会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

北京・西安の旅11

2010-03-12 19:45:03 | 旅行
3月12日(金)久しぶりに太陽が輝いた  
      パソコン教室で画像遊び

 今日はNPO法人豊齢研ITサロン会津(パソコンを脇役にわいわいがやがやと集っている高齢者のグループ)の勉強会があった。会員74名。午前初心者コースと午後自遊楽校の二部制。会員の何人かが交代で教師を務める。
 3月はデジカメ写真の加工を中心にしている。フリーソフトJtrimでカレンダーを作成した。かなり高度な操作だが楽しく遊んでいる。復習して次のような4月のカレンダーを作った。
 お友達の誕生月の卓上カレンダーを作ってプレゼントするのも面白い。

 

2007.6月5日(火)北京・西安の旅11
           「北京市内観光 世界遺産 天壇」 

 ホテルを午前7時半に出る。天安門広場へ行く予定であったが市内が混雑していたので天壇を先見学することになった。天壇は皇帝が天帝に捧げる重要な儀式の場。
 古来より中国には天帝を祭る土蔵の露台、壇という構造物があった。北京では故宮を中心とする東西南北に天・地・月・日を祭る壇が築かれていた。南側に築かれたのが、現在も残っている天壇である。
 明代の永楽18年(1420年)に創建され、清代の乾隆16年(1751年)に拡張。その後、焼失、再建を経ているが、乾隆帝時代の様式が今に伝わっている歴史的な以降である。
 明、清代にわたり、皇帝は年に2度、天壇に行幸した。ここで皇帝は正月には五穀豊穣を、冬至には1年の出来事を報告する儀式を行ったのである。
 天壇は公園になっていて市民の憩いの場である。その様子は明日アップします。


北京・西安の旅10

2010-03-11 19:50:16 | 旅行
3月11日(木) 残念だが今日も風が強く寒い一日  
     会津鉄道を愛する会例会
 下町といわれて一時の賑わいを失っていた西若松駅周辺。その活性化のために立ち上がったのが会津鉄道を愛する会。新社長を迎えた一昨年から積極的な活動を展開する。芦の牧駅の猫駅長バス、お座敷列車、各種イベント開催。それと呼応するように城西区長会をはじめ各種団体が参画した。夏、秋、冬のイベント。盛り上がりを見せた。小さな試みが湖面に投じた一石のように輪が波紋を広げている。
 今晩は冬のイベント絵ろうそくまつりのことも話題になりおおいに盛り上った。市内で行われている絵ろうそくまつりには規模は負けるが内容は勝っていると自負する。
 歌あり、甘酒、地酒振る舞い、焼きソバ、豚汁、出店ありなのだから・・・。
 地域活性化は、リーダーの出現と発想力そして行動力で動くものである。この活動の一員として協力していきたい。 

2007.6月4日(月)北京・西安の旅10
           「北京料理あれこれ」 

 市内散策をしながら夕食の「全聚徳」へ。夕闇がせまりネオン瞬く店に入る。大きなお店。

 大まかに中国料理を八系統で分けるのもあるそうだが四系統で分けると、広東料理、北京料理、四川省料理、上海料理となる。
 昼食は広東料理、夕食は北京料理。中国料理の二つを一日で味わう。
 広東料理は、広東地方で作られてきた料理で薬味や調味料を多用し、北京料理に比べて淡白。北京料理は、北京の宮廷を中心に発達して来た北方系の料理で油を使った濃厚な味のものが多い。
 四川省料理は、四川省一帯で作られた料理。香辛料を多用する。マーボー豆腐が有名。
 

 テーブルに着くと間もなくダックの丸焼きが運ばれてきて目の前で切って分けてくれた。中国へ行けば北京ダック料理といわれるほど、我々日本人には最もポプュラーな中国発祥の丸焼き料理。ナッツの木を燃やし、炎が燃え上がる炉の中でこんがり焼いた北京ダックは、パリッと香ばしい皮とジューシーな脂身が絶妙な味わい。荷葉餅に北京ダックとネギをのせ、味噌だれをつけ、くるくる巻いて食べた。

