2013年8月23日(金)雨 23.1℃~20.6℃ 処暑
暑い 暑いと言っていたが、暦では処暑。一雨ごとに気温が下がり、朝晩は肌寒く長袖、長ズボンに着替え、夜は布団を掛ける。いつの間にか秋がやってきている。日中と夜間の温度差が大きい。かぜなどひかないように体調管理をしっかりしなくてはならない。
「永和ものづくり楽校」第9回例会 『季節の伝統食に触れる① 会津の殿様の料理』 講師 平出 美穂子先生
はじめに講師より約30分
「八代藩主容敬(かたたか)公南山下向時のご馳走」について講話。こづゆの原型???
資料ー近世会津の歴史 第4編文政10年会津藩主の南山通りによる会津下向よりー
「恐れながら番付をもってお窺い候 田島村検断 黒川 順蔵」
「宿はいかがすべきですか・厠は設置しますか・お風呂はどうしますか・馬小屋はいかがすべきですか・藩主の食事はどうしますか・道普請はどうしたら・かかった費用はどうしますか」と田島村の代官様たちのあわてぶりが目に浮かぶようです。
文政10年(1827年)百数十年ぶりで南山通りが藩主の参勤交代の道筋になったのです。南山通りによる藩主の下向は、2代藩主正経(まさつね)から100年以上も通行しておらずもっぱら白河街道が使用されていました。このたびの下向で検断も庶民も大変な準備をしました。4月7日に江戸を出発し、4月16日に若松城へ。・・・略」
藩主一行は625人。日光東照宮を参拝して4月12日、幕府預り地である南山通りの最初の宿泊地五十里村。当時28軒しかない民家に、一軒につき20人から多い所には50人程度宿泊しました。どんなに窮屈であったかまた下記のような夕食膳の準備など想像もつきません。
1)4月12日 五十里村宿泊 夕食膳 ● 藩主= 平:長いも・岩魚・干ごぼう 汁:江戸うど・飯 香物:巻しそ 猪口:ウコギ・花かつお ● ご本陣の酒の肴= 砂鉢:うこぎ 重:木耳・蕨・氷こんにゃく・貝柱・里芋 吸物:生魚・せり ● 家来の人たち= 平:氷豆腐 汁:くきたち・飯 皿:塩引き・里芋・繊切り鮑 ● 御調譲 御方と勝手方献立= 煮染:椎茸・こんにゃく・いか・里芋・人参 砂鉢:魚でん・えび 皿 :浸し物
2)4月13日 五十里村 藩主 朝食膳= 平:蒸し鮑・椎茸・ひじき 汁:生うど 香物:奈良漬け 腰高:木耳でんぷん和え 飯
この後、4月13日糸沢で昼食、4月13日田島村で夕食、14日朝食、14日夕食、15日朝食、昼食の献立が記録されている。 おおよそ650人分の賄に対して、郡奉行所からは、「費用をかけないように、かかった費用は藩で支払う。また休み所や宿泊所でかかた費用は藩が夕方支払う。食事についてはその土地のもので差支えない」としているところから上記献立のように質素でした。
しかし、質素といえども、あわび・いくら・塩鮭・貝柱・海老など日本海からの海産物で当時も高級食材だったものをしかり使用している。
資料に基づく講話であったが当時の会津の食文化の一端を知ることができて大変良かった。
講話の後、「会津藩8代藩主容敬公の参勤交代時の南会津地方でのご馳走膳」を調理した。
<献立>
○ ご飯
○ 汁物(八杯豆腐)=だし汁6:酒1:醤油1と豆腐拍子切り、ねぎを散らす 、
○ 小皿・漬物(たくあん)、皿・焼き魚(塩引き)
○ 平:厚焼き卵 煮物:山芋・椎茸・人参・わらび・だし汁・醤油・砂糖・塩
○ 重のもの(こづゆ):干し椎茸・里芋・人参・きくらげ・魚の子麩・だし汁・醤油・砂糖・塩
ほとんどが家庭の主婦なので手分けして手際よく調理ができた。
暑い 暑いと言っていたが、暦では処暑。一雨ごとに気温が下がり、朝晩は肌寒く長袖、長ズボンに着替え、夜は布団を掛ける。いつの間にか秋がやってきている。日中と夜間の温度差が大きい。かぜなどひかないように体調管理をしっかりしなくてはならない。
「永和ものづくり楽校」第9回例会 『季節の伝統食に触れる① 会津の殿様の料理』 講師 平出 美穂子先生
はじめに講師より約30分
「八代藩主容敬(かたたか)公南山下向時のご馳走」について講話。こづゆの原型???
