「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            立秋すぎてやっと蝉の鳴き声

2012-08-08 06:59:11 | Weblog
昨6日は暦の上では立秋だが、東京では連日猛暑が続いている。深夜の五輪放送ボケで今朝は7時過ぎに起きたが、遠くで今夏始めてミンミン蝉の鳴き声を聞いた。ここ数年、わが家近くでは毎年、蝉の鳴き声の聞こえるのが遅くなっている。昨年の日記を調べると8月1日であったから、今年はさらに遅くなっている。何か気象と関係があるのだろうか。

昭和10年代の始め、子供だった頃、僕は東京の目黒川沿いの五反田に住んでいたが、蝉の鳴き声によって季節の移り変わりが判った。夏休みが始まる前後にまずニイ二イ蝉の鳴き声が聞こえ、ついでアブラ蝉の合唱がは始まった。羽の透き通ったミンミン蝉やツクツクボウシ(オーヒツクと呼んでいたが)は、わが家の近くには少なく、高台の皇后陛下の実家のあった池田山まで遠征したが、8月中旬だった記憶がする。ヒグラシ蝉はほとんど聞いたことがなかった。

ここ十数年、僕はニイ二イ蝉の鳴き声を聞いたことがない。東京では絶滅したのかもしれない。蝉の鳴き声の順番も昔のようではなくなってきた。アブラ蝉とミンミン蝉、ツクツクボーシがほとんど同時にきこえるようになった。それより、昔は僕ら少年にとって希少価値だったミンミン蝉の鳴き声が人家の近くでも聞けるようになった。

昔は麦わら帽子に竹竿、虫かごを持った少年の姿は夏休みの風物詩だったが、最近は見られなくなった。蝉が鳴いていてもトンボが飛んでいても今の子供たちはあまり興味を示さない。まさか母親たちが放射能を心配して外で遊ぶことを禁じているとは思えない。昔も熱中症ならぬ日射病はあったが、炎天下、モチ竿をもってかけずりまわることが出来たた僕らは、思えば幸せな少年時代だった。

        ”黒い雨”の真実と米国の占領政策

2012-08-07 06:09:22 | Weblog
広島原爆忌の昨日、夜8時からNHKテレビで放送されたスぺシアル番組「黒い雨67回目の真実」を見た。広島に原発が投下された昭和20年8月6日の直後、市の北西部を中心に”黒い雨”が降ったことは、よく知られている。”黒い雨”は原爆炸裂時に空中に拡散したゴミ,ホコリ、チリなどが放射性降下物だが、当時の人はそんな事とは知らず、まったく無防備にこれを浴びていた。

”黒い雨”が一般に知られるようになったのは戦後昭和41年、作家の井伏鱒二が被爆体験者の日記をもとに作品「黒い雨」を発表、これが映画化されてからだ。しかし、その実態や被爆者への健康への影響はほとんど明らかにされていなかった。ところがNHKのスぺシアル番組によると、米国のABCCは放射線影響研究所)は”黒い雨”について当時調査していて、その分布図まであり、1万3千人が影響を受けたと推定していた。このことは、今まで知られなかったが、昨年暮、長崎の研究者の問合せによって明らかになった。

広島の平和記念式典は昭和22年から始まっているが、当時、米国の代表的写真雑誌「ライフ」は”まるで南部の未開地のカーニバルだ”と酷評している。当時の米国人の考え方は原爆によって戦争が終わった、というが一般的な認識で、原爆被害の実態については、詳しく知らされておらず、反省も同情もなかった。しかし、一方では原爆の被害の全容が日本人の間に広がることへの占領政策への影響を恐れていた。自らの被爆体験をもとに原爆投下直後の広島の悲惨さを描いた太田洋子の「屍の街」は、3か月で作家は作品を書き上げたが、出版されたのは昭和24年になってからで、GHQ(連合軍司令部)の検閲の影響があったといわれる。

”黒い雨”の健康被害への影響はどうなのか、被爆者の平均年齢が78歳という今、調査は困難だが、福島原発事故との関連もある。関係者により出来るだけの調査を期待したい。

             東京にタクシーが走って百年

2012-08-06 06:01:38 | Weblog
タクシーの車内にあったパンフによると、東京の数寄屋橋に最初のタクシー会社が出来て今年で百年だという。百年前の大正元年(1912年)8月5日、6台のT型フォード車で営業を開始したのが東京でタクシーが走った始まりだそうだ。現役を卒業してすでに20年余、最近はすっかりタクシーのお世話になることが少なくなったが、色々と想い出がある。

僕が母親や叔母に連れられて最初にタクシーに乗った記憶は昭和11年、五反田駅から品川の荒神さまの春の祭礼に出かけた時だ。当時タクシーは”円タク”と呼ばれ、東京市内はどこへ行っても1円という制度だったが、母親たちは運転手と交渉して1円以下で乗った気がする。距離が短い時は例外だったのだろう。タクシーは皆黒塗りの箱型の輸入車で、後部座席には向かい合う形の補助席があった。運転手のほかに助手が乗っていた記憶があるがはっきりしない。後年、昭和37年、初めてロンドンに出かけたとき、幼児の時乗った同じ車種のタクシーが走っていて懐かしかった。