 食が進みダックスの肉も少なくなくなったテーブルの料理と昼食の広東料理をアップします。北京料理は美味しいが、広東料理も淡白で口にあっていた。
手前の皿にダックがわずかに残った写真が北京料理。後の写真が広東料理。ここではスイーツも食べ放題だった。




北京・西安の旅9

2010-03-10 21:25:56 | 旅行
3月10日(水) 太平洋側に吹雪が  
     腰痛と根気よく付きあう
 今日も全国的にお天気が悪い。特に太平洋側では予想外の吹雪で交通網も混乱。市民生活もとまどう。福島県土湯峠では猪苗代町側より福島市側の積雪が多い。例年この時期に見られる現象。土地の古老はこのような雪の降り方になるとる春がもうすぐだという。もう少し辛抱しよう。
 
 日本人が悩む不快症状の上位を占めているのが腰痛である。一説には、日本人の10人に8人は腰痛の経験者だという。
 よくいわれることですが、二本足で歩いている人間にとって、腰は最大の弱点。背骨が縦に配列されている人間は、背骨が横に並んでいる四足の動物と違って、腰に大きな負担がかかりやすい。
 そのため腰痛があると、背骨やその周囲の筋肉に異常があると考える。しかし、内臓の病気や感染症、ガンなどでも起こる。
 今日見舞いにいった知人は腰部背柱管狭窄症で手術をした。痛みは取れたがまだ痺れは残っている。小生は腰椎すべり症で長年悩んでいる。手術も考えたが、実兄が四度も手術をして歩行困難になったので躊躇する。ストレッチと水中運動を続けていると腰痛が少しずつよくなっていているのでこの方法で腰痛と根気よく付きあっていくことにする。

2007.6月4日(月)北京・西安の旅 9
           「北京市内散策 王府井小吃街」 

 明十三陵の見学を終え北京市内に戻る。夕方6時頃。夕食前に繁華街を歩く。歩行者天国のように大通りには車両がなく周遊バスのみ運行していた。
 北京きっての屋台街「王府井小吃街」も歩いた。100以上の小吃店やみやげ店が軒を並べる一帯。宗代の町並みを再現したレトロなたたずまいで観光客にも人気が高い。セミやタツノオトシゴ、サソリの丸揚げなど変わり種の串焼きもあった。昔日本でもみられた飴細工職人もいて懐かしい。通りに設けられたテーブルでは楽しく食事をする姿も随所に見られた。世界遺産ばかり見てきたのでほっとする散策であった。以下その様子の一部をアップします。ご覧ください。




    






 

北京・西安の旅8

2010-03-09 21:22:28 | 旅行
3月9日(火) 日本列島 大荒れで雪が舞う  
   県立高校入学試験

 今まで努力した受験生の健闘を労う。
 “15歳の春を泣かせるな”というスローガンを掲げて運動してきた方々は、現在の高校入試をどうお考えだろうか。推薦入学で入学した者。希望しなくても定員割れの高校に振り分けられて受験した者。これで高校全入が達成しただろうか。その後の生徒の動向に注目したい。受験に失敗したり、何らかの事情で進学できなかったりする者は必ずいる。
ストレートで進学した者、挫折をした者・・・。長い人生を見なければわからない。
 
 政府は高校授業料無償にするといっているが反対である。高校は義務教育ではない。経済的に困窮している者には奨学資金を手厚くすればよい。
 昨日テレビのニュースで68歳の熊谷史子さんが(福島市)聖光学院通信制課程(三年制)を卒業されたと報じていた。十代の高校進学直前、父が亡くなり就職した。長年「高校で学びたい」という思いを持ち続け見事達成された。本当にすばらしい方だと思う。
 学ぶ心をいつまでも持ち続けたいものである。


2007.6月4日(月)北京・西安の旅 8「世界遺産 明十三陵」 

 万里の長城の見学を終えバスで「明十三陵」へ移動。北京市内より西北に約50km。天寿山の裾野に広がる明十三陵は、明朝第3代の成祖永楽帝から王朝最後の皇帝、毅宗崇禎帝(きそうすうていてい)まで13人の皇帝と23人の皇后、1人の貴妃が埋葬された陵墓群で、陵園部と陵道の2つに分かれている。
  



