一昨日の「正岡子規スケッチ帖」に関連して.
この本にある,夏目漱石の「子規の画」と題する文章 (東京朝日新聞 2012/7/4) が 東京大学 2021 年 前期日程 国語(文科) 第4問 のネタになっている.全文が引用されているが,設問は4題.ネットには,例えば敬天塾などの予備校による解答解説が多数存在している.
問題の子規の画そのものは試験問題にはない.岩波文庫版にはモノクロで掲載されていた.トップ画像はネットで拾ったもの.
まず,16 トンの漱石批判.『...』は「子規の画」からの引用.
これは絵葉書・絵手紙のたぐいである.『図柄として単簡』で,『3色しか使っていない』が,それで必要十分だ.1輪の花,ふたつの蕾,9枚の葉のバランスも良い.『僅か3茎の花に少なくとも 5-6 時間の手間を掛けて,何処から何処迄丹念に塗り上げている』と言うが,肘をついて描いても小1時間もあればできそうだ.スケッチ帖「菓物帖」「草花帖」には作画の月日が記載されていて,もっと大きいサイズを日に 2-3 枚描いたこともあったことがわかる.来客の相手をしながら描くこともあったようだ.
油彩画なら,何処から何処迄丹念に塗り上げるだろうが,ここで塗っているのは花と葉と花瓶だけだ.西洋画はネチネチと塗り上げるが,日本画は一気呵成に描く.西洋画は修正するが,日本画は気に入らなかったら捨てて最初から描き直す.
子規のこの画は日本画と西洋画の中間を行っているようだ.『彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、 たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり嫌んでしまった』という見解には賛成できない.慎重ではあるが,スケッチもなく,いきなり描いている.
16 トンもときどき描く.
その立場から考えると,東菊の画を右に「あづま菊いけて...」の和歌を左に配せば作品としては一応完成だ.
しかしこれだけでは,親しい友人に送るにはどこか余所余所しく,照れくさい.敢えて画面を汚し,余白に戯れ言を書こうか.画は悪くないのだが,夏目のことだから,職業画家の画しか評価できないだろう.『自分でもさう旨いとは考へて居なかった』ことにして『下手いのは病気の所為だと思いたまえ』くらい言ってやるか...
思い出したようにこの画を取り出して,寒い藍で表装し,『淋しい感じがする』と言われるのも迷惑だ.画が淋しいのではなく画を見て思い出したら淋しくなったのだ.
しかし和歌なしで,暖色系の表装で純粋に画だけにしたら,また感じが変わるだろう.
以上のような目で見ると,予備校作成のような模範解答は出てこない.
そもそも試験問題というもの,出された文章は正しいものという前提が絶対である.受験生のほとんどは子規が画を描くことなんか知らないし,知らなければ漱石の文章はすんなり頭に入る.4設問にうまく答えることは,忖度して,つまり無難なことだけを書いて,どうすればゲームに勝てるか,みたいなものだ.
最後設問の「『淋しさの償いとしたかった』にあらわれた『余』の心情について説明せよ」という設問には 16 トンは答えられない.特に『償い』が分からない.
子規に対してこの画は小さくまとまりすぎている,『もう少し雄大に発揮させて』は分からないでもないが,絵葉書絵手紙にそれを注文するのは間違っている.
数学と物理の入試問題は作ったことがあるが,国語の問題は誰がどのように作るのだろうか.
じつは 16 トンの拙文も入試問題化したことがあるのだけれど...
じつは 16 トンの拙文も入試問題化したことがあるのだけれど...
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます