「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         インドネシア.マルク州の慰安婦

2012-08-21 05:25:02 | Weblog
先日の小ブログ「先人を偲びインドネシア独立式典に参加」に対して未知の方からコメントを頂戴した。インドネシアのマルク州に住んでいる方のようで、戦争中同地にあった日本軍の慰安所についてどう思うかという内容であった。直接独立式典には関係していないし、マルク州の慰安婦について、それほど知識を持ち合わせていないので、すぐにでのコメントは控えさせて貰っていた。

マルク州とは戦争中、日本軍関係者の間ではオーストラリアの北部という意味で豪北と呼ばれていた。その中心はアンボンという小さな島だが、ここに海軍第25軍根拠地隊が駐屯していた。一方、他のマルク(モルッカ)諸島には陸軍第5師団隷下の部隊が守りについていた。先日東京のインドネシア大使館の独立式典に参加された今沢栄三郎さん(98)は、このうちの一つ、セラム島の給水部隊に所属していた。

今沢さんは言下に”セラム島には慰安婦はいなかった”と言い切った。前に小ブログでも書いたが、司令部から”慰安所か饅頭かどちらがよい”との問い合わせに対して、全員”饅頭”と回答した。それほど兵士は飢えに苦しんでいた。今沢さんはアンボンには短い月日しかいなかったが、アンボンには慰安所がいくつかあった、と次のように証言した。

アンボンには一時海軍の第2南西艦隊司令部が置かれたほど豪北の守りの中心だった。それだけに、変な言い方だが慰安所の数も多かったが、昭和19年9月、戦争の激化とともに日本から来ていた慰安婦は全員帰国させた。その代替として現地人女性が働き始めたが、海軍の特別警察隊(憲兵)の出先の中には強制的に女性を集めようとした。これに対してアンボンに従軍牧師としていた加藤亮一氏(故人)が強く反対し、阻止した話が「東南アジア文化協会」の機関誌に載っている。アンボンはキリスト教徒が多いため加藤氏は従軍していた。戦後帰国した加藤牧師は東京池袋に「東南アジア文化協会」を立ち上げ、戦地で日本人と現地女性との間に生まれた子供を日本に呼び教育していた。前記、現地女性の強制連行阻止の話は、同協会の現理事長、大野克己氏の原稿の中にも出てくる有名な話だ。

戦後生まれの世代には、いわゆる「従軍慰安婦」の実態が誤解されている。ぜひ「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著 新潮新書 1999年)を一読されることを望みます)

        親日国の輪を大切に 泰緬鉄道復活に思う

2012-08-20 07:08:57 | Weblog
先日NHKのテレビを見ていたら戦争中日本軍によって建設されたタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道の現在廃線となっている部分を復活させようという案が浮上しているという。昭和17年、日本軍の鉄道第九連隊が軍事目的に建設し、わずか1年余りで完成し、運用を始めた。しかし、極悪の条件下、食糧不足もあって徴用していた連合軍捕虜を中心にコレラ、マラリアが流行して多数の犠牲者が出た。このため、戦後、泰緬鉄道は映画「戦場にかける橋」もあって、日本軍の残酷さだけが強調されてきたきらいがある。

現在、この泰緬鉄道はタイ国内のムントク駅からナムトックサイヨークノイ駅までが主として観光目的に利用されているが、両国国境付近とミャンマー国内の路線は廃線となっている。しかし、タイ、ミャンマー両国にとって、この路線の復活は物資の流通面で大きな経済的効果がある。とくに最近、軍事国家からの脱皮を図っているミャンマーにとってその効果は大きい。

半世紀ほど前、ミャンマーがビルマと呼ばれていた時代の日本とビルマとの関係は緊密だった。両国間の賠償協定、技術協力協定もあって岸、池田、佐藤歴代の総理はビルマを訪問している。ビルマだけではなく、現在はアセアンで結ばれているラオス、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどの各地を頻繁に歴訪していた感じがする。このところ、近隣諸国で領土問題をめぐって反日運動が起きているが、おしなべていえば、これらの国々は親日国である。

