                                      ※このほかネットで「蟻の兵隊」を検索すると沢山の支援のサイトが載っていました。名古屋での上映はと調べてみると8月5日から二週間開かれていました。

 アンコール上映が 11月18日(土)より12月1日までシネマシスコールで行われます。 上映時間は10時30分と2時10分のニ回 料金は千四百円
 シネマシスコールは名駅西ビッグカメラ北西らしいです。tel 052-452-6036

四日市中映シネマックスでも12月9日より、tel 059-353-3832

 
                                  
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日本国憲法の成立をめぐって その2 千里眼

2006年11月20日 17時12分48秒 | Weblog
1.ポツダム宣言受諾に際しての米国政府内の意見対立

 8月10日の御前会議で、国体護持を条件にポツダム宣言受諾を決定した日本政府は、中立国を通じて「国体護持」を条件に受け入れると、連合国に申し入れた。それを受けて、アメリカ政府はその取り扱いを検討する。そのホワイトハウスでの会議は長時間にわたった。スチムソン陸軍長官は、「流血の硫黄島、沖縄の繰り返しを避けるため」と「ソ連軍の日本本土侵攻を避けるため」に、この条件を認めるべきだと主張した。軍関係者は賛成したが、バンーンズ国務長官は強烈に反対し、あくまでも無条件降伏であるべきだと主張し、会議はまとまらなかった。翌日、トルーマン大統領は、妥協案を採用し、バンーンズ回答書が日本へ伝えられることになった。

 それは「天皇および日本政府の国を統治する権限は連合国最高司令官に属する」、「日本の究極的政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民が自由に表明する意思に従い決定される」というものであった。日本は8月14日の午前会議で最終的に受諾を決定したのだ。
 バンーンズ回答書の前者の部分は天皇を残した形での間接統治、後者の部分は天皇制については日本国民の意思にまかせる、という内容である。そして、この回答書が、その後の天皇の戦争責任を免責する根拠になっていくのである。(この記載は、おもに荒井信一著「戦争責任論」岩波現代文庫に依拠する。これは非常にいい本である)
 
2.アメリカ政府の日本占領基本政策-間接統治方式

 このバンーンズ回答書の内容が、その後の国務省及びGHQの日本統治の基本原則として継承されていった。それは、9月9日のマッカーサーの「日本管理方針に関する声明」でも明確に示されていた。バンーンズ回答書の内容に加えて「自由主義を助長する」という内容が付け加えられているものであった。その後の様々な資料がそれを証明している。
 
3.憲法制定についてのGHQの基本的態度

 米国政府の憲法改正についての基本方針は「日本の統治体制の改革」(1946年1月7日)に始めて記されている。「選挙民に責任を負う政府の樹立、基本的人権の保障、国民の自由意思が表明される方法による憲法の改正といった目的を達成すべく、統治体制の改革を示唆すべきである」とし、憲法改正は、日本側が自主的に行うように導かなければ、日本国民に受容されないので、改革の実施を日本政府に「命令」するのは、「あくまで最後の手段」であることを強調している。
 『日本側に自主的に作らせる』というこの方針を、マッカーサーもGHQも受け継いでいたことは明らかである。GHQ文書、その幹部のメモを見てもそう言える。

4.日本側の憲法改正案の内容とその特徴

 日本側の憲法改正談義が活発になるのは、10月4日、10月11日の近衛・マッカーサー会談がきっかけとなった。近衛の問いに対し、マッカーサーが始めて憲法改正の必要について示唆を与えたことに始まる。
 幣原内閣の閣議で研究開始を決定したのに続いて、民間でも様々な議論が交わされ新聞紙上を賑わせた。
 「憲法問題調査委員会」の案がまとまるのは、翌1946年2月2日のことであった。その前日の毎日新聞のスクープで、その内容を知ったGHQは、そのあまりにも時代錯誤的な内容に驚いたのだ。

  第一条 日本国は君主国とする。
  第二条 天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行う
  第三条 皇位は皇室典範の定むる所に依り万世一系の皇男子孫之を継承す
  第十条 天皇は行政各部の官制及び官吏‥‥を任命す

 「わが国は君主国であり天皇は統治県を総攬する根本原則には些かの変更もなく」と松本が説明しているように、明治憲法をそのまま引き継ぐ内容であった。勅令の発布権まで天皇に認めているのである。

5.GHQの政策・態度の転換
 この『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなった。
 マッカーサーは、ただちに憲法改正を日本側にまかせる態度を転換し、2月3日に民生局へ憲法草案の作成を指示した。ラウエルらはわずか1週間で原案を作成し、マッカーサーは2月12日にその草案を承認した。

 ラウエルは、GHQ草案作成にはいる以前に目を通した、憲法研究会の案「憲法草案要綱」に注目していた。ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたメモが国会図書館に所蔵されている。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」であると評価している。
 GHQ草案作成をわずか1週間で仕上げるには、この検討済みで内容に賛成していた憲法研究会案を下敷きに使う以外に道はなかったのだ。

6.憲法研究会の「憲法草案要綱」の内容

 憲法研究会のメンバーは、高野岩三郎、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵の7名である。
 その草案の内容を次に示す。(条文を部分的に次に引用する)

 国家の統治権にかかわる部分では、国民主権を明確にし、天皇は国家的儀礼のみを担当するとしている。現在の象徴天皇制とほぼ似た内容である。

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス

 国民の権利義務については、国民の請願権、発案権、国民投票権を規定するなど、すぐれた内容を持っている。

一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制‥‥
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス

 上記の「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」という条文は、現憲法の第25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という形でそのまま生かされている。この生活権・生存権の考え方は、欧米の基本的人権の理念のなかには含まれていなかった内容である。したがってラウエルらが考え付くはずはない。明らかに、この憲法研究会案を下敷きにした証拠である。
 民生局内部の原案作成作業について、一連の作業経過が分る資料が国会図書館に所蔵されている。この分析をする余裕は今回なかった。

6.まとめに代えて

 保守系論客の言う「日本国憲法はアメリカが押し付けたものだ」という見解は誤っていることは、以上の私の分析で理解してもらえるはずである。
 1946年2月2日以前においては、アメリカ政府もGHQも一貫して、日本が自主的に憲法改正を進めることを期待していたのは明らかである。これを否定することは、きちんとした資料が残されている以上、不可能である。

 では、2月3日のマッカーサー民生局への指示については、私はこう思う。松本烝治ら政府案作成にあたった人たち、幣原喜重郎首相など政権中枢の人たちの、あまりにも時代錯誤的な暗愚さが、この結果を生んだと言わざるを得ない。天皇制を明治期と同じ形で温存することの不可能なことは、明らかであったにも関わらず、明治憲法の部分的手直しで、連合国側が受け入れるであろうという甘い観測がどこから出てきているのであろうか。彼等の手記や関連メモが残されているので、こうした分析は可能である。

 民生局のラウエルが、わずか1週間でGHQ草案をまとめた経過は前に述べたとおりである。あきらかに、憲法研究会の「憲法草案要綱」を下敷きにしていたであろうことも前に述べたとおりである。
 保守系論客や自民党など改憲論者が「アメリカに押し付けられた」という主張は、憲法第9条を改正の理由付けに利用しているのに過ぎないのだ。
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教育基本法強行採決の抗議先について   ネット虫

2006年11月19日 13時51分05秒 | Weblog
「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会。」  とは?

 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会は、「教育基本法改悪反対」で一致した人でできた、超党派のゆるやかなネットワークです。
 2004年4月24日に、大内裕和さん(松山大学)、小森陽一さん(東京大学)、高橋哲哉さん(東京大学)、三宅晶子さん(千葉大学)の4人の呼びかけで発足しました。

 月に1~2回、東京で全国会議をおこなって、今後の方針などを話し合っています。
 組織・団体などの所属にこだわらず、すべての人が個人として対等・平等に参加します。

 目標は、なんとしてでも教育基本法の改悪を阻止すること。
 そのために、みんなで協力してがんばっていきます。

   ●呼びかけ人プロフィール
   ●こんな感じでやってます!・・・会議編
   ●こんな感じでやってます!・・・集会準備編
   ●こんな感じでやってます!・・・ホームページづくり編

   ●全国集会
   ●意見広告
   ●国会・文科省対策
   ●とにかく広める活動
   ●各地での運動
   ・全国各地のアクション
   ・全国1000ヶ所行動
   ・各地での大集会レポート

   ●メッセージをお寄せください
   ●お問い合せは、事務所まで・・・
    電話/FAX 03-3812-5510
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教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会 〒113-0033 東京都文京区本郷5-19-6坪井法律事務所内
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抗議メールはどこへ?

2006年11月18日 20時27分20秒 | Weblog
教育基本法の改定に反対のメールを送りたいのですが、
どこへ送ったらいいのか?
ネットに強い方、教えて下さい。
                   落石
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日本国憲法の成立をめぐって 千里眼

2006年11月18日 16時18分21秒 | Weblog
 少々の修正は加えられたが、基本的にはGHQの作成した案によって、日本国憲法は成立したのだ、と私は思っていた。与えられたと言っても「いいもの」は守っていくべきなのだ。日本国憲法の内容は、世界に誇れるものなのだ、と考えていた。

 国会図書館のサイトをメインに少々調べて見たが、日本側の「憲法研究会」の案に少々の修正が加えられて、GHQ草案が作られたことは明らかのようだ。
 「明らかのようだ」と私は断定を避けたが、それは私自身が憲法研究会の案とGHQ草案とを比較・検討していないからである。

 法学館憲法研究所の池田香代子氏は、サイトのなかで次のように書いている。
 「私は鈴木安蔵さんの試案を見て、すごく不思議な思いに駆られました。それはGHQの憲法案に似ているだけでなく、‥‥自由民権運動‥‥その中で土佐の植木枝盛が書いた憲法案である『東洋大日本国国権案』にもよく似ていたからなんです」と。

 日本国憲法の成立過程を調べるには、国会図書館のサイトがよい。ここには、日本側の文献、生の史料・資料、関係する個人のメモなども漏れなく収録されている。それゆえ、日本人の手になる憲法草案・私案もすべて集められている。それだけではなく、アメリカ公文書館の資料も憲法に関連する基本的なものはすべて収録されている。GHQの憲法問題の責任者だったホィットニー、直接の担当者だったラウエルのメモまで収録しているのだ。何よりもすばらしいのは、そうした文献、資料がすべて「テキスト」という形でその全文を見ることができるのだ。ただし、私は残念なことに英文を読めないので、GHQ関連の資料は読めないのだ。翻訳して日本文が添付してあると、助かるのだが。
 ただし、このサイトに紹介されているのは、所蔵している膨大な資料のうちのほんの一部である。しかし、重要と思われるものは、ほぼ網羅しているのではないかと思われる。

