カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

しあわせなひと

2013-08-24 23:01:06 | 即興小説トレーニング
 幸福な人間は己が幸福である理由を深く考えることは少ないが、不幸な人間はしばしば己の不幸の原因を真剣に探ろうとするものだ。

 まあ、だからと言って複雑なことを考えない幸福な人間よりアレコレと思いを巡らす不幸な人間の方が頭が良いかと言うと、そうとも限らないことが多いもので、つまりこの世は理不尽と不公平に充ち満ちていると言う結論に達せざるをえないのだが、仮にそうであったとしても自分自身の人生内容が変わるわけではない。
 そんなわけで、僕は随分前から物事を深く考えるのは単なる頭脳の体操、ゲームのようなものだと思うようにしていた。むしろ複雑に入り組んでいるように思える思考から虚飾を徹底的に廃した果てに残るものこそ揺るぎない真実であると思うようになっていた。

「つまり、貴方は自分自身の人生ですら真剣に考えるのを放棄したのね」
 当時付き合っていた彼女が心底軽蔑したようにそう言ってきたとき、僕は答えられなかった。ただし、それは己を恥じたからではなく価値観の違いに戸惑ったからだった。
「そうやって本来考えるべきことを切り捨てて、自分自身が楽である道ばかり進んで、それで貴方の人生に何が残るの?」
 実はこの瞬間まで、僕は彼女を尊敬していた。僕とは違った方向で真剣に人生というモノを見据え、更なる高みを目指して進んでいく姿に憧れもしていた。
 だが、彼女がそう言う生き方を己自身に課しているが故に、彼女とは違う価値観の元に生きている人間の存在を認められないというのなら、僕が出来ることは彼女から離れる以外に何もなかった。
「貴方はきちんと自分の頭で物事を考えることが出来る人なのに、どうしてそれを放棄するの?」
 別れの言葉を切り出した時に彼女がこう尋ねてきたので、僕は答えた。
「これ以上、不幸になりたくないからかな」
 すると、彼女は僕に哀れむような視線を向けながら言い放った。
「そう、それじゃ私はもう、貴方を救ってあげることが出来ないわ。さようなら」
 そうだね、さようならと答えてから頷いた僕は、それ以上は何も言わずに去っていく彼女の背中を、やはり無言で見送り、結局は、それが僕と彼女の『おしまい』となった。

 数年後、彼女は更なる真実を求めてとある宗教団体に入団し、厳しい修行の果てに独自の新宗教と多数の熱烈な信者を獲得して独立したと聞いた。やがてその団体は徐々に、だが確実に反社会的な性格を帯びていき、何人もの死者を出した挙げ句に解散させられることになった。ただし、逮捕者の中に彼女の名前はなかった。警察の捜査が及ぶ直前に自らの命を絶ったのだ。

 そして僕は、相変わらず己を取り巻く日常に一喜一憂しながら日々を過ごしている。
 結局、僕が彼女に何も出来なかったように、彼女も僕を何一つ変えることは出来なかったと言うことなのだろう。
 
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愛と憎しみのオムライス

2013-08-24 00:17:27 | 即興小説トレーニング
 旦那と大喧嘩をしていた。

 切っ掛けは些細なことだったかもしれないが、日常の生活の中で一緒に暮らしている相手に対してふと感じ、じわじわと堆積していく違和感や不快感。そういった類の、普段は決して表に出てこない筈の悪感情が無駄に掻き乱されて噴出したのだ。

 まあ早い話が、お互いに虫の居所が悪かったので、大したことのない話が拗れるだけ拗れた挙げ句に様々な別件の不平不満を芋づる式に引きずり出して来た訳だが、こうなると大概、己の地雷を踏まれた相手が激昂するか、或いは地雷を踏んだ相手が逆ギレして、時には暴力沙汰を伴ったとんでもない修羅場が現出することになる。

 今回も例外ではなく、旦那が私に対して決して口にして欲しくない言葉を叩き付けてきた直後、私の視界がすうっと暗くなり。
 次の瞬間には固く何かを握りしめた私の指から鈍い手応えが腕に伝わり、眼前の旦那が赤く染まった。

 愕然とする旦那の顔を奇妙に醒めた感情で見据えながら私が考えていたのは、辺り一面に飛び散った赤い飛沫の後始末をするのが面倒くさいな、だった。

「…… お前、なんだってこんなものを」
 未だ動揺から抜け出せない旦那が呻くように呟く。
 そんなの弾み以外の何物でもないでしょうがと呆れながら、私は言い切った。
「なあに、カゴメじゃ不満だった?
 貴方がハインツを好きなのは知っているけど、アレは高いからドラッグストアの特売商品にならなきゃ買わないわよ。それともデルモンテにした方が良かったかしら」
 旦那に向けて勢いよくぶちまけたために殆ど中身が無くなったポリチューブを握りしめたまま、奇妙なほどの昂揚感と共に私は言い放ち…… ありがちだが、そこで目が覚めた。隣ではケチャップに塗れていない旦那が呑気に眠りこけていたが、夢の中で感じていたはずの憤りは既に消えていたので苛立ちは感じなかった。

 夢判断をするまでもなく自分に余裕が無くなっていること、それに恐らくは旦那に対する気遣いが薄れつつあることに気付いた私は、今は己の感情よりも優先させるべきものがあるのだと肝に銘じる。何より、諍いを起こしたときに何かを失うのは旦那だけではないのだ。

 そんなわけで本日、旦那を会社に送り出した私は遠くのドラッグストアまで足を伸ばして、特売品だったハインツのトマトケチャップを買い込んで来た。今晩の夕飯メニューは旦那の好物でありながら『子どもっぽいから恥ずかしい』と言う理由でなかなか食べる機会がないというオムライスにしようと思う。



 
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