戦争が激しくなりかけた昭和17年秋、小学生だった僕は学校の参宮旅行で伊勢を訪れたが、何故か駅前のタクシーがすべて木炭車だったり、タクシーのボディを馬が引っ張っていたのを覚えている。しかし、まもなく、この木炭車のタクシーも日本全国から姿を消してしまった。戦後タクシーが復活したのはいつ頃からか、はっきりしないが、25,6年頃ではなかっただろうか。輸入したフォルクスワーゲンやルノーなどが走っていた。

国産車が本格的にタクシーに登場したのは30年代になってからで、それとともに”神風タクシー”とか”雲助タクシー”などといった好ましくない汚名も聞かれた。高度経済成長期の頃だ。しかし、最近は不況のためか、サービスもよくなってきて、近距離でも乗車拒否にあったことはない。

         金メダルが獲れない 日本選手の活躍

2012-08-05 05:34:55 | Weblog
ロンドン五輪の日本選手の連日の活躍は目覚ましい。9日目を終えた時点でメダルの獲得数は金2、銀10、銅12計24個と、すでに前回北京の26(金9、銀6、銅11計26)に迫る勢いで、開催国であった1964年の東京五輪の金16、銀5、銅8計28を越えて史上一も夢ではない。ただ残念なのは、今のところ金メダルが少ないことだ。

何故金メダルが少ないのか?勝負は時の運で、ケチをつける気持ちはないが、先年、民主党の蓮舫議員が行政刷新会議で次世代スーパーコンピューター仕分けののさい言った”世界一になる理由があるのですか?二位ではダメなのですか”という言葉が思い出される。まさか日本選手団の気持ちの中に蓮舫さんのような気持ちがあるとは思えないのだがー。

国際スポーツ大会で金メダルが獲れなくなったのは、今回のロンドンだけではない。2006年12月のドーハで行われたアジア大会でもそうだった。金メダルの数は中国、韓国についで三位、期待された野球、女子サッカーもすべて銀メダル。小ブログ(12月16日)は”日本チームは銀メダルがお好き”と揶揄して書いている。

今回のロンドン五輪で金メダルが少ない原因の一つは柔道の不振だ。前回の北京では三つ、アテネ大会では八個も獲っている。お家芸の柔道で優勝できなくなったのはなぜなのか。詳しい技術的なことは判らないが、素人の僕が見てもガッツが不足しているように見える。ドーハのアジア大会について小ブログは”現代っ子は、ここ一番の勝負に弱いようだ”と書いている。後半に入って、あといくつメダルは獲れるだろうか。明石の水族館のタコ君のメダル予想は25個だそうだが、これは突破しそうだ。

            ”ホーム.ドクター”を変えてみた

2012-08-04 05:19:47 | Weblog
昨日、思い切って”ホームドクター”を変えてみた。その直接の原因は、病院の看護婦の言動にある。この病院では、何故か血圧測定を看護婦が待合室に出向いて行う。暑い日だったので僕がサングラスをとるのを忘れていたところ、それを取ってくれという。サングラスが測定に支障があるとは思えないが、すなおに僕ははずした。かって、僕がこの看護婦の老人への言動がおかしいので注意したことに対するどうも腹いせみたいだ。大人気ないが、僕は途端にその病院にかかりたくなくなった。

僕が血圧が高くなり、常時降圧剤のお世話になってから、数えてみたらもう30数年になる。その間、5回の引越しがあって、そのつど”ホームドクター”が変わっている。高齢になると、できれば自分の身体について、よく知っている一人のお医者さんにお世話になりたいものだが、今回のようなケースもある。年寄りはわがままである。病院関係者の参考になればである。

新しい”ホームドクター”選び第一条件として、僕は老妻と話し合って歩いて行けるところにした。数年来、ひざが悪く遠方へ行くのが面倒になってきている。幸い、この条件に合った病院が近くにあった。しかも内科だけでなく整形外科も併設している。昭和30年代、僕らが新婚時代、この病院に何回かお世話になっていたことを思い出した。40年代から50年代にかけての地方転勤や引っ越しで、すっかりご無沙汰していた。院長は当時の先生の孫の代になっていた。

セカンドオピニオンの効用である。新しい”ホームドクター”は、僕が持参した前の病院のデーターを見て、数値から見て薬が多すぎると減らしてくれた。窓口負担3割の僕にとっては大歓迎だ。前の”ホームドクター”は自身が経営者だったが、新しい先生は病院の”雇われ”先生である。多分その違いであろう。


         野田総理は反原発デモ団体と会うな

2012-08-03 05:02:39 | Weblog
菅直人前総理の仲介で野田佳彦が毎週金曜日官邸前で反原発デモをやっている市民団体の代表と会う予定であるという。民主党の過去の二人の総理は一体何を考えているのだろうか?鳩山由紀夫元総理はデモに参加してデモ隊を激励した。今度は菅前総理まで出てきて、デモ隊との仲立ちまで申し入れている。菅前総理は退陣に当たり”若い世代に道を譲る”と言ったと記憶している。それより、二人とも自分たちの政権時の失政についてまったく反省がない。口を出す資格はないと思うのだが。

