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公正な「分配」も口だけだった  文科系

2021年10月16日 14時49分50秒 | 国内政治・経済・社会問題

 僕もいくらか期待した宏池会・岸田内閣の「分配」は、どうやらやはり全く「口だけ」の期待外れと分かった。「成長を前提に分配」「金融所得税は取りやめ」などと言い始めたのである。安倍首相や麻生財務相さえ、毎年の春闘前にこう叫んでいたのだ。「儲かっているのに給料を上げない会社は守銭奴である」。麻生、安倍のこれは単に口だけ、証拠はこれ。日本の給料も一人当たり購買力平価GDPも、韓国にもとっくに追い抜かれて、このGDPに至っては世界35位ほどになったのではないか。

 さて、新自由主義経済には本拠のアメリカにおいてさえ特にその格差問題で根本的な反省が始まっているのだが、岸田内閣もまた「そんなの関係ありません」と言うだろう。アメリカで起こっているのは、こんな反省なのである。

【 今、グローバル経済(学)はこう破綻した 文科系2020年01月18日

  今、グローバル経済(学)は、アメリカでこう破綻した。日本の主流経済学者らの反省をも是非聴きたいものである。この40年ほど世界を席巻してきた新自由主義経済に対して、世界で重大な反省が巻き起こっているからだ。まず、去年の8月にはこんなことが。

  小さな記事だったが、8月20日夕刊に分かる人には分かる出来事が、報じられている。この大事な記事の見出しは、
「株主最優先を米経済界転換」?? 
 この中日新聞記事の書き出しはこうだ。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 次いで、12月3日の米政治週刊誌「ニューズウイーク日本版」が組んだ特集「宗旨変えしたノーベル賞学者」は、2人の世界的経済学者らの反省を載せている。それは以下のように重大すぎる声と言って良い。まず、アベノミクスにも大いに影響を与えたポール・クルーグマンは、こう反省しているのだそうだ。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』

 このニューズウイーク記事によると、他の経済ジャーナリストなども今は、経済学者らの過去理論を批判しているのだそうだ。
『多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ』
 という反省から、このニューズウイーク論文の末尾まとめはこういうものになっている。こちらは、もう一人のノーベル賞経済学者・ジョセフ・スティグリッツが90年代から指摘し続けてきたグローバリゼーション批判をまとめた文章でもあるようだ。
『最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかって、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った。』
(以下略) 】

 こんなアメリカは自国経済を守るために、当面、保護貿易主義さえ取り入れたのである。対する日本はどうか。この総選挙に向けて、この愛知でこんな事がおこった。トヨタ労組支援で連続当選してきた野党候補が自ら退任、自民党候補者に議席を譲ったのである。政府がトヨタに対して猛烈なマイナス「利権」圧力を掛けたに違いないのである。

「金融所得税」が話題になって株価が大幅に下がった? こんな事は当たり前のことで、これを躊躇して「公平な分配」など出来るわけがない。多国籍企業の税、IT市場税に、この金融所得税・・・世界で課題になり始めたこれらすべてが公平、公正な分配の財源になるべきなのだ。株主資本主義に於いて金融に累進課税を掛けなかったら、行く末は彼らによって職をなくされた国民がもっともっと路頭に迷っていくことになる。国連で相談でもして、世界的に実現を図っていくべきなのだろう。ちょうど近代社会で経営者を向こうに回して「8時間労働制」が生まれてきたときのように。

 自民党は、そして岸田内閣も、政治資金を通じて彼ら金融、世界企業らの代弁者でしかないと明らかになったのではないか。

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「都心の庭」は、自然のオアシス? 文科系  

2021年10月15日 22時09分12秒 | 文芸作品

 五〇歳直前に都心に近い父母の家に入ったが、現役時代は家の庭など見向きもしなかった。僕が二十歳を過ぎた頃父母が初めて我が家を構えたその母と連れ合いとに任せっぱなしで、僕の出番は、いつの間にかあっという間に大きくなった自然生えの木を切るとか、多い花木の枝払いなどたまにある力仕事だけ。ちなみに、父は若い頃から庭に手を出したことなど皆無だった。そんな僕が、定年退職以降二〇年、この三〇坪ほどの庭の仕事を次第に増やしてきて、今では連れ合いと対等に、手だけではなく口まで出すようになった。この年月が、「都心の庭」のあれこれを楽しみ、味わい、識るという思いもしなかった贅沢をもたらしてくれた。

 我が家のまず春先に咲くのが、白木蓮、木瓜、梅、ユキヤナギで、やがてツツジに卯の花、アヤメなどを経て、ムクゲの夏から、秋は金木犀、秋明菊。果樹、野菜の収穫もあって、梅酒はできるし、金柑、柚、葡萄に、毎年の雑煮に入る餅菜を摘み残しておくと育ち上がっては菜の花になり、やがて菜種の実が付く頃には、毎年のようにつがいのカワラヒワが枝を揺らして啄みに来る。

 ところで、庭を通してこの家の周辺一帯を眺める機会がどんどん増えていき、やがてこんな事に気づいた。名古屋市のど真ん中、中区との東境に近いこの一帯には近辺のどこにも庭らしいものなどなくなっているのである。持ち主の二代目、三代目になると、売って引っ越した跡などに、どんどん住宅が立つ。百坪以上の土地には庭は無い集合住宅。それ以下には、三階建ての建売住宅がギリギリ4~5軒も。時節柄、分割相続とその税などにも替わっていくのだろうが、親の家を残している所など、どんどんなくなっていく。東西に走る飯田街道、この辺りで南北に抜けている旧「塩の道」など、古くから栄えた庶民の街がごっそりと変わっていく。それぞれの近いご先祖にこれが見えるならさぞ寂しい気持になることだろう。が、時節柄先代よりもはるかに貧しくなったはずの二代目、三代目にとっては、金に換えたい財産なのだ。東西の道路を挟んだ我が家の斜め北東向かい十メートルほどの土地が、先年坪百万で売られたというのだから、お金に換えることによってなんらか人生を進め、救われた子孫も随分多いにちがいない。
 我が家でもちょっと前に連れ合いがこんな事を言い出して、一悶着が続いた。築六〇年になるこの家を壊して、百坪ちょっとの敷地一杯に自宅兼集合住宅を建てようと。激論の末にこれは退けたが、「古い物には価値がない」というような現代生活消費文化を僕は嫌いなのだ。ましてやこの家は、無一文で出発した父母が先ず土地を買い、共働きで金を貯めて、伊勢湾台風の直後に父の好みでいろいろ注文した超頑丈な鉄筋コンクリート造。それだけの使用価値を遣い尽くしてやるのが、父母や地球への道義というもの。「この土地に僕らの家が建つんだ」、小学生から大学二年まで、他人に貸した畑時代のここを何度見に来たことだったか。古い、衣食住などを大事にしないって、結局自分をも大事にしないということではないのか。
 