資料ー近世会津の歴史 第4編文政10年会津藩主の南山通りによる会津下向よりー
「恐れながら番付をもってお窺い候 田島村検断 黒川 順蔵」
「宿はいかがすべきですか・厠は設置しますか・お風呂はどうしますか・馬小屋はいかがすべきですか・藩主の食事はどうしますか・道普請はどうしたら・かかった費用はどうしますか」と田島村の代官様たちのあわてぶりが目に浮かぶようです。
文政10年(1827年)百数十年ぶりで南山通りが藩主の参勤交代の道筋になったのです。南山通りによる藩主の下向は、2代藩主正経(まさつね)から100年以上も通行しておらずもっぱら白河街道が使用されていました。このたびの下向で検断も庶民も大変な準備をしました。4月7日に江戸を出発し、4月16日に若松城へ。・・・略」
藩主一行は625人。日光東照宮を参拝して4月12日、幕府預り地である南山通りの最初の宿泊地五十里村。当時28軒しかない民家に、一軒につき20人から多い所には50人程度宿泊しました。どんなに窮屈であったかまた下記のような夕食膳の準備など想像もつきません。
1)4月12日 五十里村宿泊 夕食膳 ● 藩主= 平:長いも・岩魚・干ごぼう 汁:江戸うど・飯 香物:巻しそ 猪口:ウコギ・花かつお ● ご本陣の酒の肴= 砂鉢:うこぎ 重:木耳・蕨・氷こんにゃく・貝柱・里芋 吸物:生魚・せり ● 家来の人たち= 平:氷豆腐 汁:くきたち・飯 皿:塩引き・里芋・繊切り鮑 ● 御調譲 御方と勝手方献立= 煮染:椎茸・こんにゃく・いか・里芋・人参 砂鉢:魚でん・えび 皿 :浸し物
2)4月13日 五十里村 藩主 朝食膳= 平:蒸し鮑・椎茸・ひじき 汁:生うど 香物:奈良漬け 腰高:木耳でんぷん和え 飯
この後、4月13日糸沢で昼食、4月13日田島村で夕食、14日朝食、14日夕食、15日朝食、昼食の献立が記録されている。 おおよそ650人分の賄に対して、郡奉行所からは、「費用をかけないように、かかった費用は藩で支払う。また休み所や宿泊所でかかた費用は藩が夕方支払う。食事についてはその土地のもので差支えない」としているところから上記献立のように質素でした。
しかし、質素といえども、あわび・いくら・塩鮭・貝柱・海老など日本海からの海産物で当時も高級食材だったものをしかり使用している。
資料に基づく講話であったが当時の会津の食文化の一端を知ることができて大変良かった。
講話の後、「会津藩8代藩主容敬公の参勤交代時の南会津地方でのご馳走膳」を調理した。
<献立>
○ ご飯
○ 汁物(八杯豆腐)=だし汁6:酒1:醤油1と豆腐拍子切り、ねぎを散らす 、
○ 小皿・漬物(たくあん)、皿・焼き魚(塩引き)
○ 平:厚焼き卵 煮物:山芋・椎茸・人参・わらび・だし汁・醤油・砂糖・塩
○ 重のもの(こづゆ):干し椎茸・里芋・人参・きくらげ・魚の子麩・だし汁・醤油・砂糖・塩
ほとんどが家庭の主婦なので手分けして手際よく調理ができた。