「エリザベス朝劇場というのは、一つの舞台といっても、機能的には三つの舞台を一つに組み合わせたものと考えてよい。これが大きな特殊性であった。三つの舞台というのは、第一がまず外舞台(other stage)。これは(平面図でもわかるように)不釣り合いなほどいわゆる大きくいわゆる平土間の中はどまで突き出ている。観客はある程度三方から舞台をかこんで見るような形になる。
外舞台には大きな柱が二本あり、これが一種の屋根を支えている。この屋根は普通「天」(heavens)と呼ばれていた。またこの外舞台には、中央あたりに「せり出し」の穴が切られていて、例の「ハムレット」の父の亡霊などは、ここからせり上がってきたものと考えられる。
さて次は「内舞台」(inner stage)。これは外舞台の奥につづいていた小舞台で、その間は、これまた(挿図)でわかるように、左右に開閉できる幕で仕切られていた。ここは寝室だの、洞窟だの、居間だのと、そんな場面のときに用いられた。最後は「二階舞台」(upper stage)。これはちょうど内舞台の真上にあたっており、(平面図ではよくわからないが、内部想像図の方では、はっきり存在が見えるはず。これは文字通り二階の寝室になったり、バルコニーになったり、また城壁の上、小山の頂き、等々といった高い場面のときに使用される。」
「一つの舞台が、実は三つの舞台の組合せから成っていたことは、以上の通りであるが、問題は、それら構成的舞台を実際にはどんな風に使ったか、ということになる。まず第一に言えることは、構成舞台であったために、場面の転換が非常にスムースに、しかも幕間時間を要せずに行えたということであろう。たとえばお馴染みの「ハムレット」に例をとってみる。冒頭の亡霊出現の場面は、おそらく外舞台だけ、内舞台との間の幕は閉まったままだったろう。第二場はガラリと宮廷内の広間のようなところに変わるが、これは前場の終わりでホレーシォ等が退場してしまうと、そこで幕を開いて内舞台を出す。すると、内外両舞台を合せた全体が広間ということになり、宮廷内の場面が進行する。前場の進行中に、閉まった内舞台に玉座を象徴する椅子を二つほど出しておけば、あとは幕を開くだけで、すぐに第二場になるというわけ。
つづいて第三場は、オフィーリア、レアティーズなどが登場して、ボローニアス一家の家庭風景だが、別に特定の部屋という限定らしいものはセリフに現れないので、おそらく第二場が終わって全員退場すると、ふたたび幕が閉まって、外舞台で演じられたのではなかろうか。屋外、屋内をとわず、特に限定されない場面は、外舞台で演じることになっていたらしい。そこで次の第四場、第五場とつづく場面、ハムレットが夜の見張りに加わり、父の亡霊に会って、これを追い、ついにその死の秘密をあかされるところだが、おそらく最初、第四場の「胸壁の上」というのは、一転して二階舞台を使ったのではないかと思われる。そこで「憑かれたもののように」亡霊を追って退場ということになるが、次に亡霊とともに登場する第五場は、明らかに外舞台でなければならぬ。ここで亡霊がいくどか地下から呼びかけるのを見ても、これはセリ出し穴から消えて、奈落からの声となっていることにまちがいない。
もちろん、こうした場面変換の詳細はすべて、当時の舞台慣習から推しての推定であり、したがって部分的には別の見解をとる研究者もあるが、大綱においてはまずまちがいない。そして筆者が示したかったことも、つまりは上に述べたように、事実上には三つの舞台の組合せであったればこそ、場面の転換、劇の進行がきわめてスムースに流れて、幕間時間などによる感情のリズムの中断、停滞をうまく免れることができた、ということを言いたかったからである。
今日、流布本でシェイクスピアを読まれる一般の読者は、きっと彼の劇が、悲劇、喜劇、史劇をとわず、非常に多くの場面(シーン)から成り立っていることに気づかれるにちがいない。たいていが20場前後、むしろそれを越えるものの方が多い。もっともひどいのは「アントニーとクレオパトラ」であり、これは実に38場に及んでいる。したがって、極端な場合は、一幕わずかに十行前後というのさえおびただしくある。シェイクスピア当時の劇場では、一つの芝居の演了時間がほぼ二時間あまりであったらしいことは、前にもどこかで述べたように思うが、こんなに多数の場面を、どうしてそんな短時間で演じおえることができたか。秘密はこの舞台構造にあったのである。背景、装置が簡単な上に、三つの舞台の組合せによる、このスムースで迅速な場面転換があったればこそ、そんなことも可能だったのである。」