8月17日東京で行われたインドネシア独立記念日式典に福田康夫元総理(日本インドネシア協会会長)が早朝8時からの式典なのに参加した。インドネシアはBBCの調査によると、アセアン諸国の中で最大の親日国である。昭和50年代、僕はJICAの技術研修でビルマ人研修員10名を連れて半月ほど日本国内を旅行したことがあるが、小さな体験だが彼らが親日的なのに驚いた。今回の泰緬鉄道復活の話をしって鉄道を建設した国としてなにか協力できないものかと思った。親日国家の輪を大切にしたいものだ。(写真は駐日インドネシア大使と懇談する福田元総理)

           三日間かかってアルバム整理

2012-08-19 06:40:26 | Weblog
2006年からパソコンのお世話になっているが、今回初めてウイルスの侵入を受けてダウンし、まる6日間、パソコンなしの生活を送った。長い間、生活の一部みたいになっていたためか、パソコンがないと空虚で、なにか生活に穴が空いてしまったような感じがした。習慣とは恐ろしいものだ

根が貧乏根性なのだろう。何かしていないと退屈でたまらない。パソコンから解放された暇な時間を何に使おうと考えたあげくここ数年懸案にしていたアルバムの整理を考えついた。80年を超える人生である。アルバムが8冊それに簡易アルバムに収めた紙箱が20冊もある。3日間小さな部屋に閉じこもり扇風機を背にして整理に取り組んだ。すでに二つのごみ袋にいっぱいの写真を捨てたが、まだ完全には整理できていない。

僕が格別写真が多いのには幾つか理由がある。一つは戦前昭和の時代、まだカメラがそれほど普及していなかった頃、わが家にパーレットという蛇腹のついた写真機があり,他家に比べればスナップ写真が多いことだ。二つ目の理由は、海外旅行の回数が一般の人に比べて多いことだ。1962年(昭和37年)初めて欧州と中近東を仕事で訪れてから昨年11月のインドネシア旅行まで、回数にして50数回、訪問国は19か国に及び、そのつど写真を撮ってきている。最後に最大の理由は1983年から約10年間、JICAの研修監理員(嘱託)として、研修員に同行して全国各地へ旅行し、カメラに収めているからだ。
 
戦争が激しくなった昭和18年頃から、もののなかった戦後の20年代までの写真はすくない。40年代の初め、だれでもが簡単に撮影できる”バカチョン”カメラが出現してから、僕のアルバムも増えてきている。人生の終末期に近づき、自分にとって想い出の大切な写真ばかりだが、子供や孫にとってはあまり意味がない。まず捨てる基準として、あまり後世にとって歴史的に意味のない自分のスナップ写真や集合写真を選んだ。中には後世重要なものがあるかもしれないが仕方がない。


        先人を偲びインドネシア独立式典に参加

2012-08-18 11:25:29 | Weblog
スカルノからスハルトへのインドネシア政治の激動期に駐ジャカルタ大使だった斉藤鎮男氏(故人)は先の戦争中ジャワの第十六軍政監部の政務班長であった。当時のことを書いた斉藤氏の「私の軍政記」(日本インドネシア協会 昭和53年)の中で、67年前のインドネシア独立時のことを次のように書いている。「待望のとき、とうもろこしの花の咲くとき、8月17日の午前10時がやってきた。スカルノ邸前庭にスカルノ、ハッタ、イワ.クスマなどの指導者,ラティフ義勇軍中尉など老若男女が続々と集まってきた」

昨日8月17日は第67回目のインドネシア独立記念日であった。これを祝って東京でも式典が午前8時から目黒の大使公邸庭で催された。例年のように僕も招かれて参加した。斉藤氏は独立宣言は午前10時と書いているが、日本の軍政下では東京時間を採用しており、実際のジャカルタ時間は午前8時であった。そこで日本の大使館主催の式典も8時に始まる。