 さらに、よいことには時系列で配列し、内容ごとに簡単な概説が加えられている。それが、そのまま日本国憲法制定史の簡単な概説書になるようになっているのだ。さらには親切に、年表や人物紹介まで付けているのだ。このサイトを作った人の苦労がしのばれる。この優れものを利用しない手はない。

 まず、1945年10月以降の、憲法制定に直接かかわる事柄を抽出して、年表形式で示す。相当詳細に書き出したのは、この年表のなかに、GHQと日本政府の憲法改正をめぐる動きが読み取れるからである。(国会図書館サイトの年表より)

10/ 4 政治顧問アチソン 国務省へ憲法改正についての指示を要請 
10/ 4 近衛国務相 マッカーサーと会談し、憲法改正の示唆を受ける
10/11 マッカッサー 幣原喜重郎首相へ憲法の自由主義化を示唆
10/17 アチソン 国務省より憲法改正の基本事項のアウトラインの訓令を受ける
10/25 幣原内閣 憲法問題調査委員会を設置 委員長は松本烝治国務大臣
11/ 7 アチソン GHQが憲法問題で国務省を排除していると、本国国務省へ報告
12/ 6 民生局のラウエル 文書「日本の憲法についての準備的研究と提案」を作成
12/26 憲法問題調査委員会 大改正と小改正の二案作成を決定 
12/26 憲法研究会 憲法草案要綱 発表
 1/ 1 アチソン 憲法研究会案につき 国務省報告
 1/ 7 国務省 憲法改正についてのアメリカ政府の公式見解を公表
 1/ 4 松本烝治 憲法改正私案を脱稿
 1/11 民生局のラウエル 憲法研究会案についての所見を幕僚長に提出
 1/21 日本自由党 憲法改正要綱 発表、同日、弁護士会連合会 憲法改正案決定
 1/26 憲法問題調査委員会 憲法改正要綱(甲案)、憲法改正案(乙案)を議論
 1/29 極東諮問委員会調査団に対し、憲法問題については示唆に限定していると表明
 1/30 幣原内閣 松本私案、甲案、乙案を結論
 2/ 1 毎日新聞 憲法問題調査委員会の試案 スクープ
 2/ 1 憲法改正権限に関するホイットニー・メモ
 2/ 2 憲法問題調査会 憲法改正要綱 最終決定
 2/ 3 マッカーサー ホイットニーに憲法案作成を指示
 2/ 6 日本政府の改正案に関するホイットニー・メモ
 2/ 8 政府 憲法改正要綱をGHQに提出
 2/10 ホイットニー 民生局草案をマッカーサーに提出
 2/12 マッカッサー GHQ草案を承認
 2/13 日本政府の憲法改正要綱の受け取り拒否 GHQ草案を政府へ手交
 2/18 ホイットニー GHQ草案の受入について48時間以内の回答を迫る。
 2/23 日本社会党 憲法改正要綱 発表
 2/26 極東委員会第一回会議 そ・豪・英 天皇制廃止を主張
 3/ 2 日本案完成
 3/ 5 閣議 GHQとの交渉を踏まえ、修正された憲法草案を決定
 3/ 6 政府 それを発表
 4/ 5 口語化案 決定
 4/17 政府 憲法改正草案発表
 7/ 2 極東委員会 日本の新憲法についての基本原則決定 
その基本は主権在民、天皇制の廃止または民主化
10/ 7 国会憲法可決
10/29 枢密院本会議 憲法改正案を決定
11/ 3 日本国憲法公布

 憲法改正について触れた最初の資料は、10月4日付国務省へのアチソンの憲法問題についての問い合わせである。10月8日付の「極東小委員会のまとめ」が、実質的な回答になっていたようだ。これをもとに、後に憲法改正に関する米国政府の公式方針「日本の統治体制の改革」が、翌1月7日に出された。その前にアチソンは10月17日に同様の回答を受けている。

 その文書によると、「日本に統治体制を変革する十分な機会を与えるべきである。だが自主的に変革できない場合には、最高司令官が日本側に憲法を改正するよう示唆すべきだ」とし、具体的には「日本国民が天皇制を維持すると決めた場合には、天皇は一切の重要事項につき内閣の助言に基づいてのみ行うことや、日本国民及び日本の管轄権のもとにあるすべての人に基本的市民権を保障することなど、9項目の原則を盛り込んだ憲法の制定が必要である」としている。

 日本側の憲法改正の動きのさきがけとなったのが、10月4日の近衛文麿国務相(東久邇宮内閣)とマッカッサーの会談であった。その席上、近衛が政府組織についての意見を求めたのに対し、マッカッサーが「憲法ハ改正ヲ要スル」と示唆した。これを受けて、日本側の憲法改正の動きが活発化することとなった。

 10月13日、幣原喜重郎内閣は、正式に憲法改正案作成の着手に取り組むことを決め、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会の発足が決定した。この結果、憲法改正作業は、近衛を中心とする内大臣府と政府の機関である憲法問題調査委員会の両者で進められることになった。

 この憲法問題調査委員会の検討過程のなかで、日本国内では各種組織の案や、学者その他個人の私案など、相次いで発表されるようになり、憲法改正へ向けた日本国内の気運の高まりがみられた。日本自由党・進歩等や社会党など各政党もそれぞれ試案を発表していった。これらの改正案はほとんどすべて、明治憲法の一部手直し程度の案で、明治以降の天皇制をそのまま受け継ぐような案であった。社会党の案は、「主権は国家にある」とし統治権の一部を天皇に残すという、奇妙な案であった。