8月5日の日曜日、沖縄では宜野湾海浜公園で10万人が集まってオスプレイ配備反対県民集会が開かれる。この集会に呼応して東京、大阪など各地でも集会やデモが予定されている。3日の金曜日に予定の反原発市民団体のHPにも”原発も基地もいらない”というスローガンで20万人で国会を包囲しようと呼びかけている。脱原発とオスプレイ配備とどう直接関係があるのか。金曜日のデモ主催団体が目指しているのは、純粋な脱原発ではなくて、その名前を借りた政治運動である。

野田総理がいつ反原発運動の代表と会い、なにを語るのかは知らない。会うべきではないのだが、かりに会う場合、例えば官邸前デモがエスカレートして収拾つかなくった事態になって会うのか。それとも沖縄の反基地集会で不測の事態が発生したため会うのか。その会う時期の判断は難しい。デモの主催者は、参加者の数によって政府に圧力をかけようとしている。2007年の同じ宜野湾集会で、朝日新聞が主催者団体発表の数字を鵜吞みにして誇大報道したことがあった。マスコミも冷静な目で、反原発デモを報道すべきであって、デモを扇動してはならない。勿論、野田総理は政治的に利用されてはならない。

          浅草六区から映画館がなくなる

2012-08-02 05:22:45 | Weblog
日本の映画館発祥の地、東京の浅草六区から、この秋、今ある映画館五つが入っているビルが再開発で壊され伝統の灯が消されることになる。戦前六区といえば、ひょうたん池のまわりに数十軒の映画館や芝居小屋があって、休日には人人の波で動きがとれぬほどの賑わいを見せていた。僕も子供ながらそれを自分の目で見ている。戦後も昭和30年、新聞社の駆け出し記者として浅草警察を担当した時代でも、ロック座、フランス座などストリップが全盛で劇場前には長い列が出来ていた。

六区は浅草の観音様の裏手に当たり、明治時代に入って庶民の歓楽街として開発された地区だが、浅草田圃という言葉があったほど江戸時代はまだ農村だった。吉原遊郭も元はと言えば「葦」が茂る低地で、落語などには遊客が隅田川から小舟に乗って登楼する話もある。

今、オリンピックが開催されているロンドンにも、かってソーホーという歓楽地があった。スチブンソンの「ジキル博士とハイド氏」にも出てくる古い遊び場だが、ここも16世紀前は放牧農場があった地で、ソーホーの名のいわれは、農民の放牧のさい発した声からきているという。半世紀前の1962年、僕が初めてロンドンを訪れた当時ソーホーは、性風俗の店を中心に映画館や見世物小屋などが多かった。ところが、今やソーホーには一軒も性風俗店はないそうだ。1980年頃から再開発がすすみ、今や高級レストランやメディア関連企業の街に変身したという。

洋の東西を問わず、街は時代とともに変わってゆく。映画館の灯が消えた浅草六区はどのような街になってゆくのだろうか。ひょうたん池がまだ埋められなかった頃、池の周りの屋台で、梅割り焼酎をのみながらモツ焼きを食べたのが懐かしい。今でも浅草にはこの種の郷愁をそそる店が残っているが、再開発でやがて消えてゆくのだろうか。

   米国の大干ばつでテンペが値上がり、日本は大丈夫?

2012-08-01 05:53:36 | Weblog
日本の納豆以上にインドネシアの庶民に親しまれている大豆醗酵食品、テンペが米国からの輸入大豆価格の高騰で”これでは商売にならない”と業者団体が製造を中止し街頭デモを始めた。政府が輸入関税の引下げを約束したので、デモは数日で中止になったが、価格は数日間で3割も急騰、市民生活を直撃しているようだ。

テンペは日本でも数年前からスーパーでも売られているが、大豆を特別の菌で醗酵させた食品で納豆と違って匂いがない。これを油で揚げたり煮たりして食べる手軽な日常的な食品だが、材料の7割以上、米国からの輸入大豆に頼っている。ところが、その大豆が今年は56年ぶりという大干ばつに米国が見舞われ全滅状態だという。その被害はスタインベックの作品「怒れる葡萄」に描かれている、ダストボウル(dust bowl)の頃のようだという。

米国の大干ばつについて日本のメデイアは、あまり伝えないが、すでに大豆を材料にした食用油の業者卸し向き価格は1割値上がりしている。関係筋の間では、秋ごろから食肉、乳製品、醤油などにも影響が出て値上がりするのではと推測している。幸い円高なので、インドネシアのようなことはないと思うが、改めて”食糧安保”について考えさせられる。

”食糧安保”に直接関係してくるTPP交渉について、今月(8月)中にいよいよ加入が決定になるという。税と社会保障一体化法案の審議で明け暮れしていてTPP交渉がどうなっているのか、国民の大部分が知らない。与党の民主党内でも未だにTPP反対の旗を堂々と掲げているグループがいる。民主党のマニフェストの矛盾がここへきてすべて出てきた。国の存続にかかわるTPP加盟のような重用問題については、一度議会を解散して信を国民に問うべきである。