ヘンリー ジェイム, 小川高義 訳,新潮文庫 (2019/8).
作者ヘンリー・ジェイムズの兄ウィリアムは哲学者で,この兄弟について夏目漱石はこう書いている : 「ヘンリーは哲学の様な小説を書き、ウィリアムは小説の様な哲学を書く、と世間で云われている位ヘンリーは読みづらく、又その位教授は読み易くて明快なのである」...青空文庫「思い出す事など」..
ヘンリー・ジェイムズの小説は難解であると吹き込まれたのは,高校時代と思う.そのとき,一節くらい英文和訳させられたかもしれない,そういう高校だったのだ.当時の呪縛から解放され,初めて全文を新訳で読んだ.
翻訳がうまいためかもしれないが,文章が難しいとは思わなかった.しかし,語り手への感情移入を強制された結果,読み進めるのを苦痛に感じた.中編だが,やっと読み終わったら,何が何だかわからないまま放り出されたように思った.確かに,始末に負えない小説.
新潮文庫 Star Classics 名作新訳コレクションの一冊.翻訳は他にも光文社古典新訳文庫,創元推理文庫,岩波文庫から出ていて,新潮文庫にも蕗沢忠枝訳が存在していた.これは解釈を読者に委ねる小説で,訳者も当然読者であるから,それぞれの解釈に基づき,たくさんの翻訳が出るのも意味のないことではあるまい.
思い出したのは,伊丹十三の「パパ・ユーア クレイジー」の翻訳.ここで伊丹氏は次のルールを自分に課したという.
1 訳文で人称代名詞は極力省略しない.
2 原作を一通り読んでから訳すのではなく,読んでは訳し,読んでは訳しという作業を繰り返す.
どうせなら一冊くらい,伊丹流の翻訳があってもいい? とくに項目 2 には期待できそうだ.
この新訳の訳者あとがきは「やれやれ,ともかくも終わった,という心境である」で始まっていて,面白い.
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