 そうしたなかで、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された「憲法研究会」は、改正案「憲法草案要綱」を発表し、GHQにも提出した。この内容は民主的な内容で、他の案とは大きくことなるものであった。国民主権の原則を採用し、天皇は「国家的儀礼」を司るとものして天皇制を残すという内容のものであった。

 民生局のラウエルはこの「憲法研究会」の案「憲法草案要綱」に注目し、これに綿密な検討を加え、その所見をまとめた。(ラウエル・メモ)彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書(ラウエル・メモ)の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。

 翌年にはいって、政府の憲法調査会の草案作りはやっとまとまってきた、2月1日の毎日新聞が、その草案をスクープして紙上に全文を掲載した。それを見た民生局長ホィットにーは、早速マッカーサーに報告書を提出している(ホイットニー報告書)。この毎日新聞の記事に掲載された松本委員会「試案」の英語訳を添え、この案に対する所見を述べている。ホイットニーは、この「試案」を「極めて保守的な性格のもの」と批判し、世論の支持を得ていないことを指摘した。そして、GHQにとり「受け容れ難い案」が提出され、その作り直しを「強制する」よりは、その提出を受ける前に「指針を与える」方が、戦略的にすぐれていると、GHQ案の作成を示唆している
 
 憤ったマッカーサーはただちに、2月3日にホイットニーに憲法案作成を指示した。わずか1週間で民生局は改正案を作成し、マッカーサーに2月10日に提出している。

 その2日前の2月8日、日本政府はGHQへ「憲法改正草案要綱」を提出した。GHQがこれまでの政策を転換し、GHQの手で改正案を作っているということをまったく知らなかった日政府は、受け取りを拒否され、2月13日にGHQ草案が手交されたのである。この時の政府関係者の驚愕は大きかったそうである。

 この間の事情をはっきりさせたいため、長くなってしまった。次回に、きちんとまとめて、要領よく要点を整理したかたちで記したい。
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9条はもっと現実に会わせて変えたほうがいいのか?

2006年11月18日 15時30分32秒 | Weblog
憲法を変えた方が良いという論のひとつに非現実論があります。
今回はこの論についての長峰先生の話です。

さて、この現実とは?
北朝鮮の脅威が指摘されています。
さて、実態は?
世界の軍事ランキングを見てみましょう。
ダントツの一位はアメリカ 3000億ドル
2位のロシアは588億ドル
わが日本は堂々?3位、444億
さて脅威とされる北朝鮮は4位?5位?
いえいえ、4位は中国、フランス・イギリス・ドイツと続いて
13位に韓国。125億。
そして・・・・
やっと42位に北朝鮮。20億ドル。

装備はどうでしょうか?
海上自衛隊の誇るイージス艦。イギリス海軍も持っていません。
さらにクラスター爆弾なども持っています。
決して北朝鮮に勝るとも劣るものではありません。
核は?アメリカの核の傘の下。まず95%は安全でしょう。

北朝鮮から見たら日本は強力な軍事国家です。
とても勝ち目はないでしょう。

こんな世界3位の軍事大国だから、9条は合わないのでしょうか?


   

軍備を持つことと9条は矛盾します。
しかし、今は軍備を持って、9条を持つという矛盾が必要な時代です。
駐車違反があるから、道路交通法の駐車違反の条項をなくせ。
とは言いたくありません。
戦争に反対する私には、9条は現実的に生きた条項なのです。

            落石

                  

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怖ろしや、次は「国民投票法」ですね。   ネット虫

2006年11月17日 00時56分48秒 | Weblog
憲法改正国民投票法案が、政党に所属する国会議員の数に比例して、それぞれの改憲案に関する意見について、テレビラジオ無料放送の放送時間や新聞無料広告のスペースを割り当てることになっているという問題点について、分かりやすい例を小耳に挟んだので紹介します。

例えば、改憲案について60分の広報放送をするとしましょう。現在、明確に9条維持を明らかにしている政党(社民・共産)は衆参合計して31人、無派閥を除く衆参合計議員数は695人。したがって、9条維持派が占める割合は、4.5%…。
60分×4.5%=2分42秒…。
つまり、9条を維持しようという政党からの説明は、カップラーメンにお湯を入れても食べる状態にならないくらいの時間しかできない。残りの全ての時間は、9条を変えようという政党からの説明に当てられる…。

新聞で考えてみよう。1面は53センチ×38センチ=2014平方センチメートル
この4.5%は、90.63平方センチメートル…ということは9.5センチ四方…。

新聞1面のうち、9条維持派の意見は10センチ四方にも足らないスペースしかないのだ…。

例として、9条の問題を挙げたが、言いたいことは、本来、広報のスペースは、改憲案に賛成の立場、反対の立場に平等に与えられなければならない(諸外国はそうなっている。)のに、自民公明、民主の上程した案は、賛成派が市民をマインドコントロールできるようなシステムになっていると言うことだ。

これでもあなたは、今国会で憲法改正国民投票法案が可決されるのを指をくわえてみていますか?

