『ラ・プラタの博物学者』第1章より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3f6659e4405acee2d6a3b787959e6756
「パタゴニアの南の果てにファナコの死に場所、すなわちそのあたりにいるすべてのファナコが、死が近づくと、そこに遺骨を横たえに行く場所がある、というのは有名な事実である。ダーウィンとフィツロイ館長が彼らの手記の中に初めてこの不思議な本能を記録し、その後彼らの観察が他の人たちによって完全に確かめられた。この死に場所あるいは埋葬地の最も有名なものは、サンタ・クルス、ガエゴス両河の流域にあって、そこは渓谷が、藪といじけた矮(わい)小の木が密生する太古の茂みで埋められていて、そこの地面は無数の年代のファナコの骨でおおわれている。「ファナコは大部分死ぬ直前に藪の中にはいこんだものにちがいない」と、ダーウィンはいっている。その習性からいうと顕著な群生動物であり、一生を開けた不毛の高原や山腹で送る動物としては不思議な本能ではないか!画家にとっては何というすばらしい題材であろう! 一千年の間、その根もとの石の多い地面を白くしている獣骨に養われた、年経る葉の少ないグロテスクな矮(わい)小ないばらの灰色の荒野。沈みかかった太陽の光線に照らし出された、うそ寒い灰色の音もなく動くものもない密林の内部-ファナコのゴルゴタ(墓地)。はかりしれぬ茫漠たる過去につながる幾世紀もの長い間、山や平原から数知れぬファナコが激しい死苦を味わうためにここへ来たので、そのすべてのファナコの苦しみの幾分かが、この悲しみをこめた寂然たる自然の中にしみこんでいるように思われる。そこへ最近の巡礼者である一頭のファナコが来る。密生する茂みにはいこもうとする努力でわずかに残る力を使いつくし、黄昏の光の中で見る姿は見るからに老いさらばえ、長い毛を乱し、臨終でかすむおちくぼんだ眼で暗い密林の中を見つめている。このような場面、神秘で非情な自然の悲劇の感じをよくとらえて、それをカンバスに描いてわたしたちに見せることのできるような画家が一人英国にいるー「放蕩息子」と「仔を護(まも)る雌のライオン」を描いた画家J・M・スウォンである。
ファナコの死に場所と本能との記述に、ダーウィンは次のごとく付け加えている。「わたしはこの理由を全く理解することができない。しかし、わたしは、サンタ・クルス河の地方では傷ついたファナコの死に場所が必ずその河の方へ歩いて行ったということはできる」。
いかなる本能でもそれをまったく独自なものときめてしまうのは確かに軽率だろう。しかし、アジアのゾウに関する疑わしい報告-これは『アラビアンナイト』の中の船乗りシンドバッドがゾウの墓地を発見した話に由来しているのかもしれない-を除くと、他の動物にファナコのそれに類する本能があるということは聞いたことがない。わたしの知る限りでは、この本能は動物界で唯一のもので、他の動物の行動でこれに類似するもの、またはこれへの類似を暗示するものはなにもない。しかし、これに人の心が惹かれるものは主としてその珍しさのためである。事実それは人間より下級な動物の一つが持つ本能というより、むしろ、死の知識を持ち死後の存在を信ずる人間の迷信的な儀式のように思われる。すなわち、その昔、解放された霊魂がその来世の住み家に達するには、死んだとき、必ずその種族あるいは家族の古い死に場所から出発し、生ける者の眼には見えない踏みならされた太古の道を、西か空か地下へ向って進まねばならぬという考えを抱いていたある種族の迷信のように思われるのである。」
(ハドソン著・岩田良吉訳『ラ・プラタの博物学者』岩波文庫、1934年2月10日第1刷、1978年12月10日第12刷発行、318--320頁より)
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「パタゴニアの南の果てにファナコの死に場所、すなわちそのあたりにいるすべてのファナコが、死が近づくと、そこに遺骨を横たえに行く場所がある、というのは有名な事実である。ダーウィンとフィツロイ館長が彼らの手記の中に初めてこの不思議な本能を記録し、その後彼らの観察が他の人たちによって完全に確かめられた。この死に場所あるいは埋葬地の最も有名なものは、サンタ・クルス、ガエゴス両河の流域にあって、そこは渓谷が、藪といじけた矮(わい)小の木が密生する太古の茂みで埋められていて、そこの地面は無数の年代のファナコの骨でおおわれている。「ファナコは大部分死ぬ直前に藪の中にはいこんだものにちがいない」と、ダーウィンはいっている。その習性からいうと顕著な群生動物であり、一生を開けた不毛の高原や山腹で送る動物としては不思議な本能ではないか!画家にとっては何というすばらしい題材であろう! 一千年の間、その根もとの石の多い地面を白くしている獣骨に養われた、年経る葉の少ないグロテスクな矮(わい)小ないばらの灰色の荒野。沈みかかった太陽の光線に照らし出された、うそ寒い灰色の音もなく動くものもない密林の内部-ファナコのゴルゴタ(墓地)。はかりしれぬ茫漠たる過去につながる幾世紀もの長い間、山や平原から数知れぬファナコが激しい死苦を味わうためにここへ来たので、そのすべてのファナコの苦しみの幾分かが、この悲しみをこめた寂然たる自然の中にしみこんでいるように思われる。そこへ最近の巡礼者である一頭のファナコが来る。密生する茂みにはいこもうとする努力でわずかに残る力を使いつくし、黄昏の光の中で見る姿は見るからに老いさらばえ、長い毛を乱し、臨終でかすむおちくぼんだ眼で暗い密林の中を見つめている。このような場面、神秘で非情な自然の悲劇の感じをよくとらえて、それをカンバスに描いてわたしたちに見せることのできるような画家が一人英国にいるー「放蕩息子」と「仔を護(まも)る雌のライオン」を描いた画家J・M・スウォンである。
ファナコの死に場所と本能との記述に、ダーウィンは次のごとく付け加えている。「わたしはこの理由を全く理解することができない。しかし、わたしは、サンタ・クルス河の地方では傷ついたファナコの死に場所が必ずその河の方へ歩いて行ったということはできる」。
いかなる本能でもそれをまったく独自なものときめてしまうのは確かに軽率だろう。しかし、アジアのゾウに関する疑わしい報告-これは『アラビアンナイト』の中の船乗りシンドバッドがゾウの墓地を発見した話に由来しているのかもしれない-を除くと、他の動物にファナコのそれに類する本能があるということは聞いたことがない。わたしの知る限りでは、この本能は動物界で唯一のもので、他の動物の行動でこれに類似するもの、またはこれへの類似を暗示するものはなにもない。しかし、これに人の心が惹かれるものは主としてその珍しさのためである。事実それは人間より下級な動物の一つが持つ本能というより、むしろ、死の知識を持ち死後の存在を信ずる人間の迷信的な儀式のように思われる。すなわち、その昔、解放された霊魂がその来世の住み家に達するには、死んだとき、必ずその種族あるいは家族の古い死に場所から出発し、生ける者の眼には見えない踏みならされた太古の道を、西か空か地下へ向って進まねばならぬという考えを抱いていたある種族の迷信のように思われるのである。」
(ハドソン著・岩田良吉訳『ラ・プラタの博物学者』岩波文庫、1934年2月10日第1刷、1978年12月10日第12刷発行、318--320頁より)