 皇帝の陵墓を守る神路があり、800mにわたる道の両側には石人や石獣が並ぶ。遠く奥の中央には、牛に似た想像上の神獣がある。人の戦いを見ればその邪悪な方角を突き、人の議論を聞けば不正の方に噛みつくといわれた。昔の裁判官の服にはこの神獣の絵が描かれていたという。
 豪華の宮殿建築の奥の円形の宝城の下には地下宮殿がある。1957年に発掘された。深さ27m。大理石が隙間なく積み上げられている。2年分の国家予算を費やした大宮殿。




北京・西安の旅7

2010-03-08 21:38:20 | 旅行
3月8日(月)  
   午後晴れたが気温は上がらない。風が冷たい。

 2週間振りにインターナショナルスイミング 腰痛コースへ出かけた。12時30分から13時まで室内でのストレッチ。13時10分から13時50分までの水中運動。久しぶりに身体を動かしたので節々が痛い。サウナで汗を流しシャワーを浴びると気分爽快となった。寒くても身体を動かさないと色々な機能がスムーズに作用しなくなる。
 ダンベル、バランスボール、自転車こぎ、バランス棒などメタボ解消で買い込んだ物はたくさんある。よーし明日からは・・・・・・・・・・?

2007.6月4日(月)北京・西安の旅 7「世界遺産 万里の長城」 

 民芸品店、陶器工場、博物館等を見学し、昼食は金殿で広東料理を味わった。その後郊外へ1時間20分位車を走らせると眼前にどうしても上ってみたかった万里の長城が、スモッグも黄砂もない澄み切った青空の中にくっきりと現われた。驚き。感激。感動。



今から二千数百年前の春秋戦国時代、北方異民族の侵入を防ぐために、各地に群雄していた国々が独自に城壁を築いた。その後、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝がそれをつなぎ、完成させたのがこの万里の長城である。山海関から嘉峪関まで、全長6350kmもあるという長大な建造物は、歴代の皇帝が修復を繰り返してきたが、やがて朽ち果て、往年の雄姿を眺められる場所は限られてしまった。しかし、近年北京の八達嶺長城などで修復が進み、その姿を一目見ようと多くの観光客が訪れている。小生もこの長城にやって来た観光客の一人。



数ある長城の中でも、規模、壮麗さともに随一といえるのが八達嶺長城。創建当初は、単に土を固めただけの壁だったとされるが、時代とともに建築方法も進化している。明代には日干しレンガを焼いて強度を高めた「磚」が使われるようになったといわれるが、今残るのはその当時造られたもの。城壁上部は高さ7.8m、幅5.8mもあり、騎馬が5列、兵士なら10列になって進めるように設計されていた。女坂と男坂と呼ばれる2つの急な坂があるが、いずれも結構ハード。北側2.4kmと南側1,1kmの計3.5kmの区間のみ公開されている。
 ロープウエーに乗らず、観光客用に歩道が整備されていたので急な坂であったがしっかりと歩いて往復した。城壁の上から眺めると延々と続く連なる長城の壮大な景観にただただ圧倒された。

北京・西安の旅6

2010-03-07 19:12:20 | 旅行
3月7日(日)  
   春は遠のいてしまたかのような寒さが続く。

 昨日は城西地区区長会の監査をし、慰労会があった。蕁麻疹の病みあがりなので酒を飲まず退席しようとしたところ、日頃飲んべえの看板をしょっているので引きとめられてしまった。心の底に引きとめられるのを待っていたのかもしれない。意志薄弱な自分にがっかり。30分くらいお付き合いして退席。5日間飲んでいなかったので1合ばかりのアルコールで良い気分にった。アルコール依存症気味の小生がこれからは休肝日を設けてほどほどの量を飲むように努力したい。
 今日は男の味覚会の役員会。ファミリーレストランで昼食を食べながらの会合。アルコールなし。夜でなくてよかった。年間計画、講師選びなど。特に講師との折衝が難しい。
 居酒屋やレストラン、食堂等の調理人が多い。居酒屋の親父さんとの折衝が担当。3月中に講師依頼をする。節酒の誓いを守れるかな。自分の克己心を試してみる。

