広島県立美術館のカフェの看板.特別展「安野先生のふしぎな学校」への協賛 ? らしい.でも 16 トンの記憶にある給食とはだいぶ違う.
Wikipedia によれば
1947年 - 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食を開始.
1949年 - ユニセフ(国連児童基金)から脱脂粉乳が贈られユニセフ給食が行われた.
1950年 - アメリカ合衆国から小麦粉が贈られ都市で完全給食が行われ,1951年2月に全国市制地,1952年4月に全国に拡大された.
食うや食わず状態であったためか,ララ物資のトマトジュース,パイ缶などはとても美味しかった.小学校は教室不足で午前組・午後組にわかれていた.給食と言っても主食はなく,おやつ感覚だった.
1940 年代末期になると,子どもながらどんどん口が驕り,脱脂粉乳は登場時から我慢して飲むという状態だった.あとで聞いたところでは,アメリカでは家畜の餌だったとか.
学校の給食室で調理し,当番がバケツに入った脱脂粉乳を教室に運んで配分した.熱いものもぬるくなっていた.
1950年代初めだったか,給食のサラダからミミズが出てきたことがあった.あとで担任に (この先生は生徒とは別にうまいものを食べていた) 言いつけた.「それでどうしたんだ」「みみずを捨ててサラダは食べました」... 今だったら,おもしろいことになったと思うが.
鯨もよく登場した.
現在はクロワッサン,トムヤムクン,ボルシチなども供されるらしい.産地でカニがいっぱいずつというのをテレビで見たことがある.
この看板のメニューはいつごろだろう.主食のヤキソバパンはラーメンライスの感覚.炭水化物に偏っている.
中学校では給食はなかった.
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