「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              警察官の犯罪と交番制度

2013-02-14 07:05:34 | Weblog
60年前同期入社した旧友から時々旧友が業界誌に寄稿した随筆「寸想」が送られてくる。”雀百まで”ではないが、若い時文筆に携わっていた僕らは幾つになっても筆をたてない。旧友は”老人閑居して不善をなさずだが、ほとんど遠出もせず、耳と目に加えてノドの調子もさえず、さんざんです、と近況を知らせてきたが、「寸想」は共感を呼び、なかなかの力作ぞろいだ。

その中の一つに旧友が駆け出し時代、新潟支局で“サツまわり”(警察担当)をしていた時の体験が紹介されていた。新潟市内の海岸で若い女性二人の心中未遂事件が発見され、旧友は他社に先駆けて現場に到着、一部始終取材して写真まで撮り特ダネだとばかり勇躍引上げようとしたところ、現場にいた警察官が”若い将来のある少女たちだ。写真を載せたり、実名の報道はやめてほしい”と懇願してきた。旧友はこの警察官の一言が胸にせまり。翌日の紙面には写真は載せず仮名で小さく報道した。

旧友はこの体験を紹介しながら昔の警察官にはこのように心の温かい人が多かったのに、今、警察官に犯罪や不祥事が多いのは何故かと疑問を投げかけている。僕らが”サツまわり”をしていた頃は進駐軍の命令で警察は戦前の”おいコラ”式から、市民に開かれた警察に脱皮しようという時代だった。そのためかお巡りさんはつとめて市民と接し、今より身近な存在だったような気がする。その反面、今のように現職の警察官が殺人事件を起こすようなことは到底考えられなかった。

僕は最近警察官に犯罪が多いのは、日本が誇りにしていた交番制度が機能していないからだと思っている。交番勤務は若いおまわりさんにとって直接社会を知る機会であり勉強の場になっていた。警察本署や機動隊勤務では、あまり社会との接点がないので、自分たちだけの世界に閉じこもってしまう。これが警察官が本来の使命を忘れ不祥事に走る原因になっていなければよいのだが。