Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

江戸川乱歩「一人の芭蕉の問題」「一人二役」

2024-11-17 11:25:24 | 読書

また青空朗読より,江戸川乱歩の2作.

「一人の芭蕉の問題」は 1947 年の評論.1935 年ごろの甲賀三郎と木々高太郎との探偵小説芸術論争とやらがまくらにされている (この論争はぼくにはよく解らない).
この「…芭蕉…」では乱歩は次のように言う.

*****私は一應普通文學と探偵小説とを分けて考へてゐる。人生の機微に觸れんとする時には探偵小説に之を求めないで、普通文學に親しむ。探偵小説に求むる所のものは普通文學に求め得ない所のものである。これを假りに謎と論理の興味と名づける。探偵小説に求むる所は謎と論理の興味であつて、人生の諸相そのものではない。探偵小説にも人生がなくてはならない。しかしそれは謎と論理の興味を妨げない範圍に於てゞある。*****

ここでは芭蕉は最後のページに登場する.芭蕉がその業績で俳諧を文学と認めさせたように,誰か優れた探偵小説家が出て、探偵小説を文学と認知させてくれ!ということ.
今では書店でのミステリの存在感は俳句をはるかに凌駕しているが,これは乱歩の期待に沿ったものだろうか?


さて「一人二役」は 1925 年の乱歩の小説.後年はもっぱらエログロ変格小説と少年探偵団の乱歩だがこの頃は「2銭銅貨」などの,歴史に残る本格物を次々と書いていた.
妻との生活に飽きた放蕩高等遊民 T は,別な男Sとして妻の前に現れ,ついには T を社会的に抹殺し S として妻と幸福な新生活を始める.男は妻を騙しおおせたと信じているが,妻は実は最初からお見通しだったというストーリー.

T は一度も妻と同衾したことがなかった? 小説の前提ではそうではない.さすれば別人として妻を騙しおおせることなど不可能に決まっているから,結末は意外でもなんでもない.独身男の考えること?もしかしたら乱歩は執筆時独身だった?調べたら既婚だった.
あるいは,当時の読者は礼儀?として書かれたことをそのまま受け入れたのだろうか?

ぼくはこの小説は謎と論理の探偵小説としては大愚作と思う.でも普通小説の素材と見たらどうだろう.T の視点からは S すなわち自分自身に対する嫉妬など,おもしろく書かれている.妻の視点から見たら,馬鹿みたいな夫にどこまで付き合うか,どこで知っていると勘付かせるか…人生の機微に触れることばかりのはずである.「妻と夫はお釈迦さまと悟空のようなもの」で,あっさり終わりはもったいない.
でもこの素材で普通小説を書くことは,乱歩にはできなかったのだな!


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