 連れ合いとのこの激論以来、この庭を僕はもっともっと見直し始めた。カワラヒワだけではなく、こんな鳥が来る。ヒヨドリ、ドバト、メジロ、ムクドリはもちろん、喧しいシジュウカラ。臆病なツグミ、人懐っこいジョウビタキ、どこから来るのか姿は見せぬ鶯の声まで。そして短い盛夏にきっかりと合わせて、クマゼミの大合唱である。付近には古い庭がないのだから、僕の庭で生まれたものばかり。先日も白イチジクを植えるために土を掘ったら大きな幼虫がのこのこと現れて、早速、近くの土に戻してやった。と、こんな事はもう度々だから、我が家の庭の蝉口密度は凄まじいのだろう。多分、過去の夏に潰した古い家の蝉の子孫で溢れかえっているのではないか。

 さて、もうすぐ11月。我が家はこれから半年近く、2本の梅の老木どっさりの梅から作った梅酒が飲める期間に入っていく。亡くなった母もこれを作っていたが、わが連れ合いは最近ネットで研究し直して、一段とこの腕を上げている。今年は新たにブランデーに浸けた梅酒もスタートさせているから、若い頃からブランディー(とウイスキー)好きの僕は、今からもう涎を出しつつ、待ち構えている。

 

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八十路ランナーの手記(375)好不調の大波、なぜ?  文科系

2021年10月14日 22時16分21秒 | Weblog

 10月には月130キロという目標を立てて、14日までに何とか63キロまで漕ぎ着けた。ちょうど半分の7日走ったのは僕としてはよく通えたもの、ジムマシンが4日、3日が地面走。外走りはすべてLSDで、最長でも8キロ。そのキロ平均は7分14秒で、ストライド83センチの140bpmと出ていた。ジムでは14日に100分、14キロと頑張れたのだが、この日は好調で汗も疲れも少なく帰ってきた。途中で9・5キロ時でも15分ほどを楽に走れていた。
 この10月はどうも酷い日と好調な日が凄く波があると感じたのだが、走る前の食事が関係しているのかな。一度ハンガーノックというものを調べてみよう。年取ってギリギリで走っている身には、体内グリコーゲンとやらの量が少ないのかも知れないし、それよりも今気づいたが外走りでは途中で水を摂っていないのがいけないのかも知れない。なによりもまず、必ず水とバナナぐらいは摂ってから走ると決めることかも知れない。

 それとも、僕の身体がそろそろ走れるか走れなくなるかのギリギリの時点に差し掛かっているのか。それほど疲れるときがあるのだ。「もうランナー辞めようか」というほどに。でも、だからこそ、せめて水とバナナぐらいは摂って走れよなということだろう。

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対豪戦、ちょっと希望も?  文科系

2021年10月12日 18時43分09秒 | スポーツ

 先発メンバー真ん中に遠藤、守田、田中が入って、右に伊東、左に南野、トップが大迫だそうだ。森保の攻撃指導欠陥を川崎の2ボランチが補う形だが、森保の発想である守備的な戦い方に縮んでいることには変わりはない。伊東と川崎2ボランチの計算以上の戦術眼、奮戦を期待するしかない布陣だ。ただ、元川崎の中盤二人なら、その「立ち位置」など、何とか連携して大迫、伊東、南野を活かしてくれるかも知れない。このチームは組織的「立ち位置」さえちゃんとすれば、攻守の連係も取れて10人が11人分にも働けるはずなのだ。

 何とか、勝ってくれ! こんな所でうろうろしているはずがないという、それだけの史上最強メンバーなのだから。

 

ゲーム後に追加

 とうとう勝った。はっきりと強い、豪州に。豪国はいわゆるイングランド風原則をよく踏まえたオーソドックスな良いチームだったが、日本が今までとは見違える戦い方をしたのが勝因だ。個人技術だけ観ていると今までとは全く違うこのゲームの繋ぎの良さの原因がけっして分からないと思う。今までとは違ってボールが奪えただけでなく、奪ったボールがどんどん繋がっていった。このことは誰が観ても分かったはずだ。中盤に、元川崎の田中、守田が入っただけでこんなに違うのである。田中が得点したし、その右田中へ左サイドからクロスを入れた南野に後方から速い縦パスを入れたのが守田だった。サッカーとは組織で戦うもの。昨日までのこのチームの戦い方を、「選手らの立ち位置が悪い」と批判していたのが田中と守田。田中などはそこから「個人でプレーしていて、繋がりがない。他人のために動いてもいない」ときつい言葉を発していたのである。その言葉通りに自分らのその都度の立ち位置を見事にプレーして、チームを勝たせて見せた。自分らの戦い方をやっと見つけたこの代表は強いぞ。

 なお僕には、横内昭展コーチが心配そうに、ぴったりと監督に張り付いているように見えたもの。彼こそ、この勝因を全部理解し尽くしているはずだ。いや、この4-3-3には彼の提案があったのかも知れない。それほどに彼が監督をやったトゥーロン国際大会の日本組織の強さが際だっていたのである。

 

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対豪戦、森保に勝つ指導ができるか?  文科系

2021年10月11日 00時24分41秒 | スポーツ

 フットボールチャンネルの記事に、こんな絶好の反省が載っていた。代表ボランチの元川崎、守田選手の分析である。今は、ポルトガルの強豪に在籍している。以下に書くのは、当ブログ8日の拙エントリー内容を前提としたものだ。その上で、代表ボランチ守田の以下の提言をクローズアップさせてみたい。

『「まず『立ち位置』かなと思います。それだけじゃないんですけど、見ていなくてもここに人がいるような状況だとか、『ここに人がいてくれるから、こうなるよね』という、ちょっとした論理的な部分が、今は少し欠けてしまっているというか」
 これを守田なりの視点でもう少し噛み砕くと、次のような考え方になる。
「選手各々の特徴もあるので、その特徴を生かしてあげるようなポジショニングやサポートの仕方はある。例えばサイドの選手が(ライン側に張って)幅を取れていないとか、中に入りすぎていて、それによって空けたスペースを誰も有効に使えていないとか、そういうのはまだ少しあるかなと。それさえよくなれば、もっともっと厚みのある攻撃とか、(ボールを)失った後もいい距離で守備ができると思います」』