 
2007.6月4日(月)北京・西安の旅 4「北京郊外の風景」 

 
 
 少人数の旅はすごく融通が利く。北京到着した日に「京劇鑑賞」をしてしまたので、4日の日程がゆったり。現地ガイドの計らいで北京郊外を車窓から眺めたり、民芸店や陶芸工場などの見学をすることにした。北京オリンピック前の街の様子なので現在とは少し違うが写真をアップします。10年前の中国は自転車が交通手段。今回は自動車も増えていた。現在はもっと豊かな中国になっている。特に、大都市では富裕層が増え日本のバブル期のようなマンションなどのビルラッシ。高級車も走り回っているだろう。








北京・西安の旅5

2010-03-06 16:47:08 | 旅行
3月6日(土)   蕁麻疹発生は体調の赤信号

 2日の朝食を済ませて30分位過ぎると突然体全体にかゆみの強い膨疹が次々と出現し、いてもたってもいられない状態になった。今まで何を食べていてもなんともなかったのに今回このような蕁麻疹ができたのにびっくりした。午後竹田病院へ行くが、皮膚科の診療は午前中だけとのことであった。市内の診療所へ行く。診断の結果急性蕁麻疹。注射を打ち、飲み薬と塗り薬をもらって帰る。

 朝食に食べた魚の干物が原因だった。しかし、同じ物を食べた連れ合いは何事も無し。連日諸会合の会食での暴飲で胃腸が弱っていたので発生。
 身体を休め、禁酒し、薬を服用したら全身の蕁麻疹が消えた。ほっとしたと同時にこの赤信号を深く肝に銘じて生活習慣を改善していきたい。
 今晩は町内の会計監査をする。その後の監査慰労では酒を慎まなくてはいけないと自戒した日であった。
 
2007.6月4日(月)北京・西安の旅 5「頤和園を後にする」 

見所いっぱいの頤和園であったが、観光客も多く約1時間では少し物足りなかった。
昆明湖から振り返ると園内最高峰の高さ60mの万寿山にある仏香閣が遠くに見えた。手前には色鮮やかな遊覧船の船着場があった。


頤和園の出口付近の路上では書のパフォーマンスがみられた。やはり漢字の国、書の国である。立ったまま筆に水を含ませて路面にさらさらと書いている。内容はわからないが書体は隷書かな?。芸術性を感じてしばしみとれた。
   

 

北京・西安の旅4

2010-03-05 20:41:51 | 旅行
3月5日(金)   4歳次男衰弱死、5歳男児餓死

 これが日本の出来事だろか。信じられない事件が起きている。日常茶飯事のように凶悪で悲惨な事件が報道されると同じ日本人として怒りを覚える。この二人の子どもはどんなんにかお腹を空かせていたことだろう。泣く元気も、叫ぶ元気も、助けを呼ぶ術もなかった。事件が起きてから行政、地域、などの問題が論議される。文化国家、先進国などと到底言えない日本になってしまた。
 親権のこともあるだろうが、児童相談員が対象児童に直接面談できる権限をもたせるのも一つの方策であろう。人間以外の動物は子を守るために命を捨てることもある。動物以下の自己本位の親が多くなってしまった。嘆かわしい。 
2007.6月4日(月)北京・西安の旅 4「頤和園内 あちこち」 


 
 西太后の寝室だった「楽寿堂」の建物の前には「青芝岫」という大きな石が置いてある。この石は明代の役人が北京近郊の山で見つけて持ち帰ろうとしたが、費用がかさんで途中で放置した。それを乾隆帝が北京に運ぶように命じたもの。中国庭園に飾られているものでは最大の物。
 この他、銅製の壷、鹿、コウノトリ、蝙蝠などが置かれており、平和を象徴している。特に鹿は富と長寿のシンボル。







 楽寿堂と清晏舫(せいあんぼう=昆明湖の西岸に設けられている石造りの船)の間には屋根付きの回廊が造られている。これを長廊と呼ぶ。雨降りや降雪など悪天候の時でも、雨風にさらされずに周囲の風景を楽しめるように建造されたもの。回廊にはさまざまな部分にカラフルな絵が描かれており、全長は728m。世界最長の色絵付き回廊として、ギネスブックにも記録されている。