斉藤鎮男氏は実際には67年前の独立宣言には立ち会っていないが「私の軍政記」の中で、独立宣言当日の模様を関係者から聞いて詳細に記述しているが、毎年ジャカルタをはじめ各地で行われる独立式典は、この独立宣言当日を模して行われている。この式典は僕ら戦争中のことを多少知っている者にとっては、今では日本では見られなくなった国旗掲揚式、昔式の軍隊の敬礼、気を付け、休めがそのまま残っており、変なところでノスタルジアを感じた。

戦争中インドネシアに従軍した世代の参加は毎年少なくなり、今年は98歳の今沢栄三郎氏と92歳の山下信一氏の二人であった。僕は戦後派だが、前記、斉藤鎮男氏をはじめ直接、独立宣言起草に立ち会った海軍武官府の西嶋重忠氏(故人)とも生前親しくおつきあいさせて頂いており、独立式典の日には戦時中インドネシアの各地で散華された人たちともども先人を偲ぶ日にしている。

            おかしなフジテレビの竹島報道視点

2012-08-11 06:36:48 | Weblog
フジテレビ系列(FNN)の昨夕の「スーパーニュース」を見ていたら、李明博大統領の竹島上陸の関連報道の中でおかしなアングルからニュースをとらえていた。ロンドン五輪の男子サッカーと女子バレーボールがたまたま銅メダルをめぐる戦いになるのを紹介していた。スポーツファンならだれでも知っていることだ。それが李大統領の竹島上陸となにが関係があるというのだ。

ネット情報によると、昨年8月以来、東京お台場のフジテレビに対して、同局の「偏韓流」番組編成に対して定期的なデモが行われているそうだ。「フジ.サンケイ」グループの本陣であり、同局が特に韓国に媚びているとは思えない。商売上手のフジテレビのことだから安い韓国のドラマを買ってきて無節操に放送しているにすぎない。

李大統領がこの時期に竹島を訪れたのは、ロンドン五輪でサッカーとバレーボールで日韓直接対決があり、いずれも韓国が勝利する確率が高いのを知り、これに賭けたという、うがった見方がある。竹島訪問と五輪の勝利によって一挙に国威を向上させ、12月の大統領選挙の勝利に結びつけたいというのである。

残念ながら男子サッカーは善戦むなしく韓国の勝利に終わった。女子バレーはどうだろうか。かりに韓国が勝っても落胆することはない。負け惜しみではなく、スポーツはあくまでスポーツである。問題は外交である。未来志向をうたった韓国が一方的にこれを破棄した行動にでている。フジテレビは大局的見地にたって”韓流ドラマ”の放送を中止すべきだ。テレビ局はステーションイメージによって視聴率が上下して経営にも影響してくる。このところのフジテレビの視聴率低下は「偏韓流」からきているように思う。

         対韓外交 冷静にクレーバーな対応を

2012-08-11 05:18:11 | Weblog
韓国の李明博大統領が昨日、無法にもわが国の領土である島根県隠岐の島町竹島に上陸した。いったい野田民主党政権の外交はどうなっているのか。7月にはロシアのメドベージェフ首相が北方領土の国後島を視察している。冗談ではなく、次は尖閣諸島へ中国指導者が上陸してくるのではないかと心配だ。

竹島は日韓併合によって日本の領土になったのではない。それ以前からわが国の領土であった証拠は数多くある。韓国が自国の領土と主張するのは戦後の昭和27年、当時の李承晩大統領が戦後のドサクサにまぎれて一方的な漁業領域(李ライン)を設定、この海域から外国漁船を閉め出した。そして、このライン内にある竹島を実効支配するため島内に灯台を設置、守備隊を置いた、それ以来である。この李ライン内には対馬も入っていた。昭和40年、日韓基本条約が締結され、李ラインが撤廃されるなでの13年間に、日本人3,972人のが逮捕され抑留されている。

日韓関係は冷却していた蘆武鉱大統領時代をへて李明博に入り新時代に入ったと思われた。昨年12月の首脳会談でも未来志向による友好関係が確認されたばかりである。日本では2004年の「冬のソナタ」以来、”韓流ブーム”が起こり、韓国への観光は空前のブーム。BSテレビのチャンネルではいつもどこかで韓国ドラマをやっている。これに対して韓国側は逆である。場所もあろうにソウルの日本大使館前に”従軍慰安婦”の像を建て、さらに今度の愚擧である。