ブログ「情報流通促進計画」のヤメ記者弁護士さんの記事より

    
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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その11       千里眼

2006年11月16日 08時38分29秒 | Weblog
 <その4>
 「OSSに対してルーズベルトが与えた任務は」‥‥「単純な情報活動だけでなく、相手を心理的に参らせる謀略的宣伝を行うこと、さらに正規の戦争と対応した破壊活動を行うこと。これらは明らかに敵の社会を混乱に陥れるという、一見、戦争の一環のように見えるが、これだけ独立させると、革命運動につながる政治性をもっていたと考えられるものである。その点ではこれが、戦争とともに、隠れマルクス主義、隠れ共産主義の運動になりえたのである」と言う。

* 戦時中の後方霍乱の工作は、革命に通ずる内容を持つとし、それゆえ、それが「隠れマルクス主義」・「隠れ共産主義」の運動になりえた。と田中英道氏は論じている。こういう見方ができるとは、私には考えもつかない。これでは、なんでも革命に結びつけることができることになる。                         パターン11.誇大妄想のレトリック

<その5>
 「重要なのは、この野坂の天皇論が『日本革命の二段階論』と国務省で言われるようになり、GHQの重要な案件になったことである。天皇制廃止を主張せず、かえって軍部と対立させる、というもので、‥‥」「これは41年の段階でOSSが提案していたものであった」、この考えは、戦後、「国務省内の政策決定機関である極東小委員会で検討され、親委員会すなわち、極東委員会において若干修正されたうえで正式の政策となった。戦後の日本政策が憲法を含めて、このアメリカが『日本革命』の二段階論を支持した中で行われたことになる」と言う。

* 筆者の言う「GHQの重要な案件」の「案件」とは、どういう意味なのか。この場合には、きわめて曖昧な語句として使われている。二段階革命がGHQの政策として取り上げられたという意味で使われているのであろうか。とにかくGHQが二段階革命論に犯されていたと言いたいのであろう。
 上記引用の後半部分では、明快に二段階革命論が極東委員会で決定され、GHQはその政策のもと、占領政策を実施し、日本国憲法もその流れのなかで制定されることになった、と述べているのだ。
 二段階革命とは、「ブルジョア民主主義革命を経て、社会主義革命を達成する」という革命論のことである。
 そんな馬鹿げた見解はあるはずはないと、誰しも思うであろうが、現に田中英道氏はそう主張するのである。

<その6>
 自由党、進歩党などの「日本案に満足できなかったマッカーサーが、‥‥GHQの民生局長ホイットニーを呼び出し、憲法草案の作成を命じた。ケーディス大佐、ハッセー中佐、ラウエル中佐らが集まったが、そこには憲法の専門家はいなかった。」そこで‥‥「この人物(ラウエル中佐のこと)こそ、鈴木安蔵の憲法研究会案を英訳させて回覧させ、GHQの憲法草案に取り入れたのであった。鈴木安像は共産主義者であり、ノーマンも共産党員であった。」‥‥「ホイットニー、ケーディス大佐、ラウエル中佐 ニューディール政策を支持する民主党左派の「隠れ社会主義者」といってよい」‥‥「日本人は早くこの憲法が、共産党、社会民主党に支持されてきた理由を理解し、共産革命への第一段階を目指すものであったことを認識する必要がある」と言う。

* 憲法制定過程について、私はその詳細をしらない。日本の憲法研究会の草案が取り入れられて、GHQ草案になった、という筆者の記述が正しいかどうかは私には分らない。その経過については、後に調べ触れることになろう。
 民生局長ホイットニーを始め、主要な幹部が「隠れ社会主義者」であった。鈴木安蔵が共産主義者であった。という筆者の判断は何を根拠にしているのであろうか。ノーマンについては以前に記したとおりである。
                                   パターン11.誇大妄想のレトリック
 
まとめに変えて、この論文の論理の流れを整理しておく。

1. ルーズベルトのニューディール政策は、社会主義の計画経済を手本にしたものであり、それを支持推進したのは「隠れマルクス主義者」や「隠れ社会主義者」である。
2. アメリカ知識人に大きな影響を与えたフランクフルト学派は、「隠れマルクス主義者」である。
3. OSS(国家情報戦略局)は、これらの「隠れマルクス主義者」が多数、巣くっていた。
4. OSSの援助と支援で、中国共産党は政権を奪取できたのである。
5. OSSの戦時中の日本工作は、革命運動につらなる政治性をもっていた。それを進めたのはOSSの「隠れマルクス主義者」たちである。
6. 戦後の対日政策について、国務省はOSSの流れに乗って、「二段階革命論」を取り入れ、GHQに指示した。
7. GHQ民生局長ホィットニーを始め、幹部はニューディール政策を支持する民主党左派で、「隠れ社会主義者」である。
8. マッカッサーの指示のもと、彼等は、鈴木安蔵ら「共産主義者」の作った憲法研究会案を取り入れて、GHQ憲法草案を作った。
9. したがって、日本国憲法は、二段階革命の第一段階を達成するためのものであった。
 
 こうやって整理して見るとよく分るのだが、何でもかも「隠れマルクス主義者」「隠れ社会主義者」に仕立てられてしまう。そして、二段階革命の最初の段階、ブルジョア民主主義革命を達成するために作られたのが、日本国憲法だと言うのである。これが筆者のこの論文の中核的結論なのだ。
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押し付けられた憲法だから   落石

2006年11月15日 15時46分37秒 | Weblog
 先日の放送人9条の会での
長峰信彦先生のお話を紹介します。

今回は「押し付けられた憲法だから論」です。

確かにGHQに押し付けられた形でした。
では、押し付けられたのは誰か?
国民か?政府権力者か?