 この守田の分析、「まず立ち位置」は、8日の当ブログ拙エントリーのこの主要部分と一致する。
『何よりも、世界最新にして強力な点取り法、「前方からの組織的プレスボール奪取で、ショート・カウンター得点」ができていない。Jリーグでも川崎や横浜、鳥栖など今強いチームは皆取り入れて得意な点取り方なのだが、これができない。それどころか、この点取り法の前提になる組織的プレス指導も甘かったと僕は観てきた。このサウジ戦こそプレスはちょっと前進したが、ボールを奪取した直後の組織的繋ぎが甘い。プレスを掛ける時の選手らの立ち位置、次への準備などが甘いということだ。こういう組織作り欠陥の原因は監督にある。』

 守田は攻守にわたる(論理的な)立ち位置を味方選手の特長を活かしあうように取って、スペースを作りあるいは活用しあうことを提言している。彼は一例、敵陣に攻撃に入ったときサイドに張っている身方選手がいれば敵DF陣は横に広がって中に点取りスペースが多くなることも強調しているわけだが、これはサッカー点取り法の論理、セオリー中のセオリーの一つだ。

 ちなみに、この立ち位置、いわゆるポジショナルプレーを指導するなら森保よりもコーチの横内昭展氏の敏腕こそ証明済みなのである。U24のトゥーロン国際大会決勝までメキシコ、イングランドなどを破り、ブラジル相手の決勝戦では同点、PK戦となった、その監督実績があるお人だ。

 森保は謙虚になって、横内コーチの分析を組織指導中心にとことん聞き出すが良い。場合によってはプライドを捨てて、彼に指導させると言うほどに。でないと、次の豪州戦は、サウジ戦より惨めなことになるのが目に見えていると言いたい。

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今、安倍政治への決着を  文科系

2021年10月10日 13時00分31秒 | 国内政治・経済・社会問題

 安倍晋三氏が仕立て上げた菅内閣が退いて、同じく安倍の息もかかった岸田内閣が生まれた。が、菅の退陣にも、30年ぶりとかの宏池会首相誕生にも、安倍長期内閣が犯した数々の失政というよりも確信犯愚行への反動があることも明らかだ。が、安倍とその派閥はまだまだ力を持っている。今息の根を止めておかねば、総選挙の結果次第ではまたまた復活してくるだろう。むしろ、この選挙に野党が勝つためにこそ、自民党最大派閥・清和会の息の根を止めたい。彼らがいかに普通の政治常識から外れた集団であるか、以下二点において描き出してみる。

 まず、この総裁選挙に安倍が「高い見識ある政治家」として鳴り物入りで喧しく推薦し、集票電話を掛けまくった高市早苗の国防論を観る。高市早苗はこういう題名が付いたネット記事を書いている。

『高市早苗氏 経済安全保障と中国の脅威を語る「やられたら報復がある。それが抑止力」山田宏氏との対談にて』

 この内容を、本文の言葉で要約すれば、むしろ「やられる前にやる」ということになる。以下のように。
「日本の科研費を使って、日本で研究をした中国人が中国に帰って、極超音速兵器兵器を開発しています。極超音速兵器は日本では残念ながら迎撃できません」
「ではどうすればいいかということです。もしも早めに発射の兆候がわかれば、敵基地先制無力化をします。これは安倍内閣の積み残し案件で、敵基地先制攻撃と安倍首相はおっしゃっていました。私はむしろ敵基地先制無力化と言ってます。いかに早く相手の基地を無力化するかで、これからは勝負が決まると思っています」
「だから、反対にこちらが仕掛けます。敵基地の無力化をします。このための備えもしなればいけませんが、法的にできないこともあります。サイバー攻撃で相手の基地やシステムを無力化します。これはアクティブディフェンスですが、日本では法律がありません。憲法で通信の秘密にひっかかるというのがあって、安倍内閣でもなかなか議論が進みませんでした。」

 このような論議は、この日本にいてちょっと正気かとも思うが、最近のアメリカ「国防」論の焼き直しにすぎないのである。アメリカがこれを発動した国が近年すでにいくつもあるという、先制的防衛論そのものなのだ。第一がアフガニスタンで、こんな小さな国が結局、アメリカ史上最長の戦乱に襲われたのであった。次が「大量破壊兵器予防」のイラク戦争だ。こういう予防戦争を世界に呼びかけて未遂に終わったのが、ベネズエラやイランである。ただ、対イランでは、同国英雄司令官スレイマニをイラク政府に呼び出させたそのイラク・バクダッド空港においてドローンで粉砕したのだから、このこと自身が国際法上では戦争、開戦行為なのである。

 

 次いでもう一つ、安倍執念の憲法改定に走る思想的根拠となっている文書、「日本会議がめざすもの」をここに改めて紹介したい。以下がその冒頭部分である。

『 日本会議がめざすもの

1美しい伝統の国柄を明日の日本へ
 皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。

 125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。

 しかし、戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。
(以下略)』

 こういう文章を読まされると、文中の「同胞感」が皆無の僕などは途方に暮れてしまう。『社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になる』ということがない日本人と宣告されているのだから。こんな思想で政治運営がなされる国は全体主義国家にしかならないという知性、教養さえないのである。安倍晋三氏は、こういう団体を支持する政治集団の最高顧問を務めている。これでは確かに、人文社会系学者の大部分を疎外したくなるはずであって、最近の学術会議人事干渉も必然というもの。これを放置しておけばやがては、戦前の滝川事件、美濃部達吉事件も必至と、そう考えるのが当然という政治思想の持ち主なのだ。

 

 赤木雅子さんは、夫の死を究明するまでとことん戦う姿勢だ。学術会議も「落選理由」を聞くまで引き下がらないだろう。国政を私物化した「桜」の不起訴も小沢一郎の時以上に、追及されていくはずだ。これらすべてが戦われている間は、安倍を半謹慎状態にもできるかもしれない。「国政功労者を祝い励ます会」を「個人選挙後援会・さながら山口県人の会」に換えてしまって、この事件の究明などでは「参加者名簿は破棄しました」「領収書はありません」などと応えつつ国権の最高機関、国会に於いて嘘八百をならべてきたというペテン師である。こんな彼に国会で大きな顔をさせ続けるなどは、日本政治の大恥というものだ。

 

