F. ホイル,鈴木敬信訳「暗黒星雲」法政大学出版局 (1970).
原著の出版は1957.日本での出版は1958.その後何度も出版・廃版を繰り返している.ぜひどこかの文庫に入れてもらいたい.
原著とほぼ同時出版ということで,翻訳にも気合が入っている.多少古さを感じさせるところもかえって味わい深い.読んでいて当時の計算機の能力が現在のパソコンに遠く及ばないことを痛感した.パンチカードによる計算機入力の説明が懐かしい.
ホイルは天体物理学者で,「ビッグ・バン」という言葉を初めて使った.ただし彼はBB反対派で,この造語はBB説を揶揄したものらしい.一方のBB派のガモフはトムキンスの諸作でもっと有名だが,小説家としてはホイルの方が本格的と思う.この時代のこの分野の学者には余裕があったんだな.
ブラックホールと間違われそうだが,暗黒星雲は単に光を遮る Black Cloud である.木星ほどの大きさの暗黒星雲が太陽を目指していて,1年あまり先に地球軌道に達すると計算されるときから小説が始まる.もっぱら活躍するのはアメリカではなくイギリスの科学者であるところが,ケンブリッジ大教授・ホイルらしい.
暗黒星雲接近に伴う天変地異に関する記述には,ホイルが知恵を絞ったところと見え,迫力がある.その後ふとしたことから,暗黒星雲に知能があることがわかる.個々人からなる人間社会と異なり,暗黒星雲の意思は一枚岩である.地球上の生物と異なり,有機物でもなく固体でもない,この生物の記述も読みどころである.宇宙生物学や地球外知的生命体探索が地球型生物をもっぱら対象とするのは,いかがなものか?
科学者は暗黒星雲の知性が人類を遥かに凌駕していることを痛感するが,米ソの政治家は水爆弾頭ロケットを星雲に打ち込み,酷い目に遭う...と言っても,ひどい目に遭うのは一般の国民である.英国にはロケットがなく,従ってこの小説狂言をまわす人々は難を免れる.この小説では政治家は徹底的に馬鹿にされていて,気持ちがいい.
科学者が科学にロマンを感じることができた時代の傑作!! と言いたいが,16トンがロマンを感じることができないのは,単に歳のせい?