「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

終活への一里塚 介護入院への道

2018-09-09 11:32:09 | 2012・1・1
昨日、1週間の退院生活をを終え退院した。自慢でもないが、僕にとっては11回目の入院、最後の入院から2年半月ぶりだったが、救急車による入院ということもあって色々考えさせられた。その第一は加齢による心身の”雪ダルマ”的な衰えだ。これまで、あまり人生の”終活”など真剣に考えたことなどなかったが、終日点滴の病室で天井をながめながら、自分の行く末に思いをはせた。

僕は膀胱がん4回、大腸がん2回、左膝の人工関節置換など大きな手術をしている割には元気で、要介護1、身障者手帳5を頂いてはいるが、日常的には自分のことは自分でできていた。しかし、今回の入院では、トイレに行くににも、いちいちナースコールのボタンを押して、車イスでお世話になる始末。今回入院した国立医療センター(東京)は、フランスの人間的な愛を介護哲学「ユマニチュートを」提唱している医療施設であり、関係者は患者に特に親切だった。

しかし、問題はいくつかあった。患者の僕だけでなく、介護にあたる老妻も共に同じように老い、残暑の中、僕の着替えの衣類を家から持参するのはきつくなってきた。初めて僕は病院のレンタルの病室着の世話になり、生れてはじめて紙のパンツを買った。病室の中には、小さな流しがあり、患者はここで洗顔したりするのだが、こんなことまで、ナースボタンを押すわけにはゆかない遠慮がある。フランスの愛の介護哲学もこまでは至らない。7日間同室の患者の発する大きなため息と奇声に、僕は悩ま洗顔続けられた。出来れば在宅介護で”あらまほしき”ものだ。