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どうなる、米中狭間の日本 ④  文科系

2021年10月09日 09時15分35秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

1 前回の最後にこう書いた。
『核戦争はできない。中国がもつ核能力は、先制的第一次核能力ではなく、第二次的核反撃能力である。また、防衛的に相手都市破壊はできるが、相手兵力破壊はできない核である。歴史的・国際的かつ国連的にも中国領土であると認められてきた台湾だが、危惧されている台湾侵攻も、言われているようにはありえない。「6年以内には(あり得る)」などは、アメリカの一司令官が語っただけのものである』
 米中の軍事費比較をしてみても、このことが分かる。対GDPの軍事予算比率(ストックホルム研究所2020年度)は、中国は1・75%ほど、アメリカはその倍を優に超える3・74%というのだから、中国に戦争をする意思などは皆無というべきだろう。むしろ、第一回目で述べたようなアメリカの中国挑発が、近年はるかに執拗になっている。ケーガンの「世界秩序の強制」、キッシンジャーの「体制転換を強いる」という動きである。

2 アメリカは、20世紀の対ソ冷戦から、21世紀になって「テロとの戦い」、次いで今「米中争覇」を世界戦略とした。そして今、近年のアメリカの世界戦略である「予防戦争論」「先制的防衛論」なる概念が、中国の台湾政策などに適用され始めた観がある。これらの歴史を一言で表現すれば、こんな戦略がアメリカについて回ってきたのは明らかだろう。「地政学的な敵を作って軍事に世論を引き寄せて軍隊を守り抜き、その敵の周囲国に兵器を輸出する」。テロとの戦いでは、サウジ、UAEの対GDP軍事費率が世界有数になったし、対中国を巡って最近はオーストラリアへの原潜輸出問題や日本のイージスアショアー問題が起こっている。そもそも古い時代を識っている我々から観ると、米がソ連と対峙した冷戦時代より二倍も大きい軍事費を使っているというその理屈が理解できないのである。

3 先の自民党総裁選挙では、高市早苗氏が猛烈な「対中予防戦争論」を展開して、世を驚かせた。また彼女のこの論をも意識してだが、安倍元首相が「高い見識」などとネット評を書いた事も世に広く知られている。当ブログ9月24日エントリーで高市氏の議論を紹介したが、「中国が必ず攻めてくる」と言うところから始まるようなこの先制的防衛論のどこが高い見識なのか。ということで、このシリーズを終わりたい。

【『 高市早苗氏のこういう題名が付いたネット記事を読んだ。
『高市早苗氏 経済安全保障と中国の脅威を語る「やられたら報復がある。それが抑止力」山田宏氏との対談にて』
(中略) 
「日本の科研費を使って、日本で研究をした中国人が中国に帰って、極超音速兵器兵器を開発しています。極超音速兵器は日本では残念ながら迎撃できません」「ではどうすればいいかということです。もしも早めに発射の兆候がわかれば、敵基地先制無力化をします。これは安倍内閣の積み残し案件で、敵基地先制攻撃と安倍首相はおっしゃっていました。私はむしろ敵基地先制無力化と言ってます。いかに早く相手の基地を無力化するかで、これからは勝負が決まると思っています」
「だから、反対にこちらが仕掛けます。敵基地の無力化をします。このための備えもしなればいけませんが、法的にできないこともあります。サイバー攻撃で相手の基地やシステムを無力化します。これはアクティブディフェンスですが、日本では法律がありません。憲法で通信の秘密にひっかかるというのがあって、安倍内閣でもなかなか議論が進みませんでした。」 】  

 日本政治家(大集団)の対中政策の一部が、このように狂っているということだ。アメリカ永年の対日工作の産物なのだろう。今のアメリカという国は、政府機関だけではなく、それ以上に私的機関が世界各国の世論形成に猛烈に励んで来た。これも企業の対世界戦略に組み込まれているのである。ちょうど、正式な軍隊よりも私企業軍隊の方が、イラクやシリアでよほど大活躍してきたというようなことではないか。

 

(終わります)

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W杯日本出場が、六連続で途切れるのか!  文科系

2021年10月08日 05時40分28秒 | スポーツ

 昨夜、W杯アジア最終予選三戦目にして(一勝)二敗目、得失点差マイナス2。02年の日韓大会以来こんな弱い代表は観たことが無い。こういう日本に対して二強が強すぎ、昨夜の相手サウジは三連勝、オーストラリアも三対一勝利で三連勝だ。勝ち点にすると日本三に対して、この二チームは九である。どうしてこんな事になったのか。今日のゲームでもとにかくここが悪い。

 何よりも、世界最新にして強力な点取り法、「前方からの組織的プレスボール奪取で、ショート・カウンター得点」ができていない。Jリーグでも川崎や横浜、鳥栖など今強いチームは皆取り入れて得意な点取り方なのだが、これができない。それどころか、この点取り法の前提になる組織的プレス指導も甘かったと僕は観てきた。このサウジ戦こそプレスはちょっと前進したが、ボールを奪取してもその直後の組織的繋ぎが甘い。プレスを掛ける時の選手らの立ち位置、次への準備などが甘いということだ。この原因は監督にある。この点取り法を生み出し世界に広めたドイツで戦っている選手が多い日本なのに、監督の森保がちょっと古いとしか思えないのである。彼が監督実績を上げた広島時代は2015年までのことだから、この点取り法が最もうまくてJ史上最強チームと言われている今の川崎が連勝し始める前のことなのである。

 対するにサウジはこの得点法ができていた。日本から挙げた一得点も、ゲーム開始直後からの執拗なプレスをかけ続けたその果てに、柴崎の(バック)パスミスを誘ったところからのもの。プレスの掛け手とバックパスを狙った抜け出し手ら、組織的に前に詰めていなければ出てこない得点なのである。サウジの監督がフランス人で、フランスは前ロシア大会の優勝チームだから、そんな指導力も十分ということだろう。
 他方、日本選手の方は、史上最強と言えるロシア大会メンバーに、富安、遠藤、守田らが上積みされているし、リバプールでクロップの指導を受けている南野もいるのだ。監督が悪いこと瞭然ではないか。森保を監督に選んだ協会も、六大会連続出場に悪慣れして、世界の趨勢を観るのに甘かったと言えないか。「今やW杯本大会ベスト8を狙う国」になったはずのわが協会がこの監督を選んだというのは、その監督選定基準、鑑識眼そのものを疑うことになる。

