東北地方唯一つの人口100万人を超す政令指定都市だが、筆者が初めて仙台を訪れたのは昭和49年(1974年)には市内に本格的なホテルは一つしかなく、満杯のため広瀬川沿いの日本旅館に泊まった。一世を風靡した、さとう宗幸の「青葉城恋歌」以前のことだ。
昭和57年7月、筆者はJICA(国際開発事業)の研修事業の仕事で、都心の青葉通りに面するビジネスホテルに泊まったが,欅(けやき)の街路樹の緑濃く、夏の陽を遮って文字通り「杜の都」であった。その時のにわか勉強で,欅並木は400年も前仙台藩の藩祖、伊達政宗が植林した由緒あるものだが、昭和20年7月の大空襲で一度は破壊されたが、戦後の復興計画で元に戻ったのを知った。
青葉山にある仙台城へは何回か出かけた。仙台城というより青葉城の名前で知られているが、慶長年間に伊達政宗が築城したが、先の戦争中の大空襲でも破壊されたのをはじめ過去の戦乱、地震災害で破壊され完全な姿では残っていない。しかし、「仙台城址」として国の史跡に指定され、歴史を語る博物館もある。
仙台名物といえば最近は牛タンのようだが、古い世代の筆者は昔からの「仙台駄菓子」や「笹かまぼこ」である。歴史ある大藩の城下町だけに名産だ。