南半球オセオニアの最大の都市だが、歴史は新しく1788年、英国の植民地時代、本国.から連行された囚人によって築かれた。が、今は人口400万人、世界各地からの移民の国際都市だ。筆者は半世紀ほど前の1973年,観光で2日滞在しただけで文字通り、のぞき見にすぎない。記憶にあるのはシドニー湾にかかるハーバー.ブリッジと特異な形をしたオペラハウスを遠望しただけだ。
残念なのはこの地にも先の戦争の傷跡があり調査したかったが、時間がなかったことだ。緒戦の昭和17年5月31日、旧海軍は勝利の勢いに乗って遠くシドニーまで攻撃していた。トラック島基地から発信した伊号潜水艦団はシドニー湾内にまで侵入、搭載していた有人特殊潜航艇3隻を発射した。この結果湾内の連合軍船舶に損害を与えたが、潜航艇の乗員9人も生還できなかった。
首都キャンベラの軍事博物館には海中から引き揚げられた潜航艇が展示されている。攻撃のあった5月31日にはシドニーのォ-ストラリア軍基地で毎年日豪の犠牲者追悼式が行わrている。