【能登半島地震】:「県に当事者意識ない」 避難所支援、都道府県に温度差
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【能登半島地震】:「県に当事者意識ない」 避難所支援、都道府県に温度差
「避難所は自分たち教職員やPTA、卒業生、ボランティアなどで運営するしかなかった」
30年前の寒かったあの日を、神戸市須磨区の市立鷹取(たかとり)中学校で当時、教務主任だった中溝茂雄さん(67)はそう振り返る。
震災の後も、日本では大災害が続く。にもかかわらず、避難所支援への意識は都道府県ごとに大きな差が生じている。その現状を追った。
今月で阪神大震災の発生から30年を迎えます。この間に被災地の支援のあり方がどう変わったのかを考えます。
・冷遇されたボランティア調整役
・住宅再建で漂う不安
・災害ボランティアどう支援する?
・阪神大震災後に生まれた兆し
・障害者団体が感じた歯がゆさ
・関連死は抑えられたか
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◆兵庫県、震災3日後に見回り隊
1995年1月17日、地震の規模を示すマグニチュードで7・3を観測した地震が兵庫県南部を襲った。鷹取中には周辺の住民らが身を寄せる。およそ1カ月後の2月10日時点で1287人が避難するなど、市内で最大級の避難所となった。
未曽有の災害だったこともあり、避難所の運営のために派遣された3人の市職員は当初、3日おきに1人交代するだけだった。校内に食料の備蓄はなく、1家族でおにぎり1個や食パン1枚だけの日々が続いた。
こうした状況を受け、兵庫県は震災から3日たった1月20日、県職員と警察官で避難所を見回り、被災者の声や避難の課題を把握するためのパトロール隊を結成した。
数日後に100班体制になると、さらに避難者を支援する拠点を市内などに計7カ所設けた。県の記録集には、県職員やボランティアらを中心に、震災からの1カ月間で計3415件の相談に乗ったと記載されている。
1月中には、神戸市で避難所に入れなかった住民用にテント522張りを準備したという。
◆お粗末な実態垣間見えた石川県
国内ではその後も、東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)、西日本豪雨(18年)など各地で大災害が相次いだ。
だが、避難所の運営に当たって、震災の教訓が生かされているとは言いがたい。その一端を示しているのが、市町村や政府との窓口になる支援班の設置を定めていない都道府県が34都府県に上ることだ。
この中には、24年元日の能登半島地震に見舞われた石川県も含まれる。取材をすると、お粗末な実態が垣間見えた。
地震直後、半島の北部に位置する穴水町は、町職員が被災していたこともあり、町内の避難所58カ所のうち5カ所ほどにしか、職員を配置できなかった。自主防災組織や防災士、自治会の役員らに運営を任せていたという。
珠洲(すず)市では、想定以上の避難者が押し寄せ、備蓄していた食料が1日ほどで底を突いた。能登町では1月2日や3日、水しか口にできない人もいた。
被災地はどこも似たような状況で、県は職員を数人ずつ派遣した。だが、大…、
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元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社会 【気象・地震・能登半島地震】 2025年01月07日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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