細部まで細かに彫刻が施された長廊は、それだけで見事な中国の建造物である。絵が描かれているのが特徴で、その数14000点という。花鳥風月、名所、名著の場面など題材が同じ物が一つもない。
   

北京・西安の旅3

2010-03-04 20:43:25 | 旅行
3月4日(水)   チリ大地震報道から 

 ハイチの地震から何ヶ月も経たないうちにチリで大きな地震が起きた。某学者は地球がゆり戻しをして本来の地球にしようとしているのだという。地球の軸がいくらか傾いたから・・・。???。また、干ばつが続くと豪雨がやってくる。よくわからないが地球が病んで悲鳴をあげているといわれるとなるほどなと思う。この大地震で回転寿司の値段があがるかもしれない。輸入先のチリの水産業が打撃をうけているから。
 三陸海岸では津波が養殖業者に大きな被害を及ぼしている。
 いろいろと考えさせれるニュースである。
 
2007.6月4日(月)北京・西安の旅 3「世界遺産 頤和園」 

朝食を午前6時にホテルのレストランで済ませ、7時に出発し、北京郊外観光に出かけた。
 
  ===贅の限りを尽くした西太后が過した避暑地「頤和園」===
万寿山という小高い山とその南側に広がる人造湖の昆明湖で構成された中国最大の級の皇帝庭園。12世紀金代に小宮殿が建てられた場所で、18世紀中頃には清の乾隆帝が離宮として大改造している。1860年英仏連合軍に焼き払われてしまった。西太后は海軍の軍費3000万両をつぎ込んで再建、現在の姿となった。昆明湖をはじめとする人工の山水や楼閣の数々は贅を尽くした造りで、清朝の滅亡を早めた一因ともいわれている。西太后はこの離宮をこよなく愛し、特に晩年には、執務と自由時間を楽しむため長時間ここで過したことで知られている。






 東宮門から入ると徳和圓、仁寿殿などがあり、西太后が使用した玉座、衣類、食器などを見ることができる。
 仁寿殿は故宮の太和殿に当たる園内の政治の中枢。政治が行われる場になった頤和園で一番重要な場所。皇帝や西太后はっこで政務を執った。また、外国使節との接見場所としても用いられた。殿内には、皇帝の持つ権力の偉大さ神聖さを象徴する9匹の龍が彫刻された玉座がる。仁寿殿の前には大きな獅子像が鎮座している。


北京・西安の旅2

2010-03-03 18:23:44 | 旅行
3月3日(火)   桃の節句 ひな祭り 

 お昼頃陽が射してきた。外に出て野菜収穫や果樹の剪定をしようと思ったが、風が冷たく気温も低い。会津若松では今夜は零下5度くらいに冷え込むと天気予報が出ていた。暖かくして過すことにしよう。 
 
2007.6月3日(日)北京・西安の旅 2「京劇を鑑賞」 



人数が少ないので小回りが利く。夕食は現地の人たちが立ち寄る食堂へ入った。ガイドのお奨めの麺とワンタンを頼んだ。スープが実にうまい。団体専用のレストランやホテルの食堂とは一味違っていた。中国の庶民の味。よかった。夕食を食べて京劇を観に行く。





京劇は、各地で古くから行われていた地方劇が19世紀中ごろ、北京で合体したもの。弦楽器やドラの演奏でオペラのように「唱(うた)」を聞かせる演目と、アクロバット的な立ち回りを演目に分かれる。前者は「覇王別姫」、後者は、孫悟空を題材とした「大閙天宮」などが有名。
 男女共にあでやかな衣装をまとって歌をきかせる恋愛もの。顔の隈取は「瞼譜」といわれ、赤は正義をつくす勇敢な人物、黒は荒々しい役、顔全体が白いのは狡猾な悪役。
解説書を見ながら鑑賞したのでわかりやすかった。
伝統の京劇を見て、中国の文化に触れることができてよかった。