昨日の,戦死した美校時代の同級生などの遺族を訪ねた旅の記録
の続き.
やはり,著者野見山にとって,顔見知り程度だった人より,付き合いが深かった人を描いた文章が読ませる.
自画像の佐々木四郎は絵描きになると言って父親に勘当された.母親はこっそり金を送ってくれたが,その金は絵の具代には使わず,代わりに酒を飲み吉原に通っていた.
2-3 年年下の,人のいい野見山のところに転がり込んできた.起きているときは絵を描いた.林檎が腐っていっても追いかけた.夜は女の顔を描いて,似ているだろうと言って野見山を眠らせない.
朝は朝で,眠っている野見山を起こす.コップに小便をしてそれを鼻先に突きつけ「おい,透明だろ,淋菌はないだろう」...
「いい加減にしてもらいたかった」.
野見山の旅の目的は遺族を訪ねることであったが,目的を果たすことはできなかった.「あんなに絵を描いていたのに,キャンバスはおろか,スケッチブックの一冊もない」.
佐々木はフィリピンのどこかの島で,食糧がなくなり,現地人の部落に忍び込んで,暗い夜 殺されたというが,本当だろうか...
というのがこの項の終わりである.
小説を読んだ気分にさせられた.
この佐々木の自画像には訴えるものがあると感じるのは,野見山さんの文章を読んだからだろうか.
この本にはしばしば吉原が出てくる.
そういえば学生に,ヨシワラを知っているかと聞かれたことがある.売春禁止法が成立したのは 1956 年で,ぼくは中学生だったことになるが,周囲の大人が吉原を話題にしたことはなかった.