当時の政府権力者が、自分たちのものとする憲法案は
どんなものだったのでしょうか?
当時の政府は、軍部はなくなっても良い、
しかし、なんとしても天皇は残そうとしていたので、
その憲法案の天皇の地位は、明治憲法と同じものでした。
これではGHQはNOでした。

では、現在の憲法の象徴天皇案は、誰のものだったのでしょうか?
アメリカ案だったのでしょうか?
いいえ、日本人の案だったのです。

鈴木安蔵氏らがつくった憲法研究会の草案でした。
GHQは、憲法研究会の案を下敷きに、彼らの草案をつくったのです。

また、国民が健康で文化的な生活を保障する
憲法25条のような「社会権」も、憲法研究会の考えたものでした。
国民の自由の権利とは、国家の介入を排除する権利です。
これはアメリカ人の頭のなかにあった自由です。
しかし、国家が介入して国民が自由を享受する権利は
アメリカ人の頭には全くありませんでした。
こんな憲法を持っている国民は珍しいそうです。
これは憲法が国民を縛るものではなく、
国民が国家権力を縛るためのものだからです。

形式は「押し付けられた」ものですが、
内容は「日本人が考えた」ものだったのです。


そうなのか!知らなかった。  

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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その10       千里眼

2006年11月15日 09時12分30秒 | Weblog
 ここでは、田中英道著「『日本国憲法』は共産主義革命の第一段階としてつくられた」(雑誌「正論」平成18年11月号)を取り上げる。著者の田中英道氏は、東京大学仏文科・美術史学科を卒業し、東北大学名誉教授で、専門分野は美術史。西尾幹二氏のあとを受け、「新しい教科書をつくる会」の二代目会長に就任している。教授職を退任後、「新しい教科書をつくる会」のシンポジュームや研修会のほとんどに講師として招かれ、さらには憲法調査会の地方公聴会にもたびたび招かれる、など活発に活動している。雑誌「正論」にもよく執筆している。

 この論文の流れに沿って、問題のある代表的な部分をいくつか引用・紹介し、分析する(*の部分が私の分析)。最後に大きくその論理構造を見たうえで、そこから導きだされた結論の内容を紹介したい。

<その1>
 「ルーズベルトは、スターリンを『共産主義者と考えるのは馬鹿げている。彼はただロシアの愛国者であるだけだ』と公言し、英国を除く全欧州がソ連の支配下に入ることさえ認めていたのである。『われわれは、ロシアの驚くべき経済的成果を見落とすべきではない。財政は健全である。(略)ヨーロッパの人々は、十年、二十年先に、ロシア人とうまくやっていけるようになるという希望を持って、ロシアの支配を、ただ甘受しなければならない』」(1943年9月スペルマン司教に与えたルーズベルトの言葉)

* この文章は田中英道氏が、この論文のなかで記述している内容である。誰が見ても馬鹿げた内容だと考えることであろう。それを真面目か、意図的かは知らないが、出版される論文に記載する筆者の神経を疑う。このルーズベルトの言葉なるものは、このスペルマン司教の日記とか記録に依拠しなければ、分らないはずである。それを実際に確かめたのであろうか。なによりも大司教でもないルーズベルトが、司教に「言葉を与える」という行為をするはずがない。対談とか会話は別として。あきらかに、これはデッチアゲとしか思えない。

 彼の言うように「英国を除く全欧州がソ連の支配下に入ることさえ認めていたのである」のなら、そういう状況を作れるチャンスがあったにもかかわらず、ルーズベルトがそういう行為をしていないことを、どう説明するのであろうか。
                              パターン8.無を有とするするレトリック

<その2>
 「ルーズベルト大統領によって創られたOSSは、反日政策を実施するばかりでなく、社会主義に対する支持をし、こともあろうに共産中国を成立させる役割を演じた」
「アメリカが戦後悩むことになるヴェトナム戦争もこのOSSによって種が撒かれたといってよい」「この共産ヴェトナムの革命の父、ホー・チミンは隠れOSSの要員であった」 
 「OSS工作員の太平洋戦域での活動は、親・ソ連、親・中国共産党のためであった。‥‥終戦までには工作員と補助工作員合わせて3万人を超える大組織になっていた。‥‥その中に多くの『隠れマルクス主義者』たち、つまりドイツから脱出したフランクフルト学派のマルクーゼやノイマン、キルヒハイマーなどが加入していた」

* OSSとは、アメリカ戦略情報局のこと。ルーズベルト大統領のとき、1942年に設置された。戦争遂行のための情報活動と諜報活動の役割を担った機関である。
 このOSSがソ連と中国共産党のための活動を展開していたということを、きちんとした論証もなく、断定的に記述できる筆者の頭の構造を疑う。
 フランクフルト学派の学者を「隠れマルクス主義者」としているが、これもデマそのものである。ただ一人中国史の学者ウイットフォーゲルのみは、そう評価できるだろうが、他の学者はけっしてそうではない。彼らはフランクフルト大学のスタッフであったユダヤ系ドイツ人で、ナチスの台等に追われアメリカにその多くは亡命した。「西欧近代文明へのラディカルな批判を展開した」、「従来のマルクス主義のように経済学的説明一本槍で済ませるのではなく、進んで心理学その他の新しい科学を取り入れていこうとした」(徳永恂著「フランクフルト学派の展開」)。彼らは、哲学的、思索的な社会批判を特徴とするが、ショウペンハウアーやフロイト、ニーチェなどの影響を強く受けている。どうして彼らが「隠れマルクス主義者」とされるのか、全く理解ができない。とんでもないデッチアゲである。
                                パターン8.事実誤認のレトリック
                                パターン10.デッチアゲのレトリック

