福島県東部、会津地方の中心都市人口、13万人。筆者は昭和44年から46年にかけて月に1回ほど仕事で会津若松市を訪れた。UHF局の民放開局当時で視聴するためのコンバーター普及とスポンサーの開拓で、本社の郡山から1泊泊りで出張した。
会津若松といえばやはり町の中心部にある鶴ケ城と戊申の役で町の火を遠くにみながら自刃した白虎隊の悲話である。仕事の合間をみて筆者は歴史の跡を観光したが、一方では先の戦争で戦火に合わなかった城下町を駆けずりまわったが、それが筆者には楽しかった。造り酒屋の蔵、漆細工の店、由緒ある和菓子店などなど。
ビジネスホテルなどない時代であった。七日町駅近くの商人宿に泊まり雪のしんしんと降る夜、熱燗の美酒の杯を傾け、語尾のきれいな会津弁の女将の昔話を聞いた。そのあと食べたワッパ飯やニシン蕎麦の美味だったこと。もう半世紀も前の話だ。