民主党政権の”ことなかれ主義”が、日本の外交の危機を招いている。事が起こると”遺憾の意”を表明し、相手国の大使を呼んで抗議をする。これだけでは相手国に”なめられる”のは当たり前だ。いたずらに感情的になる必要はないが、もっと強硬なクレーバーな外交で相手国に対応すべきである。

          希望がなかった67年前のあの頃

2012-08-10 06:31:22 | Weblog
早朝、なでしこジャパンの決勝戦をテレビでみた。どちらが勝ってもよい好試合だったが、残念ながら銀に終わってしまった。金を期待していただけに残念だが、選手たちは一生懸命プレーしていた。お互いの肩に手を置き、表彰式場に入ってくる選手たちの姿には戦いに負けた悲壮感はなかった。むしろ、全力を出しきって戦った選手たちである。皆、顔には喜びがあふれ、それが見る側の僕らにとっても救いであった。

テレビのカメラが勝利した米国側の応援席を映していたが、その中に僕は「We have hope」というプラカードを見つけた。どういう意味なのだろうか。日本的に解釈すれば”勝利へ希望はある”つまり、金メダルへの希望を失っていない、ということになる。もしかすると、米国人の中には、日本の勝利が確定的な中でも勝利への望みはあると思っていたのかもしれない。

変な連想だが、毎年終戦記念日のこの頃になると、当時を想い出す。中学3年生だった僕は、最初の動員先の工場が空襲で焼け、次いで千葉県の利根川運河の拡張工事に従事していたが、これも終わり”動員浪人”みたいに多摩川べりの軍需工場で働いていた。電力不足から工場へ出かけても旋盤機械は動かなかった。することがなく、多摩川の土手の食べられそうな雑草摘みをしていた。沖縄戦は敗北し、僕ら子供でも戦況が厳しいことはなんとはなく判っていた。将来への希望などなかった。それでも、心のどこかに元寇の時のように神風が最後には吹き戦争は勝つと信じていた。

なでしこジャパンは負けても、国民は納得できるが、67年前の敗戦は国を挙げて戦ったのに悲惨の結果であった。



    ”八方美人”野田総理の”八方ふさがり”打開へのカケ

2012-08-09 04:34:22 | Weblog
消費増税関連法案の成立をめぐって野田総理の退陣の確約を得たいとする自民党の谷垣総裁と野田総理との党首会談は、結局、退陣の時期を”近い将来”から”近いうちに”と表現を変えるだけで意見の一致をみた。公明党の山口代表もこれに合意したので、法案は早ければ10日中には成立する。これによって、自民党が要求していた内閣不信任案や首相問責決議案の提出は見送られる。野田総理にとって一応危機は回避できたが、これで大勢の”離党予備軍”を抱える党内をまとめることが出来るのだろうか。

野田総理は前から”八方美人”的なところがある。”八方美人”とは「だれからもよく思われるよう相手に会わせて自分の意見や態度を無節操に変え、何事によらず人と対抗しなくなるようにする”(三省堂慣用句辞典)である。昨日の自公野党党首との合意は、野田総理の”八方美人”的政治の一片なのだろうか。僕はそうとは思わない。野田総理に敬意を表して、総理は相当な決意をもって、この合意に達したものと思う。

だけど、野田総理にとって今の政局はまさに”八方塞がり”である。上記慣用句辞典によると、”八方塞がり”とは「どの方角に向かって事を行っても不吉な結果を招く状態。行き詰まりを打開しようとしても種々の障害に妨げられてどうにもならなく、動きが取れない状態」と定義されている。政治生命をかけた野田総理は、この”八方塞がり”を打開するには、ぎりぎり、解散の時期を”近いうちに”という表現で、野党の了解をとりつけなければならなかった。民主党内の”離党予備軍”との決別を覚悟しての決断、カケと僕はみる。消費増税関連法案成立則国会解散、総選挙とみるが、どうだろうか。公約違反の民主党である。国の政治にとって解散、総選挙は早いほうがよい。