 田中英道氏は日本語の使い方を知らない。上記引用の最後に「加入」とあるが、政府組織は「加入」できるものでもないし、「加入」するものでもない。任命とか、雇用とか表現すべきである。民間の任意団体ではないのである。<その1>で触れた「与えた」も恐らく、同じ種類の用語上の使用ミスと私は思う。

<その3>
 「OSSは中国で共産主義国家をつくるために活動していたのである」
 「そのOSSの動きを一人の日本人が見ていた。彼はOSSの援助の大きさを見て、中国共産党の成功を悟ったと言われる。それが後の日本共産党の重鎮、野坂参三であった。中国共産党が国民政府軍を破り、北京へ入城したとき、アメリカの軍服を着てアメリカの銃を持ち、アメリカの戦車に乗っていたといわれる。それらはアメリカがすべてを提供していたのである。このとき、野坂は、毛沢東、周恩来、劉少奇らの連中はアメリカの援助で成功すると確信したという」

* OSSの中国責任者(私は確認できてない)であったジョン・エマーソンの回想録の内容に前後を挟まれた間に、上記の文章が出てくる。いかにも、エマーソンの回想録の一部のような書き方で。この荒唐無稽さ。中国共産党はOSSの援助によって、政権奪取に成功したそうである。日本に「見てきたようなウソを言い」ということわざがあるが、これなどはその諺が当てはまる。
                     パターン10.デッチアゲのレトリック

 野坂参三のくだりは、漫画ティックで面白い。小林よしのり氏に書かせてあげたいような場面である。

 この論文も挙げるときりがないぐらい、この手のデマに満ち溢れている。核心部分の「日本国憲法」にかかわる部分については、どうしても触れざるを得ないが、長くなるので、次回まわしにしたい。
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「平和ともしびウォーク」の素敵なポスターが出来ました。   ひかる

2006年11月15日 00時04分58秒 | Weblog
 「平和のともしびウオーク」の素敵なポスターが出来上がりました。
 描いて下さったのは、美術デザイナーとして各方面で活躍されている「茶畑和也さん」です。茶畑さんは平和ゃ保育問題にも理解を示され、今回のお願いも快く引き受けてくださり、素敵なポスターが出来上がりました。
 
 濃淡の優しいブルーを基調にした画面に、明るく希望に溢れた星のような「平和ともしびウォーク」の文字。
 そんな星空の下、人々は夫々の平和の言葉を掲げ、平和のともし火を大切に持って楽しそうに確信を持って歩いているようです。
 もう、私たちの企画した想いが叶ったような気さえします。

 この企画は昭和、千種、みずほ九条の会が共同し、12月8日の午後6時~8時の間、阿由知通りを秋葉神社(博物館の北側)から桜山、天神町公園(御器所)、吹上、今池まで「平和のともしびウォーク」を行うものです。 秋葉神社と天神町公園では集会も行います。

 寒い冬ですが、旧軍が真珠湾攻撃を行った日でもあり、ビートルズの反戦歌手ジョン・レノンが暗殺された日でもあります。 その日に「平和を願う」のは意味深いものだと思います。 ぜひ、ご都合をつけてご参加ください。 また、天神町公園の集会は楽しく,賑やかな内容にしたいと考えています。

「9条を守る」運動にふさわしい企画をお寄せいただく事を併せてお願い致します。

  連絡先 昭和区九条の会事務局 舟橋 731-2749

                          
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イラク戦争が教えること  文科系

2006年11月14日 19時14分40秒 | Weblog
右の方々は総じてこういう哲学を持っておられるようだ。①人間は争うもので、戦争は減っていないし、これからも減らない。②よって国際的問題は武力で解決する点が多いはずだ。③例えばイランでも、いずれアメリカが思うとおりにするだろう。というようにまー、性悪説のオンパレードなのである。
これに対して僕は無い知恵を振り絞ってこう語ってきた積もりだ。第2次大戦以降戦争は減っている。倫理的には人の命が平等に大切に見られるようになってきたし、政治的には民主主義が発達してきたからだ。民主主義は、例えポピュリズムを招くことがあるにせよ、小国の民族自決心から、大国では女性参政権も含めた普通選挙が為政者の暴走へのチェックとなるようになったことからなどなど、戦争抑止に繋がっている。などなどと。そして、これらの点から僕はイラク戦争の決着を注目すると語ってきたものだ。
そしていま、つくづく思う。「軍事力で横暴を通せる時代ではますますなくなってきたな」と。アメリカにとっては、ベトナムと並んで痛恨の教訓となったはずだと。これだけ世界的にも国内的にもマスコミが発達してきたら、大義名分が余程はっきり味方してないと、戦争はもう起こせないだろうなとも。還元すれば、相手にそんなに大きな大義名分を与えるような「大それた犯罪」を、どの国も重ねにくくなっただろうとも。そして、国連の戦争制止の役割が高まる中で、大国が絡んだ戦争はますます減るだろうなとも。
こうして、アメリカが今年に入って脅し続けてきたイラン戦争も、当面なくなったと言えるだろう。

