胆振東部地震の発生で厚真苫東火力発電所が被害を受け、北海道の電力事情が逼迫、政府は道内全域に対し2割節電を要請した。北海道では全道の4割を賄っていた泊原発1-3号機がすべて3.11震災の後、定期検査中のため、道内最大の火力発電所とはいえ、苫東発電所の地震による破壊が、道内全体の電力事情に影響してきた。世耕弘成経済大臣の節電背景説明を聞いて、素人の僕は僕なりに理解した。
想い出すのは3.11大震災から2日後の3月13日深夜、当時の民主党菅直人内閣は、突然、東京電力の「計画節電」を発表、14日早朝、枝野幸男官房長官から発表になった。「計画節電」とうたいながら、全く無計画で15日の小ブログは”首都圏を無政府常態に責任”という題で、首都圏の交通が混乱し、政府が発表した輪番性の停電に引っ張りまわされた。
昔、北海道在勤中の1979年、第二次オイル.ショック後、政府の通達で節電が申しわたされ、勤めていたテレビ局でも深夜放送が中止となった。どれだけ効果があったかどうかは知らない。今回の政府の2割節電呼びかけが、苫東火力発電所の修復までの一時的なものな納品なか。それとも泊原発の稼働を諦めたうえでの決定なのか分からない。
田中角栄首相の列島改革計画の申し子みたいな苫東開発である。その成否については意見の別れるところだが、北海道の未来については、今回の胆振東部地震は色々考えさせる機会を与えてくれた。菅直人内閣は、あわてふためいて、電力には素人の連舫氏をパーフォーマンス人事として起用したのも想い出される。
想い出すのは3.11大震災から2日後の3月13日深夜、当時の民主党菅直人内閣は、突然、東京電力の「計画節電」を発表、14日早朝、枝野幸男官房長官から発表になった。「計画節電」とうたいながら、全く無計画で15日の小ブログは”首都圏を無政府常態に責任”という題で、首都圏の交通が混乱し、政府が発表した輪番性の停電に引っ張りまわされた。
昔、北海道在勤中の1979年、第二次オイル.ショック後、政府の通達で節電が申しわたされ、勤めていたテレビ局でも深夜放送が中止となった。どれだけ効果があったかどうかは知らない。今回の政府の2割節電呼びかけが、苫東火力発電所の修復までの一時的なものな納品なか。それとも泊原発の稼働を諦めたうえでの決定なのか分からない。
田中角栄首相の列島改革計画の申し子みたいな苫東開発である。その成否については意見の別れるところだが、北海道の未来については、今回の胆振東部地震は色々考えさせる機会を与えてくれた。菅直人内閣は、あわてふためいて、電力には素人の連舫氏をパーフォーマンス人事として起用したのも想い出される。