 さて、拙いことに次の相手はオーストラリアだ。ここの前の代表監督がポステコグルー。横浜に「走り続けて、組織的前プレスから得点」法を仕込んで川崎と渡り合えるチームを作り上げた実績を買われてサッカー老舗の一つスコットランドへと出世していったあの名監督である。そういう戦い方もできるはずのこのチームにも今の日本が負ける公算は大きく、そうなれば監督交代しかなくなる。オーストラリアは昨夜、日本が0対1で敗れたオマーンに3対1で勝っているのだ。

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どうなる、米中狭間の日本 ③  文科系

2021年10月06日 05時47分04秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 このシリーズ第一回目では、アメリカ最近の対中戦略論の数々を紹介した。
 第2回目では、2018年10月の安倍訪中1000名代表団の「成果」を巡って起こった日本政府内「論争」を観た。結ばれた「日中友好今後の三原則」の内容を外務省が薄めようと画策したことも明らかにしている。この外務省の振る舞いにはいつものように背後でアメリカが糸を引いていることも明らかなのだ。

 今回は、「米中狭間の日本」の現状と今後に関わって、この10月3日朝日新聞「Globe」に絶好の記事が載っているので、これを紹介して弱冠の補強コメントを付けるという内容になる。

  題名『ニクソン外交が生んだ「巨大な竜」中国とともに生きる道はあるのか』というこの談話者を紹介しておこう。チャス・フリーマン。ハーバード大院を出て、国務省の中国政策担当から、ニクソンに仕え、ブッシュ(父)政権でサウジアラビア大使、クリントン政権の国防次官補などを歴任し、現在は「米ブラウン大ワトソン研究所の上級研究員」とあった。1971年のニクソン訪中に同行して以来の中国政策専門家なのだ。なお、この年に、中国の国連代表権が中華民国(台湾政府)から中華人民共和国(大陸政府)に移った。つまり、台湾政府が国連から追放された。よって、国連の合意としては、今でも「二つ合わせて一つの中国」なのである。
 以下この談話を抜粋する。

『半世紀前の(ニクソンの補佐官キッシンジャーの)極秘訪中に始まる米国の「対中関与政策」は、中国封じ込めの終結や、中国の国際社会への正式復帰の始まりを意味します。中国はその後、日本をはじめとする国々との国交回復も果たし、いまや経済大国です。中国にどれだけの利益があったかは明白です。
 一方でニクソンがキッシンジャーを北京に派遣した狙いは、中国を味方に付けて、「東西冷戦」の敵国である旧ソビエト連邦を封じ込めることでした。ところが現在、旧ソ連はすでに消滅し、米国が軍事的に対立するのは、むしろ中国です。米国側には半世紀前のできごとを祝う理由があまりないのです。』
『バイデン政権は同盟国や友好国との協議も重視しつつ、より洗練された形で、トランプ政権とほぼ同じ対中政策をとっている。米国のエリート層の間で、中国に厳しく敵対的に接するべきだという政治的な合意があるからでしょう。』
『中国は現在、世界で流通する製品の30%以上を生産しています。米国は16%です。我々が中国と長期的な紛争に入り、消耗戦になったら、優位に立つのは中国でしょう。』
『米中が建設的な関係を築くには20年はかかります。そのころまでに、中国は米国との競争ではるか前を走ってるでしょう。そうなったとき、米国は「我々は中国になる必要はない」という教訓を得てほしい。私たちは自分自身を再発見し、自国の競争力を向上させるため、より多くのことをする必要があると気づいてほしい。かつて日本は中国の急成長に驚き、やがて「中国とともに生きるしかない」と認識しました。米国も日本のように、中国に適応していってほしいと願っています』

 

 なお、この記事を理解するため必要な予備知識の数々を挙げておこう。この記事中にはない史実に属することなどである。
・対中国強行政策でアメリカはすでにいくつも失敗している。2015年の中国株暴落工作は中国100兆円ほどの投入によって失敗したし、2019年に中国を「為替操作国」認定に持ち込もうとした米工作は、IMFの離反で失敗した。これらの失敗以降、元は国際通貨としてどんどん広がっていて、元の空売りなど「通貨攻撃」ももはや不可能である。

・トランプ以来の保護貿易主義強行は世界で対米不信を招いてきたが、バイデンの「バイアメリカン法」提出など現在なお強化されつつあって、さらに世界の信用を失っている。例えば、連邦政府調達物品の100%近くがもう米製品になっているが、米製品とはまもなく「自国部材75%以上の製品しか認めない」というような法律である。川崎重工のニューヨーク地下鉄、日立のワシントン地下鉄など、各何百両という商談は、今後はありえなくなるということだ。   

・核戦争はできない。中国がもつ核能力は、先制的第一次核能力ではなく、第二次的核反撃能力である。また、防衛的に相手都市破壊はできるが、相手兵力破壊はできない核である。自国領土であると国際的に認められてきた台湾だが、危惧されている台湾侵攻も、言われているようにはありえない。「6年以内には(あり得る)」などは、アメリカの一司令官が語っただけのものである。

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どうなる、米中狭間の日本 ②  文科系

2021年10月05日 09時10分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 中国に対してアメリカの、今後取り得る「構え」論議を前回に紹介した。今回は、そういうアメリカが、日本に対して最大の牽制をしたある「世界史的」大事件を描写してみたい。このことが日本には最初の一報以外にはほとんど報道されなかっただけに、事は重大なようだ。西欧などからいつも言われるように、日本のこの報道管制は全く、全体主義的と言う他はない。19年の天皇訪中約束は確かにあったのだ。以下に観るように19年以降中国と経済協力だけではない仲にも入って行き始めたはずなのだ。以下三つの旧稿の真ん中に置いた、同じ事件を伝えた外信報道がその証拠になるはずである。しかしながら、その後のアメリカの厳しい反応に「原則」という言葉も理解できないやの安倍がびっくりしてしまった。それで、今回の総裁選における対中ハリネズミ論へと高市を動かすに至った。その上で取った態度が、

「3Aより賢そうだから、岸田に任せてみよう。河野は、我々がうまくやったイージスアショアーの『ちゃぶ台返し』によって反米と観られているよなー・・・」。

 

【 対中で、首相・外務省に重大対立  文科系 2018年10月30日

 今日の新聞を読むと、日本政府部内に標記の一大事が起こっていることが分かる。しかも、事が事、中国に対する今後の政府新方針に関わる対立だから、米中冷戦勃発との関係もあって、今後日本のブロック経済方向絡みで以下のような重大な意味を持たざるをえない対立である。先ずは、新聞報道を要約しておこう。要約する記事は、中日新聞2面の『「日中3原則」で混乱』、『会談で確認?食い違う主張』と見出しされた物だ。