声を大にして言いたい。「歴史は9条守れの方向だ」

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今日もランニング  文科系

2006年11月13日 21時31分55秒 | Weblog
本日は6.5キロを、10キロ時までのLSDをやった上で、11キロ時の1000歩走で走った。1000歩走での最後のころの心拍は、装着したハートレイトモニターで175ぐらいまで行った。まだまだ心肺機能は落ちていないということである。
明日の疲れ具合を見て、ここ1ヶ月ほどのトレーニング計画を作るつもりでやった2日連続走なのであるが、どうなるか楽しみだ。明日疲れが少なければ、以降1日おき程度で走る積もりだ。それも、かなり無理が利くということである。
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北朝鮮の核実験をめぐる七つの謎 千里眼

2006年11月13日 11時11分28秒 | Weblog
 北朝鮮の10月7日の核実験以降、それをめぐって様々な報道がなされた。しかし、私には、その報道には納得できないもの、不思議に思うこと、などなどの思いを抱かざるをえなかった。「七つの謎」という大袈裟なタイトルをつけて、投稿する。ただし、中日新聞と、NHKなどテレビの報道しか見ていないので、他の新聞などでは報道されていたのかも知れない、という問題はあるが。

 その第一は、その爆発規模をめぐる問題である。アメリカは1万トン、ロシアは10万トンの爆発だと言う。長崎に落とされたプルトニウム型原爆の爆発規模が、10数万トンであったのに対して、北朝鮮の核爆発の規模ははるかに小さい。
 地震測定技術は世界最高であり、測定網が張りめぐられている日本であるから、当然、北朝鮮の核爆発のエネルギー量は気象庁の観測で分かっているはずである。地震波の測定図は公表されたが、その爆破のエネルギーの大きさは発表されていない。日本より離れたアメリカで爆発規模が分るのに、日本で分らないはずはない。
 気象庁は平和機関であるから、その数値を国民に示すことができないのは、理解できる。が、政府を通して防衛庁等関連機関へ通知され、詳細な分析が行われたはずである。なぜ発表されないのか。報道機関を始めとして。この点に疑問を持つ者がいないことに不思議さを感ずるのは、私だけであろうか。

 第二に、北朝鮮の核実験は成功したのか、失敗したのか、どちらなのであろうか。これについての詳細な報道がない。これまた不思議である。爆発規模が小さいことは分っても、それほどの小型核爆弾を造る高度な技術を北朝鮮が持っているのかどうかという問題に直接関わっているのだ。
 現在、アメリカが開発しようとしている小型核兵器の爆発規模はどの程度なのか。それとの比対で、北朝鮮の核技術の水準がある程度推定できるのだが。

 第三に、北朝鮮には、ソ連の援助で建設した泰川にある黒鉛型原子炉(20万キロワットの発電能力)が一つあるだけである。その稼動期間は分っているはずなので、その核廃棄物から抽出できるプルトニウムの量は簡単に推定できる。その量から核爆弾をいくつ作れるのかも、簡単に推定できる。こうした情報が、この期間に報道されなかったことは何故なのか。

 第四に、北朝鮮の経済力、軍事力についての総括的報道を私は欲しかったのだが、これについての報道もなかった。

 第五に、北朝鮮の権力機構・政治機構がどうなっているのだろうか。金正日の独裁体制とはいうものの、軍部の発言力はどうなのか。この核実験をめぐって、北朝鮮の実態を摑み直す絶好のチャンスと思ったのだが、この私の要求に答える報道はなかった。

 第六に、北朝鮮の核実験について、強烈な反応を示し、核拡散防止に強い意欲を示したアメリカは、現在「使える核兵器」の開発計画「コンプレックス2030計画」を立案し、その実戦使用段階・配備段階までを念頭に置いた開発計画を進めようとしている。2008年までに環境調査を完了し建設地を決定し、製造体制に入ると計画している。2030年には配備を完了すると計画している。
 「抑止力としての核兵器」の考え方から脱皮・脱却(いい言葉を思いつかなかった)して、実戦に使えるより小型の効果的な核兵器の実戦配備を急いでいるのだ。これが、「先制攻撃戦略」と結合した場合、その恐ろしさははかり知れない。こんなことが許されてよいのか。民主党政権に変わっても、この開発計画はスピードを落しても、放棄しないのではないかと、私は思っている。核兵器を通常兵器なみに使用しようとする、このアメリカの考え方は許せない。
 この計画そのものを俎上に挙げて批判している文献を見たことがない。北朝鮮の核実験で、あれほど騒ぎ立てたのに、世界の政治家や知識人はどうしているのであろうか。これもまた不思議である。各国のジャーナリズムは何故取り上げないのか。

 第七に、私は、この北朝鮮の核実験を契機に、核拡散防止、核廃棄への動きが強まると私は予測したが、そうはなっていない。これをどう判断したらよいのだろうか。
 新聞報道によると、11月11日のドイツの新聞紙上に、ドイツとノルウェーの外相が共同で寄稿した次のような内容の文章が掲載されたようである。「核不拡散体制を崩壊させないために、米国とロシアは核軍縮についての交渉を再開するよう求める」と。こうした動きがジャーナリズムで活発に論じられ、そうした動きが強まるのを私は期待したのだ。情けない話だが、こんなことは日本政府にはまったく期待できないので、ヨーロッパ諸国の政治家と知識人に期待したのだが。
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