Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

遺された画集

2022-11-18 10:24:08 | お絵かき
野見山暁治 「遺された画集」平凡社 (ライブラリー オフシリーズ 2004/6).

著者は 1938 年に東京美術学校 (現 東京芸術大学) に入学,卒業後一兵卒として満州に渡るが肋膜に水が溜まって入院し終戦を迎えた.
1977 年?NHK 日曜美術館「祈りの画集」の放送時判明していた東京美術学校の戦没者は 45 名で,著者の同級生やその前後の人たちである.この番組のゲストであった著者が,このうちの 32 名を訪ね歩いた記録がこの本である.
冒頭に戦没者の図版があり,個々の取材記が続く構成.

病気に罹らなければ,著者もこの中のひとりになっていたかもしれない.「私は逃げまわって生きてきたわけではない.しかし生きていることは,この人々をある意味で裏切っていることは事実だ」.

訪問順で,最初は遠慮がちだが,後に行くほど記述が率直になる.
写真左端の本書カバーの解らない絵は,著者 野見山による「みくりが池」,でも掲載作品は全て解りやすい具象画である.
著者自身はすでに功なり名を遂げた画家であって,冒頭の図版の作品群に対する評価めいたものは敢えて避けているようだ.でも戦没者たちの個人史を読んで作品を眺めれば,いろいろと感じることができる.

カバーの右の力作は 中村萬平「霜子」.マンペイさん (著者たちはこう呼んでいた) は卒業制作にモデル・霜子を使って取り組み,突然彼女との結婚を宣言する.妊娠した彼女を伴って浜松の実家に帰る.裕福な実家は当惑し混乱するが,それを尻目にマンペイさんは入営し戦死.でもその前に霜子は産後が悪く死んでいる.

その右の小さい絵は田中角治郎「女」.家が裕福で,田中は鹿子木孟郎・小出楢重・藤島武二に師事した.著者は「これほどの画家に教わると,それ以外の表現は思いもつかないことだろうし,またそうした優しい生い立ちと性格でもあったのだ」というが,ぼくはこの絵が好きだ.
この本では戦死者の出身の貧富の差が目につく.富の方の例では.伊勢正三の場合家が大きすぎて家族も滅多に顔を合わせず,道でひょっこり出あって近況を語り合ったりしたという.しかし貧富に関係なく,平等に・容赦無く 徴兵が行われたらしい.

右上は伊沢 (井沢?) 洋「家族」.著者・野見山の文章によれば,伊沢は貧しい農家の出である.この着飾った家族の絵にぼくは違和感を感じた.出征前日,彼は家族の絵を塗りつぶそうとして.家人に見つかり筆を取り上げられたそうだ.

右下は久保克彦「対象」.1942 昭和 17 年の卒業制作だが,祖国が勝ち誇っている勇ましい姿ではなく,まるで人類最後の日のような不吉感が漂う.著者は「あの時代にこれは記念すべき見事な反戦画だ」と (本書では珍しく) 高く評価している.

古書市で購入.

コメント (2)
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