 事は、26日北京における日中首脳会談で確認された今後の3方針に「原則」という概念を使うか否かという対立である。習首相らと「原則」と確認し合ったと国会答弁や官邸フェイスブックなどで外に向かって大きく表明した安倍首相に対して、内閣官房副長官や外務省が「3原則という言い方はしていない」とか「中国側が確認したと言っているわけではない」と叫んでいるから、大事件なのだ。政府部内で一体、何が起こったのか。折しも米中貿易戦争の真っ最中とあっては、米よりの外務省と、対中経済大接近の現状を追認しなおすしかなかった安倍首相という構図も見えてくるのである。さて、その「三原則」とは、このように重大な物ばかりだ。
『競争から協調へ』
『互いに脅威とならない』
『自由で公正な貿易体制を発展』
 どうだろう、これを今後の対中日本外交の原則と呼ぶかどうかは、米中貿易戦争・冷戦開始の間に立った日本の方向をすら示していると言えないか。先ず3番目がトランプアメリカへの批判になることは明らかだし、その上で2番目を宣言し直しているというのでは、アメリカの神経を逆なですることになろうから。確かに、対米追随の外務省が顔色を変える事態なのである。

 さて、これだけの理解では、事の重大さにはまだ半分程度しか迫れていないと思う。このことの全貌をきちんと理解するには、最近の日米関係、日中関係等や、世界史の知識なども必要だ。例えば、①日本の対米輸出よりも対中輸出の方が圧倒的に多くなっている、とか。②アメリカが自由貿易を捨てて、カナダ、メキシコなどを引き連れたブロック経済圏作りに走り始めたが、日中は「自由貿易支持」を表明し続けてきた、とか。③EUも自由貿易支持の立場から、アメリカの姿勢を批判し続けてきた、とか。④そもそも世界恐慌時のブロック経済圏作りとは、世界史においてどんな意味を持っていたか、とか。

 今はこれ以上のことは何も言えない。が、首相を中心において政府部内で重大対立が現れるほどの切羽詰まった局面に日本が立たされている事だけは確かなのである。世界経済第3位の日本は、2位のお隣中国に寄っていくことによって、アメリカの保護主義批判の立場を一層鮮明にするのだろうか。としたら、戦後日本の大転換点にもなる。こんな局面では普通なら、アメリカが安倍を切ることになる。田中角栄や小沢・鳩山がやられたように。(以下)略 】


【 習訪日と、天皇訪中・侵略謝罪へ  文科系 2018年11月11日

 アメリカのオンライン誌「ニュー・イースタン・アウトルック」にウイリアム・エンダールが5日書いた記事に、こんな下りがあった。日本マスコミがまだ伝えていないニュースとして。これも安倍のマスコミ工作なのだろうが、情けないことである。題名のこの部分をそのまま載せておこう。

『 中国でも日本でも、マスコミ報道で触れられていなかったのは、安倍総理から習主席に伝えられた天皇の歴史的な申し出だ。日本の情報筋によれば、1930年代の日本による中国侵略を、中国人に正式謝罪するため、明仁天皇が来年4月の退位前に中国訪問を希望していることを安倍首相は伝えた。同時に、天皇は習主席を日本訪問招待した。報道によれば、習主席は天皇の中国訪問決定とは関係無く招待を受けた。天皇のこうした動きを、北京と中国は、象徴にとどまらないものとして受け止めている。』

 なおまた、同記事中の上の記事の前にはこんな内容もあったと報告したい。アメリカに「失恋」した安倍の大慌ての心のうちが見えるようではないか。

『トランプ政権による中国と日本両国に対する貿易戦争の最も重要な結果の一つは、最近の北京における日本の安倍晋三首相と、中国の習近平主席との外交・経済会談だ。東シナ海の係争中の島嶼を巡り、関係が冷却して7年で初めての、日本首相によるそのような会談だっただけではない。アジア最大の経済圏で、新たな政治・経済戦略が始まるかもしれないことを示してもいる。北京を発った数時間後、東京で、安倍首相はインドのナレンドラ・モディ首相をもてなした。これは、新たな多極世界での新たな側面の前兆なのだろうか、それとも単に安倍首相の抜け目のない政治なのだろうか?

 北京での会談を、単なるシャッター・チャンスと見なしているわけではないことを示して、安倍首相は日本企業幹部約1,000人の財界代表団を帯同した。李克強首相が、会談中に、180億ドルの商談がまとまったとを発表した。両国は将来の通貨危機に備え、290億ドルの通貨スワップ再会にも合意した。両指導者は、将来、緊張状態になった場合に、通信するためのホットライン設置にも合意した。安倍首相が習主席を2019年の日本訪問に招待したのも大きな一歩だ。

 中国通貨の信頼性への極めて大きな後押しとなる、日本の外貨準備への中国人民元組み込みに日本が同意したことは、マスコミではさほど報じられていない。中国は、日本銀行による中国政府国債への直接を認めるだろう。』 】

 

【 日中首脳会談、官邸の「嘘」はどうなった?  文科系 2018年12月08日

 10月30日のここで中日新聞記事を元にして扱った標記の重要問題は一体どうなったのだろう。例えば、同月29日、「時事ドットコム」で、こんな管官房長官談話も見つけたのだが。

『 日中首脳会談、「三つの原則」確認している=菅官房長官 2018年10月29日12時30分
 菅義偉官房長官は29日午前の記者会見で、北京で行われた日中首脳会談について「国際スタンダードの上に、競争から協調へ。隣国同士として、互いに脅威とならない。自由で公正な貿易を発展させていく。この三つの原則を確認している」と説明した。菅氏は「これらの原則の重要性は、会談で中国側とも完全に一致している」とも強調した。
 習主席、訪日「真剣に検討」=日中首脳「新たな関係構築」-新3原則を確認
 「三つの原則」をめぐっては、安倍晋三首相がツイッターなどで「確認した」と言及したが、中国側の発表では触れられていない。首相に同行した西村康稔官房副長官は首脳会談後、記者団に「三つの原則という言い方はしていない」と説明し、外務省幹部も「3原則(との言葉)はない」と述べている。(2018/10/29-12:30)』

 この「時事ドットコム」記事でも、やはり大きな疑問、問題が示されている。「競争から協調へ。隣国同士として、互いに脅威とならない。自由で公正な貿易を発展させていく。この三つの原則を確認している」って、本当なのか。特に引っかかるのは、首相官邸と外務省の間にあって、一見して分かる鋭すぎる対立である。
『外務省幹部も「3原則(との言葉)はない」と述べている』
 さて、この問題は意外に大きくって、意外に難しく、激しい米中対立の現今少々奥の深い問題でもあると読んできた。

