Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

千の風になって

2007-03-07 09:12:54 | エトセト等
この歌は聴いたとたんに流行ると思った.
「涙そうそう」もきいたとたんに流行ると思った.ただし,「涙」は好きだが「千の風...」は好きでない.
とかいって,覚えてしまったところをみると,メロディは悪くないのだろう.

出だしの「私のお墓の前で...」に違和感があるのだ.
最近,敬語が細分化され,名詞の前に「お」を付けるのは「美化語」ということになった.自分の墓に「お」を付けるのは,自分に敬語を使っているのにほかならない.
男子たるもの,やたらと「お」ことばを使うべきではない.男子たるもの,敬語を安売りすべきではない.なのに,テノールで「私のお墓の前で...」などとやられるから,尻がむずむずする.

山田耕筰なら「千の風に...」のくだりの,「せん」の抑揚がはなしことばとちがうとクレームをつけるところだろう.

本音をいえば,わが唯物感と相反するのが,好きになれない原因かもしれない.

J子の母はもうすぐ100歳だが,この歌を聴くと不機嫌になると言うことだ.ここに書いたのとは別な理由と思うが,お年寄りの前では唄わないほうが良いと思いますよ.

カットはいろんな歌手・演奏による「千の風」集.お好きなかたはどうぞ.
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悪党芭蕉

2007-03-05 16:11:14 | 読書
嵐山 光三郎 2006/4 新潮社.

腰巻きに曰く.
弟子は犯罪者,熾烈な派閥抗争,句作にこめられた危険な秘密….“俳聖”松尾芭蕉のベールを剥ぐ力作.
芭蕉は「三百年前の大山師だった!」 by芥川龍之介.
読売文学賞 泉鏡花文学賞 ダブル受賞

つられて下世話な興味を持ったのは失敗だった.忍者芭蕉の大活躍なんか期待してしまったが,マジメな本だった.ちょっと味のある高校の先生の古文の授業という感じ.

芭蕉さんはかわいい男の子がすきだった.
古池や...は将軍綱吉の生類憐れみの令にごまをすった動物愛護の句である.
作意とか,不易流行とか,軽みとか,芭蕉の言うことは禅問答みたいで弟子たちにはてんで理解できない.
芭蕉がのちに俳聖とあがめられるなんて,当時は弟子も含めて,だれの念頭にもなかった.
江戸では弟子の基角のほうが人気があった.

というあたりはおもしろかった.この本の著者はなんだかんだ言っても芭蕉が好きらしい.
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マトリョーミン

2007-03-03 10:00:02 | 新音律
学会のパーティでマトリョーミンの演奏があった.ただし,この写真は当日のものでなく,ウェブ
http://vicclap.hu/link/1389/
からいただきました.右のようにマトリョーシカのなかにテルミンの回路を仕込んだのがマトリョーミン.

自分的にはMAX/MSPで最初に作ったソフトがマウスを使うテルミンだった.しかしマトリョーミンのライブは初めて.左手の手のひらにマトリョーシカを載せ,背後から手を近づけたり遠ざけたりする.
ふつうのテルミンはアンテナが丸見えだが,こちらは指をまるめたり開いたりするしぐさが,人形に催眠術をかけているようでおもしろい.ただし,音量のコントロールはふつうのテルミンのほうがやさしいそう.

演奏する方は「ドレミファを出すだけで拍手をいただける楽器はほかにありません」といっていたが,音程は連続にアナログで出てしまうので,これをドレミファ...とデジタル化するだけでたいへんそう.もうひとつの特徴は音がとぎれないこと.管楽器なら息継ぎ,弦楽器でも弓を離せば音はとぎれるが,それがない.音は正弦波に近い.

曲はロシア民謡,恋のバカンスなどだったが,もっと上記の,アナログ・とぎれず・正弦波という3特徴を活かした曲をつくることが可能かもしれない.
この日はギターの伴奏がついたが,音程は「微妙」だった.

3月で退職されるE藤先生がパーティの最後に教え子からマトリョーミンを進呈された.ただしこれはおまけで,メインは製本された論文集らしかったが...
ぼくも一体購入してジャズをやってみようかと思案中.
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少子化肯定論

2007-03-01 10:42:46 | エトセト等
「女性は産む機械論」.発言の内容が悪かったのか,思っていることを正直に言ったことだけが悪かったのか,うやむやのうちに,人の噂も75日という結末になった.
権力者にとって国民は機械でしかない.男性とは戦争をする機械だった時代もあった.しかし,そういう権力者をえらぶのもわれわれという仕組みになっている.これがいやでも,選挙のときに棄権するという消極的な反抗しかできない.

この写真は「人間機械論」の原著.柳沢氏のおかげで,これの岩波文庫版古書は3000円の高値がついたそうである.

ところで,少子化でなぜ悪いのか? 地球上にはヒトが増えすぎている.発展途上国だけが悪いような認識だが,人口密度から見れば日本は異常に人口が多い.

おぼろな記憶によれば,マルサスの人口論は,食料は等差級数的にしか増加しえないのに,人口は等比級数的に増えると言ったと思う.いまの日本では,食料を含めた資源収入は横ばいあるいは下向きである.にもかかわらず日本国は,GNPみたいな経済目標を等比級数的に増やしたがっており,そのために人口が減ったら困るとしているようだ.
かっての食糧難の時代には政府は,産児制限を奨励した.そればかりか,石ころだけの土地に移民を送り出した.移民ではなく「棄民」であった.政治というのは勝手なものだ.

江戸時代には鎖国というのをやった.あれが現代でも実行できるあたりが究極の適正人口と思うが,いかがなものでしょう.社会科学者のご高見をうかがいたいものである.
コメント (2)
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reading

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