先日のブログの,山村暮鳥の詩集「聖三稜玻璃」中の「風景 純銀もざいく」がこれ.一世紀前,1915 年の作品.
巡り合ったのは,感受性が豊かだった高校時代,と思う.
今読むと「純銀もざいく」というサブタイトルがちょっと恥ずかしい.
墨で書いてみたいとは思ったが,適当な紙がない.
視覚に訴える詩だから,墨で書きたくなるのは誰しも同じであろう.ウェブの画像を検索したら,大家の作品らしいのが数点ヒットした.しかし,どれもピンとこない.
むしろ活字をひろって,紙を選んで,ちょっとかすれたような感じで印刷したら,ゲイジュツテキなものができそうだ.
前言をひるがえすことになるが,オリジナを読み返し (見返し) た後では,かの俳句は (メッセージ性を別にすれば) 感心しないと思うようになった.
巡り合ったのは,感受性が豊かだった高校時代,と思う.
今読むと「純銀もざいく」というサブタイトルがちょっと恥ずかしい.
墨で書いてみたいとは思ったが,適当な紙がない.
視覚に訴える詩だから,墨で書きたくなるのは誰しも同じであろう.ウェブの画像を検索したら,大家の作品らしいのが数点ヒットした.しかし,どれもピンとこない.
むしろ活字をひろって,紙を選んで,ちょっとかすれたような感じで印刷したら,ゲイジュツテキなものができそうだ.
前言をひるがえすことになるが,オリジナを読み返し (見返し) た後では,かの俳句は (メッセージ性を別にすれば) 感心しないと思うようになった.
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