 そもそも、「原則」という言葉の理解が難しいのである。すべての知識が並列的に並んでいるような思考ではこの言葉は理解できないものであって、この場合ならば「日中問題の他の何事にも優先する(と首脳同士が認め合った)三つの重大確認」という意味である。その三つがこういう表現であれば、日中近年の諍いから観ても、あまりにも唐突過ぎる。
『競争から協調へ。隣国同士として、互いに脅威とならない。自由で公正な貿易を発展させていく』
 これでは、親米べったりでやってきた外務省(やマスコミ)が右往左往したのも無理はないのである。本当にそう確認したのか。あるいは、野党が指摘しているように「内と外とで、国民向けと中国向けとで、言動を使い分ける」ということなのか。(以下略)】

(続く)

 

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どうなる、米中狭間の日本 ①  文科系

2021年10月03日 13時29分37秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 近い将来の日本どころか、すでに岸田内閣が退っ引きならず突きつけられているのがこの難問。対米どころか一般にオベッカと「援助」外交だけの安倍が、対中経済界進出を踏まえて2018年度に政治接近も試みたが、アメリカに一喝されてから後はただやり過ごしていただけ。普通のマスコミは、保守マスコミは特に、この難問は扱えないできた。ところが、ここに来てもはや避けて通れないことになっている。その現状と近い将来を自分なりに連載でお復習いしてみたい。幸い朝日新聞日曜日の「Globe」に米人識者の良い記事が載ったことだし。これについては、後で触れるとして、この記事自身を正しく読む予備知識に当たる内容をまず書いてみたい。

 去年の夏、ポンペオの対中大活躍
 
 去年の夏にアメリカが、米ヒューストンの中国総領事館閉鎖命令を出した。例の、知的財産も関わったスパイ行為があったと述べて。このことに関わる演説で、ポンペオ米国務長官が不吉すぎる言動に飛び回っていた。中国の政権交代を中国人民に呼びかけ、米国と同じ考えをもっている国々が中国共産党に共同の圧力を加えるべきで、それを米国が主導するとまで訴え始めたのである。それも、アメリカ従来の中国関与政策は手ぬるすぎて全て失敗であったと宣言した上で。
「中国共産党から我々の自由を守ることはこの時代の使命であり、米国はそれを主導する完璧な立場にいる」
 これは、かねて懸念されてきた中国への革命輸出の新たな露骨すぎる呼びかけである。これに合わせるかのように日本国内でもこんな文言が飛び回り始めた。例えば、JBプレスは、こんな論調である。
『コロナ問題の最大の教訓は何か? 日本の対中認識の甘さではないだろうか。国民ばかりではない。政府・自民党も野党も、経済団体も知識人も含めたすべてにおいてである。』

 米の対中行動激化は、日本にも必ず何事かが要求されてくるもの。そして、日本現政権にはこれに対する主体的判断力があるようには思えないのは、コロナ対策とか米保護主義への対応とかを見ても明らかである。馬鹿な、ただ傍観というだけなら、まだ良いのだが・・・・?

 米政論界の対中熱・冷戦論争史 

 標記のことについて、どれだけの日本人が知っているだろうか。イギリス人で日米政経問題の長年の研究者ロナルド・ドーア著「日本の転機 米中の狭間をどう生き残るか」(ちくま新書)に紹介されていた有名政論人らの議論を紹介してみよう。

 まず、日本でも有名になった「大国の興亡」(1988年発行)を書いた、ポール・ケネディは少々平和的で、この覇権移行は必然だろうが、「暴力の度合いを減らして欲しい」と述べている。ケネディは、大国の興亡で「過去、大国が入れ替わった時とは、旧大国が手を広げすぎた時だ」と述べて、米ソ冷戦時代にはその双方にそういう警鐘を鳴らしていた。その後ソ連が、東ドイツ崩壊を機に降参と諸手を挙げた時に、米外交論壇はケネディに対してこんな勝ちどきを吠えたという。
「それ見ろ、米への警鐘は余計な心配だったろう!」
 ところが、ご当人のケネディは、今度は米中冷戦の行方についてウオール・ストリート・ジャーナルにこんな記事を投稿したと、ロナルド・ドーアのこの本が教えてくれる。『西洋からアジアへの、権力の地殻の変動のような移行は逆行させにくい。しかし、米国議会およびホワイトハウスがもし合理的な政策を取れば、このような歴史的な転換期の浮き沈みの度合い、暴力の度合い、不愉快さの度合いをかなり軽減できる。私のような「斜陽主義説の輩」にとっても、まあ慰めになると思う』

 ケネディのこういう議論に対して、ネオコン(新保守主義者)論客が猛反発するのは、言うまでもない。その典型、ロバート・ケーガンはこう語る。
『国際的秩序は進化の産物ではなく、強制されるものである。一国のビジョンが他国のビジョンとの葛藤においての勝利に起因する。・・・現在の秩序は、それを是とし、その恩恵を蒙っている人たちが、それをとことんまで防衛する意思及び軍事能力があってのみ、存続できる』

 また、著名な外交官、キッシンジャーはこう語っている。
『外向的丁寧さを剥ぎ取って言えば、米国戦略の究極的目標は中国の一党支配権力制度を取り除き、自由民主主義体制に変えさせる革命(なるべく平和的革命)を早めることとすべし』
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならないとする』

 ケーガンの「国際秩序は強い国が利益を守るために強制するもの」にしても、キッシンジャーの「中国体制転換に向けて敵対的に、軍事的・思想的圧力をかける」にしても、良くていわゆる暴力革命・政権転覆、悪ければ戦争という含みである。

 既に起こっており、今後激化するこの冷戦の原因がこれから常にアメリカ側にあることを、否が応でもこれに巻き込まれるはずの日本人はよーく見ておくことだ。ちなみに、近年のアメリカが国連無視をどんどん深化させてきたのは、中国に対する国連的解決など放棄しているからだとも言えるのである。自らの最大目標2%成長率も延び延びになって捨ててしまい、トランプにおべっかを使うことしか出来なかった安倍のような馬鹿が下手をするなら、これからもどんどん米兵器を買わされて米中冷戦の最前線に日本が立たされることになる。イージス・アショアで既定方針に反旗を翻した河野洋平は、その点だけとれば、日本の利益にかなったことをした。

 (続く)

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八十路ランナーの手記(374) やっと月間121キロ  文科系

