会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都 東福寺周辺 1

2011-12-28 18:55:25 | 旅行
2011年12月28日(木) 晴れ 御用納め 
 孫達の部活も無く午後からは嫁の実家塙町へ行った。そこから成田空港に行きオーストラリアへ12月311日~1月5日まで行って来る。上の孫が来年受験生なので今年海外旅行をすることにしたようだ。楽しい旅行になることを願っている。
 留守中はラッシュの面倒をみなくてはならない。家族と一緒に寝ている犬が我が家でどうなることやら・・・。
 お天気がよかったので年越しの買い物をしたり、散髪をしたりして過した。
 
  11月18日(金) くもり 晴れ 
  京都に魅せられた男の一人旅37  
  第五日目 東福寺1 
 東福寺には北門(仁王門)、中門(日下門)、南門(六波羅門)、勅使門がある。タクシーで案内されたのは日下門。ここが一番本堂や通天橋受付に近い。
 門を入るともう人の波。団体客の群れ。さすが東福寺であると感心する。

 通天橋受付は混雑していたので境内を右まわりでみて歩くことにした。
 目の前に大きな本堂(仏殿)があり、本堂の南に対峙して三門(国宝)がある。

 東福寺は、1236(嘉禎2)年、東大寺、興福寺の2字をとり発願され、10年の歳月をかけ、境内6万坪、京都最大の寺院として造営された。摂関家の庇護を受け、名僧を輩出したこの寺も1881(明治14)年、方丈・仏殿・法堂が焼けてしまったが、その後再建された。中世の禅宗建築を随所に残している。




 三門(国宝)は、大仏(天竺)を思わせる。室町初期の再建。扁額「妙雲閣」は足利義持筆。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には名兆と弟子による極彩が描かれているそうだがみることはできなかった。しかし、三門を近づいて見上げるとその建築美には驚かされる。

 焼け残った建物の一つに禅堂に続いて東司がある。東司は登司とも書き、禅宗寺院の便所である。室町時代に建てられた長さ35mに及ぶ巨大なもので、禅宗寺院の東司としては最古のものである。中央通路をはさみ、左右両側1m間隔で便壷が埋められ、一度に50人ほどが用をたせる。禅僧にとっては排便も修行の一環である。排便中の心の隙を襲う鬼神を退ける真言を涌しながら居並ぶ僧が用をたす様は、少々凄味のあるものだろう。
この後境内をみてまわりながら通天橋拝見受付に・・・(つづく)