昨日17日、戦争中米軍が落としたとみられる爆弾の不発弾処理が浜松と神戸で行われた。浜松のJR東海工場で発見された不発弾の撤去作業には付近の住民3800世帯が避難、近くを通る新幹線上下32本が最大1時間もストップした。一方、神戸市東灘区のマンション建設現場で見つかった長さ1.2㍍、250㌔の不発弾処理では1千人が避難した。
このところ日本各地で自衛隊による不発弾処理が続いている。昨年12月には茨城県日立市で、今年2月3日には大阪市北区でそれぞれ発見され無事処理されているが、2月24日には八尾市でも撤去作業が実施される。ここへきて急に不発弾が増えたとは思わないが、改めて米軍による空襲や艦砲射撃の激しさを思いしらされる。
浜松市は軍の飛行場や軍需工場が集中していたこともあって、空襲回数は日本一とといわれ、戦争末期には艦砲射撃まで受けている。空襲初期の1月13日の記録ではB-29、1機だけの空襲で613発の焼夷弾が落とされている。日本全土では200以上の都市が空襲を受け、この無差別攻撃で33万が死亡、被災人口は900万人、日本全体の2割が被災している。
戦争が終わって68年、この空襲を体験した世代も少なくなってきた。幸い僕は東京に住んでいたが家は焼けなかった。しかし、落ちてきた焼夷弾の破片を火叩きで消したり、艦載機による機銃掃射を受けたことがる。テレビで不発弾処理で避難した人の大半は戦争を知らない人たちである。半世紀以上の出来事に当惑気味に見受けたが、不発弾の処理はいろんな意味で平和ボケした日本人への警鐘である。大地震によって不発弾が爆発するとも限らない。
このところ日本各地で自衛隊による不発弾処理が続いている。昨年12月には茨城県日立市で、今年2月3日には大阪市北区でそれぞれ発見され無事処理されているが、2月24日には八尾市でも撤去作業が実施される。ここへきて急に不発弾が増えたとは思わないが、改めて米軍による空襲や艦砲射撃の激しさを思いしらされる。
浜松市は軍の飛行場や軍需工場が集中していたこともあって、空襲回数は日本一とといわれ、戦争末期には艦砲射撃まで受けている。空襲初期の1月13日の記録ではB-29、1機だけの空襲で613発の焼夷弾が落とされている。日本全土では200以上の都市が空襲を受け、この無差別攻撃で33万が死亡、被災人口は900万人、日本全体の2割が被災している。
戦争が終わって68年、この空襲を体験した世代も少なくなってきた。幸い僕は東京に住んでいたが家は焼けなかった。しかし、落ちてきた焼夷弾の破片を火叩きで消したり、艦載機による機銃掃射を受けたことがる。テレビで不発弾処理で避難した人の大半は戦争を知らない人たちである。半世紀以上の出来事に当惑気味に見受けたが、不発弾の処理はいろんな意味で平和ボケした日本人への警鐘である。大地震によって不発弾が爆発するとも限らない。