【社説①】:小沢征爾氏死去 情熱のタクトで感動を届けた
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:小沢征爾氏死去 情熱のタクトで感動を届けた
国境を超えて、クラシック音楽の発展に果たした役割は計り知れない。世界に感動や熱狂をもたらした日本人指揮者として、多くのファンの記憶に刻まれるだろう。
指揮者の小沢征爾さんが死去した。88歳だった。米国の名門ボストン交響楽団、世界最高峰のオペラハウスといわれるウィーン国立歌劇場で音楽監督を務め、ベルリン・フィルなどトップクラスの楽団とも共演を重ねた。
小沢さんの指揮は、的確な技術と、全身を使った表現が特徴だった。ベルリオーズやマーラーなどの作品を得意とし、深い譜読みと解釈によって、情熱的かつ精妙な響きを引き出した。
その活躍は、日本をクラシック大国に押し上げただけでなく、欧米の音楽界にも新風を巻き起こした。クラシック音楽をアジアなどの非西洋圏に普及させる役割も果たしたと言えるだろう。
20歳代で世界への扉を開いたことも、高度経済成長期に入った日本人を勇気づけた。
単身渡欧した1959年は、海外旅行がまだ一般化していない時代だった。日の丸の国旗を付けたスクーターでパリなどを駆け回りながら、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールなどを制して活躍の舞台を広げていった。
20世紀を代表する指揮者のカラヤンやバーンスタインのもとで 研鑽 を積んだことが、後に大きな財産となった。誰とでもすぐに親しくなれる気さくな人柄も、成功の原動力となったに違いない。
特筆すべきは、海外で培った貴重な経験を、惜しみなく日本に還元したことだ。晩年の小沢さんは「僕は天才ではない。努力家です」と語り、「残された時間で、次の音楽家を生み出す」との決意をにじませていた。
長野県松本市で前身の音楽祭から30年以上続く「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に、その思いが表れていた。小沢さんを慕って、世界から集まった演奏家が生み出した名演は数知れない。
小沢さんは昨年も車いす姿で舞台に上がった。思いの詰まったフェスティバルだったのだろう。
日本やスイスでは、若手演奏家向けの教育プログラムを主宰し、深夜まで熱心に指導する姿も見られた。指導を受け、世界を舞台に活躍し始めた若手もいる。
日本のオーケストラは近年、技量が向上し、演奏を充実させている。後に続く指揮者や演奏家たちには、小沢さんが切り開いた道を一層広げていってもらいたい。
元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年02月10日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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