2021年10月02日 00時03分48秒 | スポーツ

 27日の好調に気を良くして、29日は同じ10キロコースを回ってきた。これによって今月初めて立てた月間目標120キロをやっと達成したのだが、この10キロの時計自身はキロ当たり平均6分36秒と出ていても、最後の3キロちょっとほどで心ならずも大変なインチキをしている。スピードを出しすぎて歩く、また走り出しても同じと、信号で時計を停止・再開とした時などに、時計停止歩行を長くやってしまった。理由は簡単で、調子が良かったのでつい走りすぎてしまって疲れて休むという、実走行距離は10キロだけど、まーインターバル練習のようなことになったのだ。種々の点でこれはこれで良かったと思っているが、自然にキロ6分を切って走ってしまう戸外ランの癖は、何とかしなくてはいけない。
 逆に、この走りで分かった点も多かった。まず今の走りでスピードを上げれば、やはり左脚が弱いと分かったということ。27日は左アキレス腱に、29日は左足首にと、違和感が出たから分かった。次いで、速度を落とせば連日走りも可能になっていると分かったこと。これは、27日にあれだけ走っても、29日にまたこれだけできた事によって分かった。29日の翌30日も疲れがほとんどなかったのでまた走りに行こうといったん思い立ったのだが、左足首の違和感によって止めることにしたのだから。そして、この違和感のためにまた1日も走るのを控えた。

 秋になってまた例年通り走る気力が湧いているが「10月は130キロ。次いで、各月10キロずつ上げていく」がどこまでできるか、ますます楽しみになっている。ただし、無理はすまい。無理をしないから59歳ラン入門の僕がいくつか大過はあっても今日まで走れているのだから。僕のラン目標はとにかく、できるだけ高齢まで走れること、活動年齢を延ばすのが目的という最も実用的なランに先月から初めてちょっと月間目標を持ってみただけと忘れないことだ。それにしても、夏明けのこの時期に27日、29日のような走りができたのは、丸2年掛かった走法変更がやっと合理的なものになって、そのための筋肉もついてきたということなんだろうと実感している。同じ10キロでも、疲れ方がだんだん減ってきている感じもある。

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随筆紹介 「学友」  文科系

2021年10月01日 00時26分01秒 | 文芸作品

  学 友    H.Sさんの作品です    
     
「七月六日の食事会断ろうか?」と、体調の悪い私を気遣って夫和夫が聞いた。
「断らないで、私行くよ」と、答えた。七月六日は、タウリンというニックネームで呼ばれている夫の学友とその妻夕見子さんに会う予定になっている。この人たちとは長い年月にわたる付き合いだ。
〈あの時あっておけばよかった〉ということになりかねない。だからお誘いがあるときは多少のことがあっても会っておけば、後で悔やむことはない。コロナ禍でいつ緊急事態になるかもしれないと、私は考えたからだ。
 タウリンと和夫は大学で出会ってから約七十年の付き合いだ。おたがい歳を重ねた。八十七歳だ。学友は老友になったともいえる。
 鈴鹿からくる二人との待ち合わせはいつも近鉄名古屋駅正面の乗降口だ。夫が今池のうなぎ屋を予約したのでそこへの案内となる。
 約束の日がやってきた。待ち合わせ時間に遅れないようバスに乗った。バスが発車する。車外の景色が動き出す。コロナで県が出した条例を守り巣ごもり状態だった私だ。バスに乗るそれだけの行為で、こんなに気持ちが好くなるのか。人とは、目にすること、耳にすることを楽しむ生き物のようだと、知らされた。
 店に到着した。広い個室に案内された。四人では広すぎるテーブルだった。店の配慮だろう。席に着く。三月のタウリンの写真展で会ってから四ヵ月ぶりのことだ。何とか元気で会えたことを喜び合う。それがすむとお互いの身体の不調の話になる。タウリンは猫を抱き上げようとして尻もちをつき腰椎を圧迫骨折。現在は痛みに耐えながら、毎日自分で皮下注射でカルシュウムを注入。骨量を増やすことに挑戦している。でも、歩けなかった人が歩けるようになっているのだからこの注射は効果があるようだ。
 和夫の方は、一月の終わりにあおむけにこけて後頭部を強打。一瞬にして身体能力が急激に落ちた。ふらふらするので何かにつかまらないと歩けない。一つの個体が三つにダブって見える。だからお箸で何かをつかむことができない。字が書けない。新聞は、見出しのみ読めるだけ。幻覚が出て見えないものが見える。こんな状態だったので介護保険を使う手続きを収ろうと主治医と相談。知り合いのケアマネジャーに連絡をつけた。和夫の今の状況を知らせ「何かにつかまらなくても歩ける。トイレに行ける。風呂に一人で入れる。しっかりご飯が食べられる。これが出来るようになりたい。これが夫、和夫の希望です」と、伝えた。これができないと本人が落ち込み、幸せな気持ちにならないでしょうと、私の日ごろからの心情をも、ケアマネジャーに伝えた。
「主治医の先生に会ってきます」と、ケアマネジャーが手続きを進めた。和夫は、要支援二度の判定を受け、デイケアセンターで支援メニューの運動とマッサージを受けている。五月から始めた。二か月が経過した。最近転ぶ回数は少なくなり、杖の助けをかり外出もできるようになっている。
「タウリンは、ここまで歩いて来られたのだから、今日のこの状態を維持するため、介護保険の手続きをして支援を受けたほうがいいよ」と、私は夕見子さんに勧めた。

 大学で出会った八入の学友は一人、また一人と旅立ち、いまはタウリンと和夫の二人だけとなった。二人は、医療の助けを借りて何とか生きている。この現状維持がいつまでできるのだろう・・・?
〈小さな旅を楽しんだ日々の思い出を語りながら、食事をする〉、たったそれだけのことだが、去年は次に会う計画を話し合い、約束を交わし、食事会を解散したが、今日はどちらからもその話は出なかった。先の見通しが立たないと思えるようになってきたからだろう。会えば心が和む。会えたうれしさで気持ちの明るい日々を手にしている。永年にわたり、和夫の学友夫妻が和夫と私に心を寄せてくれたことは、何物にも代えがたい素敵な時間の共有だった。

 治まることのないコロナ禍、体温よりも上昇する気温、降りやまぬ雨等、体を危険にさらすことばかりだ。あちこちの不具合を抱えながら日々をやり過ごしているタウリン夫妻と私たち。お互いが何とか無事に生き延びられることを祈願する日々が続いている。

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