「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        スケトウダラが毎日配給になった時代

2011-05-31 06:56:23 | Weblog
岩手県沖のスケトウダラの底引き網漁業が被災後、やっと再開されたが津波による瓦礫で漁獲はへり、価格も1キロ30円と例年の半値以下だそうだ。その原因は、スケトウダラをちくわや蒲鉾の原料としていた地元の水産業者の7割が被災して買手がなく、獲れたスケトウダラは、ほとんどタダ値同然で養殖用のエサになっているとのことだ。

戦後のあの食料難時代を体験した僕らの世代にとって、スケトウダラの名前はなつかしいし、おおげさにいえば生命の恩人でもあった。当時、NHKのラジオ番組に「配給だより」というのがあった。地域ごとに各市場の配給できる野菜や魚の入荷量を消費者に知らせる番組だったが、なぜか魚は毎日スケトウダラであった。戦前の流行歌”今日もコロッケ”をもじって”今日もスケトウダラ”と歌ったものだ。

あの時代、東京では台所から魚が消えた。あっても高嶺の花で庶民の口には入らなかった。新橋など国鉄(JR)駅前の焼け跡の闇市には、進駐軍の残飯を処理したスープなどに混じって、なぜか大振りの鰯がどこでも売られていたが、目の飛び出るような高値だったのを覚えている。

配給になったスケトウダラを、どのようにして食べたのか覚えていない。醤油やソース、食用油など手に入らなかった時代である。多分、塩焼きか塩汁にして食べたのであろう。その塩さえ、なかなか入手できなかった。あの時代に比較すれば、まだ食に関しては今は恵まれているのかもしれない。スケトウダラは養殖用のエサにまわされているのだから。